喧嘩②
結局、私は旦那と旦那兄の無責任さに苛ついていたんだ。
かいがいしく、義理母の様子を見ているように見えても、行動はいつも現状維持や余生を少しでも楽しく過ごして欲しい、と言う思いで動いていたし、実際そう言っていた。
「良くならない」「だから残りの余生を少しでも穏やかに過ごして欲しい」といつも言っていた。
自分の親に生きてて欲しい。その気持ちはわかる。
特に、義父が今年急に前触れもなくいきなり逝ってしまったから、余計その気持ちは強いと思う。
だから、良くも悪くもならない現状維持を望むんだとも頭では分かるけど、
私は会話を聞いては、なんだかなぁって。
本当にそれでいいのかな?っていつも疑問が湧いていた。
病院変えなくても、ヨガしたり、散歩したり、何か参加してみてもいいのにって。
でも、「息が切れてヨガなんて出来ない」「散歩しんどい」、、、。
私が行ってるヨガは、やれなくても、寝転んでるだけでも参加していいんだよ、そういう人もいたんだよ、と言っても聞く耳なし。
そんな義理母に私はげんなりしていたし、会話してもつまらなくて。
そーいう自分を思いやりがないのかな?なんて思っていた時期もあった。
けど、違うよね。だって、いくらアドバイスしても跳ね返される人と、また会いたいなとは思えない。
出来なくても、少しは考えて欲しかっただけ。
人生を諦めて欲しくなかっただけ。
でも、それもおせっかいらしい。
テニスをしてる最中に思い出したけど、私も四年前に体調崩して、なかなか寝れずに、体力がおばあちゃん並みになった時があったけど、その時は、一日生きてる事がしんどくて、「今日一日生きれるかな?」なんてことを毎日朝起きるたびに思っていた。
そんな時に、父から、運動しろだの、体操しろだの、朝から市場に連れてかれて散歩したり、色々した。
今より良くする為に、キツイこともいっぱい言われた。
今でも、悔しくて覚えてる。
普通に床に座ってることが出来なくて、コンクリートに寝そべる私に父は、
「悔しかったら、1億稼いでみろ!」って言った。
一日生きる自身すら持てなあ私は、夜空を見ながら悔しくて悔しくて虚しくて虚しくてただ泣いた。
生きてるだけで精一杯の人間に、これ以上何を頑張れって言うのかなって。
なんてひどい人間なんだろうって思ったけど、
今私が義理母に感じてる憤りは、その時の父の気持ちに似てるのかもしれないなと思った。
「なんで諦めるんだよ!まだやれるよ!可能性なんて無限大にあるのになんでてめーは、もう出来ないなんて自分を諦めるんだよ!ふざけんなよ!」
きっと、そんな気持ち。諦めてる本人を見て、可能性に気づいて欲しくて言っていた。怒り。熱い想い。
でもね、今、生きることが楽しくなってきた私だから思うけど、それでも、その時は押し付けに思えて、プレッシャーにしか思えなくて、ただただ憎んでた。
「悔しかったらやってみろ」ヒールになってまで、怒りを原動力にしてでも生きろと言いたかっただけかもしれないけど、言われた方は、逆立ちしても出来ないと思ってることをやれ!と言われてるようで、本当に途方もないなんとも言えない気持ちと恨みだけが残ったよね、って思った。
こうして、時を越えて、あの時の父の気持ちはこんなかな?と感じたり、そして、自分がされて、死ぬほど辛かった事を、義理母にしようとしている自分に気づいて、あぁ、、、ってなりました。