
専業主婦である私の仕事
専業主婦である私の仕事は当然家事
、、、ではない
まぁ、それもあるがもっと大きな仕事がある
それは「いかに安く遊ぶか」
これは命題である
結婚五年目、もうじき六年目
最初の頃は、子どもがいるわけでもないし働くのが当然だと思い込んでいた
実際バイトをしていた
でも、まー向いてない
なんか世間と合わないのか、いじめられる笑🤣
合わない仕事をすると、結局ストレスから散財してしまい、残らなかったのが私の今までのパターン
女社員の嫉妬で独身時代も色んな職種の職場で働いてきたが、まーこわいこわい
最初に働いた印刷会社は、12時超え当たり前のくせに、残業代つかないのに、定時になると営業が直しをもってくる
仕方ないから直す
九時に帰ろうとすると「今日は早いね」と言われる
そこにいた同じグループの女社員が私の直属の上司と実は付き合っていて、私が隣の席で色々聞くから(そりゃ聞くよね笑 分からんし)私の普段仲良くしていた先輩グループのところで、私のいないところで大泣きして、「私が色目使ってる」ことにされて、翌朝漫画のようにデスクに先輩から置き手紙が置いてあり、「そんな人だと思わなかった」と言われ置き手紙されたり
次に働いた自動車学校では、私はもともと車に興味があった訳ではなく、たまたま前職の印刷会社で心が疲れ果て病んだので、リフレッシュがてら沖縄の竹富島にリゾバを三ヶ月ほどした後にこちらに帰ってきてから、父から「ここは?」と言われて、近いし、まーここならいいか、と言われて面接することにした。
前職でうんざりしていた私は、「残業代がつくか、と社員旅行とかは強制参加じゃないか」をしっっっかりと確認し、専務と談笑していたら、専務が
「大丈夫そうだから、副校長に会う?」と言ってきた
次に副校長と話していたら、副校長は「先生やれそうだね?やってみる?」と軽い口調で話してきた。
「え?」そんな簡単になれるわけないと思いつつ、採用されたかった私は、軽口で「えーあ〜、あはは☺やれるかもです〜」なんて適当な事を言い、その後、「採用!」と副校長から言われ、アッサリと自動車学校に勤務が決まった。
入るのは簡単だった。まじ、簡単。
入ってから、まー色々あった。
まず受付を1年やったんだけど、そこの女がまーやばかった🤣
見た目めっちゃ可愛くて二十歳で、高校生にももててるのに、仕事を教えるの嫌がるし笑
電卓はネイル長いからペンで打つ、先輩の自分に気のある中年おじさん社員に遊ぶためのお金を無心する笑🤣(「おい!○○(←呼び捨て)金!」って言う🤣🤣🤣)
まーこんな人いるんやって今ではマジで笑えるけど、当時は嫌いやったな。仕事はご機嫌とらんと教えてくれんし(そんなのあり?)
そんな人らとわちゃわちゃやりながら、私は途中から指導員になる為に勉強の為に缶詰になるんやけど
この時も色々あった!ありすぎた!
でも長くなりすぎるので今回は割愛。
その後、指導員になんとかなったんやけど、ハードすぎて、もともと運転下手すぎるのに(駐車場にバックで入れれない&23号線は指導員になってから、生徒の運転で免許証取ってから初めて行った)無理くり指導員なったから、アンケートに「教科書と同じことしか言わん」とか酷評されて、メンタル病んだり、おなら出やすいからガマンしすぎて(恥ずかしいからさ)、そんな時に当時の彼氏と別れたから、メンタル激落ちして、倒れちゃってさ。
それでも副校長は、私がまた復帰出来るように休ませてくれたり、「たまに顔を出しに来るだけでもいいから、ずっと休んでると来ずらくなっちゃうから、いつでもいいからおいで」と待ってくれてたんだけど、私が家の前を定期的に走る車校の送迎車からいつも見られてるような気がして、休んでるのに遊んでるって思われたらって思うと気が休まらなくて、結局やめちゃった。
でも、ここで働いた事は後に無駄じゃなかった!って知る
あんなに頑張って勉強して、先生になったのに。一時期は手取り30万位貰ってた時もある。
1日も働けなかった月ですら、有給で10万位貰って、掃除のおばちゃんに嫉妬された。
そんな悲しい思い出のほうが強くて、ずっとずっと黒歴史だと思ってた。
あそこで働きさえしなければ、私はこんなことには、うつ病で倒れて、あんなにうん十年も苦しまなくて済んだんじゃないかと思ってた。
だけどね、私、ここで働いてた事が縁で結婚出来たの。
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