19歳女子、鶏を屠殺する
幡野さんのツイッターやnoteを追っている。
その中で狩猟者とビーガンのやりとりを見ていて、ふと19歳の夏、鶏の屠殺をした時のことを思い出した。
あれはあまりない経験だっただろう。ので、なんとなく書いてみる。
*もしかすると表現が生々しいかもしれないので苦手な人は注意
*
私が屠殺を経験したのは、19歳。
夏休み、アジアの人向けに農業研修を行う施設に泊まり込み体験に行った時だった。もちろん国内の話だ。
仔細は忘れてしまったが、そこは、アジアの国々の農村部において実現可能な形での農業酪農などの方法を指導し、現地で役立ててもらう、そういうための場所だった。
農業も酪農も可能な限り自給自足を試みていた。豚のフンをバイオエネルギーとして利用したりもしていた。アジアの暮らしや、自給自足の生活に興味があった私は数日間そこに泊まらせてもらったのだ。
牛のための藁を集める。豚の小屋を掃除する。その日のごはんの野菜を作物園から取ってくる。土をならす。海外から来た人向けの英語の講座を横で聞く。
食事はその日の担当の学生が作った民族料理を食べ、日曜日は研修施設内で、教会ができて参加した。夜にみんなで歌ったり。異文化交流。
日本だけれど日本でない、なかなかすることがない体験をした。
そのなかで経験した一つが、鶏の屠殺であった。
滞在はじめ、小学生が鶏をしめる体験をするけど、参加するか聞かれた。
19歳女子。字面ほどの女の子らしさを持っていなかった。
もともと生き物と向き合ってきたからか、嫌悪感や、ちょっとそれは…感は持たず、返事にそんなに躊躇はしなかった気がする。
私は、肉を食べて生きてきている。だからする。
子供のころある晩見た夢の影響でしばらく肉が食べれなくなったことはあった。
しかし、その時に子供ながらに肉食について考えた。
ちゃんと料理されたのに食べられず捨ててしまうのも何か違うし、栄養としてちゃんと必要ならちゃんといただきますをしよう。そう思い、無駄にしないで食べて、ちゃんとその分生きようと(子供の頃からど真面目でした)思い、肉を食べていた。
もう少し大きくなって、人間が肉を食べることやそのために育てられる生き物たち、そういうものを考える時期があった。動物愛護の現状を学んで見たり。人はなんで生き物を食べないと生きていけないのか、とか考えたり。動物と植物の違いは、とか。
そもそも私の肉体って何でできているか、とか。
肉体は7年ぐらいで細胞が入れ替わるらしいから、7年間食べてきたもので私はできている、とか。
まあ諸々考えた結果、私は生きるために肉をたべる。
私は残酷な生き物だ。
動物・植物の肉を、美味しくいただく。そして、私が死んだら私の肉は微生物の栄養になる。(日本は火葬だから、灰となって、その成分は様々なものに吸収されるのだろう。自然の一部になる)
私の命は誰かの命でできていて、私は誰かの命の一部になる。
それでいいと思っている。人だけが特別ではない派のような。
そんなことを考えてきた子供だった。
からこそ、こういうことを言うのに、ちゃんと命をいただく、最初の残酷さを知らないと失礼というか、現実を知らないくせに…と言われる側なんじゃないかなと、少しだけ思っていた。
なにより今回私は自給自足の生活の一部を見にきていた。知りたかった。
植物を育て、家畜を育て、生活を営む。原始的な人間の生活に近いもの。
その中には必ず動物の生き死にも含まれる。
当日、担当の人が言っていた。
今日しめる鶏は産卵の時期が終わって、〇〇日経って、歳をとった雌鶏がいる小屋だと。だから、普通にスーパーで食べている鶏肉より、骨ばっていて硬くて食べにくいかもと。
