推す次元
二次元アイドル(以降、IDOL)を推すのは理解できるけど、三次元アイドル(以降、アイドル)を推すのは理解できない。
アイドルでかわいいとかかっこいいと思うことはあるが、それに対して、ファンになろうとか推そうと思うことはほとんどない。アイドルを推すことの目的を感じないからである。たとえどのくらい好きだとしてもアイドルを共になれることは決してない(勿論0ではないがそれを望むのは烏滸がましい)。アイドルは年を取るし、ファンに見せているのは一部分である。アイドルも当然だが人間であり、恋愛をすることもあれば結婚をすることだってある。ファンからすれば裏切りということになる。「どうせ裏切るものに対して最後まで推すことはできますか」と問いかけたいが、ファンは「それまでの夢の時間を楽しみたい」と返すに違いない。否、その夢の時間が長ければ長いほど”推す力”は成長し、潔く引くには重くなっている。夢の時間には限りがあることを知らなければならない。アイドルは自分と同じ次元であるからこそ近く、その分遠い偶像にすぎない。
一方で、IDOLのよいところは、実体がないところである。年を取ったり結婚したりしない。もっと言えば、年を取ったり結婚したりするのも自分の妄想で決めることができるという点にある。「公式の設定」というものがあるがそれはあくまでも初期値であり、「世界線」という魔法の言葉を使えばどんな姿にでもIDOLを変えることができる。自分の妄想ですべてを表現できる即ち自らの写像を落とし二次元に回帰することができるというわけである。そういう意味で、IDOLは違う次元であるからこそ遠く、その分近い存在になり得る。
最後に言っておくが、アイドルを推すのは自由である。だが、アイドルの末節を穢し、自分の品位を落とすのは、アイドルという職業の存在価値がないということと同義である。アイドルを推すということは、「時限爆弾を押す」ことである。