「年取ったら変われない。」っていうのずるい
大人がずるいと思うことの一つ。それは、
「年取ったら変われない。」っていうこと。
自身の不甲斐なさの肯定。どうにもならないことへの許容。
「もう大人だし性格なんて変わらないよ。」
「あの先輩を変えるのなんて、無理だから」
「相変わらずだよね、〇〇。もう歳だし、性格なんて変わんないよねー」
「お父さんの気難しさはもう変わらないのよ」
そういう言葉で私たちは他者に配慮する。
変わった方がいいのにと思う部分を、仕方ないとして許容する。
確かに他者を変えるより、自分を変える時が合理的である。効率的、ストレスもない。その方が自身に功を奏す。
そして他者を変えように努力しても本当に無駄だったりするし。
ただそのことが、
変われない大人になった自分も肯定していないか?
今更努力したくない自分の肯定に使ってないか?
大人だからもう変わらなくていいって思ってないか?ってたまに思う。
私の中の子供の部分が、そういう大人をじっと見ている。
私たちには変われ、できるようになれ、そういうのに。
大人にじゃああれはどうなのか、っていうと
「大人はもう変わらないから」っていう。
なんだろう、その理由。私たちには言うくせに。私たちには、あなたはそうなっちゃダメよ、と押し付けておいて。
「もう性格なんて変わらないわよねーっ」と談笑するようになる世代は、
きっとやりたいことや夢を持ち変わろう変わろうとしていた時期から、仕事をして、結婚して子供ができて、落ち着いていく。そんな安定を求める時期だろう。
安定するように生きていくのが普通ではある。ベースができてそれで生きれれば。変化のない安定を望むだろう。
その生きていけるベースが出来上がったら、人生は上がりみたいに思っている人はそれなりにいる気がする。
ここまで出来上がった、あとは深く考えなくても、冒険せずにいれば、老後まで平穏のまま日々が流れていくだろうって。
けど結婚して子供ができて安定したら、そのまま変わらなくていいわけじゃない。気づかなくても人は絶えず更新していく生き物で、すべての物事はゆるゆると変化している。
それを結婚してすぐ、もう何をしても俺は安泰だと、新しくできた家庭を維持したりよくしていくことに目を向けなければ、自分たちにとっての、よい夫婦とはを何かを考えないでいると、軋轢が生じて、離婚になったりする。
妻が妊娠した時に、よい父とは何か、今夫としてするべきことは何かを考えたりしないで行動すれば、妻が実家に帰ったりする。(わかりやすいからって旦那を悪い方にしてごめんなさい)
そこまでの事態にいかなくても、あの人はなんでこうなのだろう、その部分を抱えながら、話し合いもせず、わかり合おうともせず、そのまま家族を維持する家庭も多い。
「多少悪いところもあるけれど、私は変わらなくていい。」というその考えは、「あの人はもう変われないから」「私がするわ」「しょうがない。」に支えられている。
そのしょうがない人としょうがない人を支えた人。
その関係は、ふたりで収まるうちはそれでいい。
けれど、夫婦の多くには子供ができる。
そうすると、子供はその”しょうがない”の下で育つ。
しょうがないをしょうがないとも気づかない、アホウとして育つか。
しょうがないをしょうがないとも思わない、菩薩として育つか。
もしくは自立心を持ち始めた時、子供は大人のしょうがないで見過ごされてきた姿と、もう1人が言う「大人は変わらないから仕方ない」に神経を苛立たせ、もしくはすり減らしていく。
そういう子供は少なくない。
そして大人になって思うのだけど。
大人になってからの方が変わるの簡単じゃない?って
子供の頃より客観性を持った。
自分の欠点も理解できる。
ハウツーだってある。
金だって稼げる。社会サポートがあることも知る。
少しの意識化で意欲で、より良くできるもの。
そういうものはたくさんある。
子供の頃は気づけなかったこと。
直せなかったくせ。
生活を自分でするようになって初めて知るダメさ。甘え。
他者から見て自分はどうか。
自分から見て自分はどうか。
しょうがないやつか。かっこいいやつか。好きか。
そういうものともっと向き合えばいいのに、もう大人なのだから。
子供には、言うくせに。
あなたは自分を省みれているか。
そう思う。
またあなたが誰かの、「変われないからしょうがない」と見過ごしてきたことは、本当に「しょうがないこと」なのか?
それが子供に悪い影響を与えないか?
子供を苦しませていないか?
大人はもう一度考えてほしい。
ただ書いていて、私の中にも大人、例えば高齢の両親に
今更言ったってと思う気持ちは痛いくらいにある。
彼らは変わりたいと思っていないから。
伝えてもしょうがない。そういう諦め。
子供時代に葛藤したからこそ、そう言う想いになった。
大人は変わらないものである。
私の身には染み込んでいる。
そして大人自身にも子供自身にも染み込んでしまうとさ、
なんか色々なものを妨げる。
親子のコミュニケーション。
溝を埋めようとしなくなる。
悪い部分に気づかなくなる。
欠点が放置されていく。
また、生きて行くことは、どうしたって絶え間ない更新だ。変化なのだ。そのままで過ごせるなんてないのだ。
子供から大人へのその象徴である、仕事を持つ、結婚する、子供を持つなどそう言うもの以外に細かく、たくさんの乗り越えるものがあって、本当はそれに適応する、変化することが常に求められている。
けれど、何人かは、その途中で「私はこうだから」と変化を望まなくなる。
意識を変えるということをしなくなる。 そのままのままでずっといられるはずないのに、大きな危機に直面するまで自分を省みない、更新しようとしなくなる。
そういう人は、大人だしもう変われないよ、と肯定的にガハハっと笑っている。そして、大きな危機に局面した時に、気づくのだ。
誰もが、そうなるかもと思っていたところに足を突っ込んでいた自分に。
そうならないように
そして子供の心労の元にならないように
できたら「人間は年取っても変われるんだよ」そのスタンスで
自分を省みながら、生きていく人が増えるといいなと思う。
そして自分と自分の大切な人、
子持ちの夫婦は絶対さ、
適宜二人のあり方を内省してほしいよね。
その方が、めんどくさいけど
人生は楽しくなるのではないかなぁと。
まあ、せめて「あの人の〇〇はしょうがないところだけど、私はそこが好きなのよ」そう言える関係性がいいね。
果ノ子
(あ、この話は自分の親世代のしょうがないに、手を出してほしいなって話でなくて、自分と自分の大切な人に対しての話である。子供自体の自分が痛むなら、自分の親世代に手なんて出さなくていい。自分は自分で作っていけばいい。
ただ子供がいる人は、子供の自分が痛んでも、あなたはもう大人なので、子供の自分は分けて、しょうがなさ、考えてほしいなぁ。どうか次世代は「人間は年取っても変われるんだよ」が定着するといいなあ)
(同じようなテーマで、この話書こうと思ってたこととだいぶ方向変わったので夜はそれを投稿したい)