なるほど…と思う。合理的。残酷さ。おいしくなさ、色々混在。
小屋の前で、小学生十数人と合流した。まず、担当の人が一通りレクチャーしてくれた。鶏の捕まえ方、大人しくする方法、鶏のしめ方。
そしてその後は、羽のむしり方(そのための装置があった)、どこに刃を入れて肉にして行くか、どこがなんの部位か、砂肝はここだよ、とか。
説明しながらその過程を見せてくれた。
顔を覆いしばらく暗がりにすると、反射で動かなくなる鶏。
地面に横たえた彼を抑えて、その首元の動脈に向けて
手前側を一気にナイフで切る。
みんな静かに真剣にそれを見つめていた。
その後順番に小屋に入り、それぞれがさばく鶏を選ぶことになった。
怖い人は無理はしないでいいと言われるが、小学生+で参加した大人1人が怯んでいてはな、と思う。
最初に小屋に入った小学生たちと一緒に小屋に入り、鶏を捕まえることとなる。
小屋にたくさん人が入ってきて、驚いて動き回る鶏。
(あ、私が捕まえたら、確実にその鶏は死ぬのだ)
そう認識してしまった瞬間、色々な気持ちが混ざって躊躇した。
選ぶのはやだな、という気持ちが出てくる。
けれど、私が直接選ばないだけで、今まで私が食べた肉だって同じだったし、子供たちがやろうとしている場面で、できませんはないなと思う。
私は彼らより今まで肉を食べてきている。菜食主義者になろうとも思っていない。
私が嫌悪感があるからと避けることを誰かがしているのだ。私たちの生活はそう言うものだ。その恩恵にだけあやかるのは、なんとなく違う。
私がやらないことにしても、今日のご飯は彼らの肉を使ったカレーなのはすでに決まっていた。
私はそれを食すだろう。
それならやらないといけないことだと思った。
捕まらなければいいなぁと、思いながら鶏に手を伸ばす。
脇で子供達もキャーキャー言いながら鶏を捕まえようとしている。
しかし、生半端な気持ちでは鶏は捕まってくれず。
後半は、どの子の命を奪ってしまうのかではなくて、ひとまずすばしっこい鶏をどうにか捕まえないと、に変わっていた。鶏はすばしっこい。
その中で1匹鶏を捕まえ、
捕まえた鶏を両手でしっかり抱え、小屋を出た。
教わった通りにすると鶏はとても静かだった。
一度心の中で謝って、順番でまわってきたナイフを持って。
失敗して苦しませてしまうことがないように思いながら
教わった通りに鶏の頸部に刃を入れた。
その瞬間が終わってしまえば、その後は肉だった。
指示された通りに、血抜きの装置に入れ、羽がもげやすいように装置が動く。
羽を取り、そうなってしまえばクリスマスの七面鳥と変わらない。
教えてもらいながら臓器を傷つけないように取り分ける。
手順が全て終わる頃にはちゃんとスーパーの肉と変わらなかった。
その後私は、農作業班だったので調理には加わらず
夕飯は、彼らの肉が入ったカレーだった。
確かに鶏の肉は筋張っていて硬かった。
*
書きながら、考えてみれば、生きててこのかた30年。
踊り食いをしたこともない。釣りが趣味でもないから、とった魚を始めからさばいた経験もない(一回ぐらいあるかと思ったらなかった。)
生き物を意図的に殺したのは、家の中に入ってきた害虫相手や、子供のころの無邪気な残虐さ、そうなるかもとは思いつつ残念ながら死なせてしまった水槽で飼っていたペットとしての魚ぐらいだ。
私自身で命を食するために直接奪う。
命をいただく。
その経験は、19歳のあの、一回だけである。
今書きながら、そのことに驚いている。
30年人間という動物として生きてきて、え?ほんと?
30年もの間、植物だけじゃなくて、ふつうに肉も魚も食べているのに?
みんなはどうなんだろうか?
