雑記 / 洗車とチームメイト

「洗車はライダーと愛車との対話だ」


そんな話をよく耳にする。いや目にする。紙面やらTwitterやらで。

久しぶりに三連休らしい三連休を過ごした。思えば上半期は二日連続で休める日などほぼ皆無であり, あったとしてもごくわずかだった。

三連休の最終日の午後の猛暑の中, 洗車に向かうことにした。なんてことはなく, 最近の雨やら台風やらでほったらかしにしていたバイクを洗車しようと思ったからだ。

実際に洗車をすると, 意外と汚れていることに気付く。ほったらかしにしていたから当然である。台風対策でカバーを外したが, めんどくさくてそのままにしておいたから, 汚れも目立ってくる。

ボックスを洗うと, 去年の11月頃に付けたことを思い出す。ずっとリュックサックか, キャリアにネットを無理やり付けるか, ツーリングバックで凌いだことを思い出した。実際ボックスは便利であり, 買い物の利便性が増した。

サイドを洗うと, 去年の5月に地獄のSSTRに出たことを思い出す。もう二度とやらない。三日間下道1000kmオーバーは狂気の沙汰ではない。特に二日目, 真っ暗な糸魚川周辺を走りながら, 音楽に聞き飽きた自分はあろうことかNHK中学英語講座を流して例文を数十分一人で声に出す奇行に出た。痛みでどうかしていた。二度とやらない。

こんな具合で, 洗車をすると愛車との思い出が蘇ってくる。これを「対話」とするならば, 上手い言い回しを先人は考えたものだなと思ってしまう。

そんな「対話」を重ねていく中で, ふと大昔のことを思い出した。

私のチームメイト


自分の卓球のチームメイトのことである。

卓球のラバーには, 表ソフトラバーというラバーがある。

自分が所属していたクラブのチームメイトには自分と同じ表ソフトラバーを使用する選手が他にも二人居た。同じくバック表の選手と, ペン表の選手である。

一人はペン表の選手だった。自分が卓球を始めようとしたのは彼の存在が大きい。クラブ内で唯一おもしろフラ〇シュのネタが通じる子で, 彼との話が一番楽しかった。

彼の特徴は試合で自分を鼓舞する大声だった。その姿をカッコいいと思い, 自分も彼を真似するところから卓球を始めた。当然ペンホルダーで始めたし, 練習でも応援でも声を沢山出すようにした。

もう一人はバック表の選手だった。彼とは沢山話をした記憶は無く, せいぜいクラブでも軽く挨拶をするだけであったが, 最後の彼の引退試合(団体戦)の時, 二台進行の中, 自分が彼のベンチに入った。

今でも鮮明に覚えているが, 五番手ではずっと強かった彼が, 1-3で敗北してしまった。試合に負けて泣いていた彼を始めて見た。ラン決がかかっていたからこそかもしれない。そんな彼に, 何か言わなければと必死に声を掛けた。

引退式の時, 彼は自分を名指しで感謝してくれた。あの時の言葉で自分は立ち直れたと。他にも何気ない会話に対する感謝の意を述べてくれた。

引退式でここまで泣くとは思わなかった。卓球の成績もさして振るわず, 一度も学校対抗の公式戦には出られず, ただ応援だけしていた自分が, ここまで感謝されるとは思っていなかった。もっと彼とたくさん話せば良かったと後悔が止まらなかった。

高校を卒業し, 彼は東の方の大学へ進学した。卓球を続けていてくれたらと思い, 何度か彼の名前で検索をかけたが, ヒットすることはなかった。LINEやらメールアドレスやら, 微妙に普及する前の時代だったから, 今みたいに気軽に連絡を取ることも叶わず, 音信不通となった。

何故か, 洗車をしている最中にこの二人のことを思い出したのである。自分が卓球に入るきっかけを続けてくれた彼と, 数少ない青春の思い出を作ってくれた彼のことである。

