終のステラ感想(ネタバレアリ)
完走しきった直後なので、かなり情緒不安定かつ、論理的でない文だと思いますが、何卒。
まず、このゲームの素晴らしい点を挙げるとするならば、シナリオと世界観だと思います。このゲームのシナリオを物語のいくつかの形式に当てはめるなら、世界か彼女かを選べといういわゆるセカイ系というものに当たると思います。他とは違うのは、その彼女が「娘のような存在」だという点。主人公であるジュードはある依頼を受けたことによってアンドロイドである少女と出会う。そして、ジュードはそのアンドロイドにフィリアという名前をつけて冒険していくことになっていく。その冒険の過程で様々な経験を共有していくことで本当の家族のようになっていくのですが、その過程を描き方も凄い良くて、ジュードが次第にフィリアに愛着を抱いていく様にこちらも共通してしまう程でした。こういった親子愛はkeyさんの他作品である「Air」(未履修なので聞いた話で申し訳ないです)、「summer pockets」でも描かれていて、keyの原点なんだなぁと感じました。そして、この親子愛が、作りこまれた世界観で描かれていく点がとてもいい。舞台設定としては、遠く離れているであろう人類の衰退した終わりかけの地球。作品内で登場する様々な用語は作品の流れを特に止めることもなく効果的に使われていて世界観のより深い理解につながっていたような気がします。例として挙げるなら、不気味の谷やロボット原則が挙げられて、特に不気味の谷はジュードのフィリアに対して感じる不快感を画面越しでしかフィリアの事を見ることのできないプレイヤーに対して上手く説明しているなと思いました。プレイヤー目線だと可愛い少女にしか見えないので、私はこれを聞いてなるほどなとジュードの感じた不快感に納得出来ましたね。
そして、シナリオ面では、フィリアが色づいていく様がとても伝わってきました。特に最終局面での、ジュードとのやり取りはほんとに人間の子供のようで成長度合いというか、その人間らしさに驚かされました。
その中でも。ジュードとの口論した後に銃口をジュードに向けるというのがとても印象的でした。
誰しもがとは言えないかもしれないですが、親との口論の果てに殺してやりたいとか考える時って、特に中学生とか高校生頃にあったことある人いると思うんですけど、それって自我が成長している証拠だと思うんですよね。だから、このフィリアの様子を見た時にはこの子はほんとに人間なんだ、機械じゃないんだと思わされました。「お前に名前なんか付けてやるんじゃなかった」っていうジュードの言葉は辛かった。きっとジュードもそんなこと言いたくなかっただろうし、フィリアも相当傷ついたと思います。何かの作品で聞いた「自分が辛くなるような嘘は吐くな」という言葉を思い出しました。
そして、最終盤、ジュードとグロウナー伯爵との問答。この問答自体も面白かったですが、ジュードはここで世界かフィリアかという選択肢を迫られる。そして、フィリアは人間なんだと、世界を救うための部品ではないんだと、フィリアの方を選ぶことを決めるんですよね。
グロウナー伯爵の最後の言葉でもあったエワルドのためのハダリーという言葉もジュードは否定する。フィリアはフィリアだと。ここはとても
良かったですよね。きっとこの問答の果てに、ジュードは父になったんだなと思います。
しかし、グロウナー伯爵との一悶着の末、余命宣告を受けてしまったジュードはフィリアが一人でも生きていけるように教育する、本当の旅に出かける。これって、人生もそうなんですよね。私達は生が永遠ではないことを知っているので、生まれた時から時期が定かでないだけで余命宣告を受けているようなものであって、その中で自分が何を未来に残していけるのかを考えていく。ジュードはそれがフィリアだった。だから、ジュードの「未来は俺のかたわらにある」という言葉は親が子供に向ける最高の愛情表現だなと思いました。そして、娘になってほしいというジュードの素直な気持ち。これは相当に心に来ました。書いている今も思い出して泣いてしまいます。フィリアにとってこれほど嬉しいことは無いでしょうね、きっと。そして私たちにとってもとても幸福なことだと思います。そして、グレイという姓を与えるというのもいいなぁと思います。私達は当たり前のようにもらえるものですが、それは今回のフィリアとジュードという二人が終わりかけの星で出会ったということに等しいくらい奇跡的なことなのかもしれないと考えさせられました。
そして、最後の別れ。
これは来ると分かっていても辛いですよね。私は幸いなことに両親ともに生きてそばにいてくれるので本当にその感情が理解できるのかと言われると首肯し難いですが、こういう感情を経験せずとある程度の共感ができるのは人間の一つの能力だと思います。きっと一人では背負いきれないものだってあると思うので。
この別れを見ていて、自分は何を未来に残すことが出来るんだろうと思いましたね。まだ大学生で、将来のことも何にも決まっていない、人付き合いも
上手くない、そして結婚できるかも分からない自分が何を残せるんだろうと。ジュードみたいな人間になりたいです。
息絶えた父親を埋葬する、フィリア。質素なお墓だけど、私がここに父親が眠っていることを知っていればそれでいいのだ、というのはいいですね。そして、人に愛されるための証、人のために生きる機械の証であった機械仕掛けの花を墓標に置いて、父親の姿を胸に旅立っていく。ここで立ち止まっていては、父親に怒られてしまうからと。
そして、エンディング。曲も素晴らしかったし、時間の流れを物の風化によってあらわしている映像もよかった。
エピローグでは元気に、そしてたくましく生きているフィリアを見れて良かった。悲しいままで終わらないというのも、希望的な何かを私達プレイヤーに感じさせてくれるような気がしましたね。
そういった終わり方からも、世紀末的世界でも親子愛を育んでいけるという人間の尊さ、希望・未来を示してくれるような作品であったと私は思いました。
正直、自分はあまり記憶の持続力に自信がない方なので、この作品についても少しずつ忘れていってしまうんだろうなと考えると辛いし、寂しいと感じます。この作品は、そうやって忘れたくない、もう一度やりたい、もっと深くまで理解したいと思わせてくれるような作品でした。まだ話せていない点も多いと思いますが、取り急ぎ感想を書いたので許してください。
最後になりますが、製作陣の皆様には本当に感謝してもし足りないくらい感動をいただきました。これからも微力ではありますが、陰ながら応援しています!