いや、普通の人もそんなものなのだろうか。
スーパーにある魚や肉はすでに食料になっている。
今日食べるためにこの命をいただく。
この冬の暖を取るために毛皮を必要とする。
そういう経験をしている人たちは農家や漁師やそういう生産業の人達だけな気がしてきた。もしくは釣り人か狩猟者か。自給自足を主としている人たちか。しっかり料理をする人で魚を丸々1匹捌ける人でさえ、鮮魚を殺して命を頂いた経験がある人は少ない気がする。
なんかすごいな。私達は本来野生の動物だけど、野生は置いてきているんだなぁとか、社会制度はしっかり分業されているんだなぁとか適当なことを思ってしまう。
命を命としていただいているけれど
その行為については意識が薄くなるように社会ができている。けれどきっと、それが悪いわけでもない。
今考えると、動物福祉の観点では、あの日の殺生も、気絶させてから殺す方法がとられるべきなんだろうなーとか思った。
産卵のために飼育して、役割を終えたら、教育目的も兼ねて、屠殺されるニワトリ。合理的だし、自給自足をする生活の中であれば、最小限の輪っかであり、必要なサイクルだ。自然の弱肉強食の中で普通にあるもの。ライオンが肉食動物を食べるということと似ている。けれど残酷なこと。
けれど私たちの見えないところで、動物は殺されている。ひなの時点で卵を産めない雄鶏は選別されるし、産卵できなくなった鶏は、教育目的として命の大切さを教えることもなく、処分されるだろう。
書いていながら、漫画の「銀の匙」の畜産業を主人公が考えるシーンや、「乙姫語り」のその日食べるため、お祝いのため、冬を越すため、肉をさばくシーンが浮かぶ。また、ナスDが有名になった、地球征服での、アマゾン奥地の民族の居宅で捕まえてきた鳥を子供達が可愛がっていると思ったら、おやつとして羽をむしって次の瞬間には炙って食べているシーンも浮かぶ。
命をいただくということは残酷で、慈悲がない。けれど目に見えるように、単純に、命が軽んじられているものではない。その残酷さは生命につきもので、単純に罰せられるものでもないと思う。
私たちは生き抜くために雑食で、動物でも植物でも他者の肉を食らって生きていくように、その肉体ができている。
同時に、こども時代に鳥に襲われたアザラシの子供を助けるわけでもなく、そっと撮影をしている映像を見て、憤った時のことも思い出す。悲しげになく、アザラシを、自然で起きたことに手を出してはいけないと、手を出さずに見守るムツゴローさんの語りに憤った時のこと。
なんでそうなのだろうって思ったこと。
そういう意味では、私たちは動物を大切にしたいと、いただく命を選ぶ主義の人たちをなしとは思わない。今ではない、先へ先に。
残酷にならない方法を模索したい精神はわからなくもない。
けれど、その主義で人の動物としての特性を否定してはいけないのではと思う。そもそも、私たちは肉なのだ。そういう風に作られている。霞を食べていきれるようにはできていないから。
当時はまだ飲み屋に焼き鳥屋に行くことも少なかったから、
ぽんじりという名称を知らなかったし、砂きもも名前だけだった。
肉となった鶏を切り分けながら、お兄さんに言われた。
そこがぽんじり。臭みが強いから、ここは切っておいたほうがいいと言われた部位。
当時知らなかったからこそ、今焼肉屋でぽんじりを頼むときは脳裏にさっとあの場面が浮かぶ。
焼き鳥屋で食べる、ぽんじりは美味しい。
なんとなく、了
果ノ子
(あの果物だけを食べていて、腸内細菌が変わった人がいるけれど、あぁいう人を見ると人間の進化に未来を感じるよね。人の細胞は7年で大体入れ替わるとのことなので、あの人はすでに果実で構成されている、そう思うと面白い。いつかヴィーカンの人たちもそんな風に進化していくのかなって思う。ワクワクと。)
(けど、個人的には子供達には押し付けないでほしいなぁ。私たちは、基本的に野生動物で、その進化に乗れるかはわかんないから。生き物は自然と同じく元々は残酷で、そこで生きていくしかなかったりするから。)
(生き物は残酷なものだって認めてしまった私を、子供の時の私は見損なうかな。でも、諦めた訳でもないんだけど)