しかし, なぜ洗車中に彼らのことを思い出したのか。ふと考えてみると, 自分自身この数か月卓球に対して迷走をしていたからだと思っている。

先述の記事では, 用具やお金について, 持論をだらだらと述べていた。実を言うと, ここ最近の残業代のおかげで, 卓球の用品を揃える余裕が出てきたので, 結構散財をしていたのである。

まず, バタフライの良いゲームシャツを買った。これには後悔していない。実際軽くて速乾性に優れ, デザインも気に入った。値段に目を瞑ればいい買い物をしたと思う。また, シューズをさらに買った。既にミズノの良いシューズを買ったが, バタフライのシューズまで増やした。実際クッション性も優れているし, デザインも気に入っている。ウェアと合わせると, 一体感も出て中々カッコいい。

ここまではまだ許容できる買い物だった。

さらに, 作画資料と称してラケットやラバーを方々で購入した。カットマン用のラケット, 特殊素材入りのラケット, 色々なラバーを購入しては直ぐに飽きた。まごう事なき無駄遣いだが, 敢えて許容を加えるなら, 「自分には不要 / 向いていない」ということを身をもって知ることが出来たということだろうか。

そして迷走した買い物を続けるとどうなるか。自分は何のために卓球をやっているのか, 自分は何がしたいのかが混沌としてくる。

実際, 今の用具は素晴らしい。大体のものが, 「全く扱えない」と諦めるような要素が少なくなっている。その意味では企業努力は本当に凄いと思う。自分は腕が上がったと錯覚させたり, 自分でも扱えるとブランド品の敷居を下げたりと, 本当に上手だと思う。

だが, そんな用具に振り回され続けると, 自分自身の目標とかが薄れていく実感もある。扱えないから扱えるように努力したりすることが無くなってくる。案外扱えると言う印象が残り, 何だか飽きてしまう。方向性は異なるものの, 異世界チート系の主人公はこんな感想を抱きまくるだろう。努力はせずとも最強の用具を使えるのだ。当然, 「扱いこなせられる」かどうかは別として。

社会人で卓球をやるのだから楽しむまでは良い。目標を持って楽しむのは良いと思う。チキータができるように練習したり, YGが出せるように練習したりと。

ただ, 用具を揃えることだけに興味を置いてしまうと, 宝の持ち腐れになるばかりか, 自分自身の存在さえも見失いかねないのだ。

なんて, 洗車中にしては随分と重い対話をしていると思った。そもそもバイクは一ミリも関係ない世界な気がしていた。コンパウンドを終えて, 家に帰った。

家に帰り, 改めてこの話題を自分の中に持ちだした。何故この話を思い出したのか。何故彼らのことを思い出したのか。何故自分は表ソフトラバーを貼っていたのか。何故自分は卓球を今でも続けられているのか。

自分がまだ卓球をやっていることを, 彼らに知って欲しいからからだ。言い換えるならば, 自分を自己肯定出来た数少ないこの競技に対し, 自分なりの感謝を示したいからだとも思う。

去年の冬コミで, ブルアカと卓球の話を描けたのも, この気持ちが根底にあったからだと思う。自分が大会に出るのも, 自己顕示欲や承認欲求があるにしろ, 自分なりの恩返しがしたいからだと思っている。

これで彼らと再会出来たら最高かもしれない。彼らが別のどこかで競技としてでも, 趣味としてでも続けていてくれたら嬉しい。届かないかもしれないが, あの時彼らによって自己肯定出来た自分は, 今でも卓球を続けていると伝えたいのが, 自分が卓球をやり続けられる根底の一つだと思っている。

きっと, 洗車中にこのことを思い出したのも, 彼らからの忠告からなのだろう。実を言うと, 最近の新しいバイクや, また一度大型に乗ってみたいと思うことが少なからずあった。しかし, 大型を降りたのも, 経済的な負担だけでなく, 自分にとって所有することがしんどいと思える代物だったからだ。大型は今はレンタルで良い。たまのツーリングで流すなら, ハンターカブくらいが丁度いい。

自分に, 初心に帰れとの忠告が来ただけだったのかもしれない。

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