銚子街道十九里#5
-佐原から香取まで-
利根川土手に登り、東に歩き出した。
布佐から松戸までを歩く鮮魚街道の旅は三度で力尽きた。今度は鮮魚が高瀬舟で運ばれたこの利根川に沿って銚子まで下ろうと思う。つまり、布佐から利根川の水が太平洋に流れ出るまでの道程を進むのだ。この道を銚子街道と呼ぶらしい。
布佐河岸に標識が立っている。海まで76 .00キロメートル =19.352 里。約十九里。
*
1月末日。
8時50分に家を出た。
嫁と娘は義妹と11時からイチゴ狩り。17時にみんなと回転寿司屋で待ち合わせなので、それまではフリーダム。そう、リッチー・ヘヴンスのようなフリーダム状態である。しかし、またもや前日に呑みすぎた。この、撮影前日に浮かれて深酒をした結果、必ず翌日に体調を崩す遠足前の小学生みたいな病いをなんとかしたい。
とりあえず、いつものように一澤帆布の地質調査鞄にライカSLとレンズはズマロン35ミリ、エルマー50ミリ、そして、焼けちゃったので再び買い戻したテッサー35ミリ(宮崎光学改)を忍ばせて出かける準備をした。
さぁ、家を出ようとという時に文庫本を鞄に入れ忘れて部屋を行ったり来たりしていると娘から「パパはカメラと本とお酒があればいいね」とからかわれる。カワイイもんではないか。
しっかりイチゴ食えよ。じゃあの。
フードのついた厚手の軍用寒冷地ジャンパーN-2Bを着て気合いを入れて家を出たものの、かなりの冷気に心を折られる。
雲は薄曇りだが、空からあちらこちらと陽が漏れている。晴れるのか、いやいやこのままなのか、まぁ雨は降らないだろう。
ジャンバーの下にコマンドセーターを着ていようが、氷の矢のように刺さる北風を受けながら、なんとか駅に着くなりホームでぐらりと揺れた。一瞬、目眩かと思ったぐらい結構な強さの地震である。今日はちょっと遠い佐原まで行く。片道2時間はかかるので、地震による電車遅延の運行情報はこまめにチェックしたい。帰って来れなくなるからな。
電車は時刻通りに来た。乗り継ぎアプリによると京成津田沼での待ち時間が30分もあるので、新津田沼駅で朝食を。まぁ、最初から吉野家の牛丼を久しぶりに食べるぞと決めていたのだ。今、私の胃袋はどんぶりのカタチにトランスフォームしている。いや、それよりも、あまりの寒さにお腹が冷えた。暖房の効いた吉野家でゆったりとトイレに行こうそうしよう。
昔は丸井があったファッションビルの1階につーんとすました顔をしてラグジュアリーな吉野家は入っている。休日の朝ということもありガラガラなのでボックス席を陣取る。店内パッと見でトイレが無いなぁと思い、注文用のタッチパネルに触れる前に、脇を通った店員さんにトイレはどこか尋ねてみた。カタコトの店員さんは「トイレは無いデス」となんの濁りもない透き通った瞳で私に死の宣告をしてきた。じゃあ、お前はアレか、ここでトイレも無く働いているのか?ケツにコルクの栓して牛丼運んでんのかあん?と絡みそうになったが、要するに他の店舗が閉まっている時間帯に吉野家だけ開いているので利用できないのだ。確かにこのファッションビルはフロア内を通って奥の奥に本丸のようにトイレがある。
冷たい外気から暖かい店に入って、さらに冷たい対応に遭ったので、一気に腹具合が悪くなってしまった。No Toiletとなるとこれは話しが違う。一分一秒を争う事態に急変するのだ。脳をフル回転させて最寄りのトイレットを探す。頑張れオレ!
吉野家を出て新津田沼駅に戻った。駅のホームにあるトイレなら確実に空いているからだ。ブルーマン・トーキョーのような青い顔をして、やや内股で今降りてきた階段を再び登り、改札をインコーナーギリギリで抜ける。あぁ、定期券圏内でよかった。
ギリ間に合った。
ズボンの脱ぎ方が西部劇のゲイリー・クーパー並みの早業だった。下痢なだけにな。けけけ。
トイレを出て駅のホームにある電光掲示板を見ると、地震の影響で成田行きの京成線に遅れが出ていた。やはり京成線で行くのは諦めて、まだ遅延情報のないJRに乗り換えて行くことにした。成田より先のローカル電車は本数が極端に少ないので時間が読めないのは厄介だ。
さて、改札口を出て真っ先に向かうのは…。
カタコトの店員さんに真冬のガリガリ君のような冷たい対応をされてもやっぱり吉野家に向かう。
なぜなら、もうお腹が丼ぶりのカタチをしているからだ。その胃は松屋のどんぶりでも、すき家のどんぶりでもない。吉野家のどんぶりのカタチなのだ。
恥ずかしげもなく先ほどと同じボックス席に再び陣を敷いて、牛丼大盛つゆだく味噌汁おしんこセットをタッチパネルから選択。パネルにはお会計表記が。計850円也。ぐえっ! なんか久しぶりに来たらめっちゃ値段高くなってないか? 昔はワンコインでお釣りが出たぞ。しかも大盛のチョイスは失敗だった。腹が減ってない。着丼してもそんなにまだ胃が動いていない。目だけ血走って胃が眠ってて追いついてこない。というか全然つゆだくじゃないし、肉はブロックのようにところどころ固まってるし、味は薄いし全然美味くない。
そういえば、ウチの親父はお袋の作った味噌汁の味が薄いと「尼さんのしょんべんみたいだな」と嫌味を言ったもんだが、なるほど今なら親父の気持ちも分かる気がする。
確かに吉野家の味噌汁は〝尼さんのしょんべん〟みたいに薄かった。
もちろん私も親父も尼さんのしょんべんを飲んだことはない。
しかし、価格上げて質落とすとな。牛丼一筋三百年のプライドはどこに行ったんだよと思いながらお上品に肉を開いて丁寧にご飯に包んで食していたら、時間がくそヤバいことに気がついた。ぐえっ!あと5分で店を出なくちゃ電車に間に合わないじゃないか!
ぽんぽんペインのアディショナルタイム15分を計算に入れないで吉野家に入店していたのだ。関係ないけど日本サッカーは中東でやる試合のアディショナルタイムに弱いな。
9時47分に成田行きの電車がくる。歩いて5分はかかるので42分には店を出なければならない。慌てて最後の楽しみにしていた紅生姜丼をかっ込み、850円払って店を出た。米が詰まった腹を抱えてギリギリで津田沼駅に滑り込む。セフセフセーフ。
さて、車内は結構空いているので、横並びのシートにするかボックス席かで悩む。ボックス席には若いメロンサイズの爆乳女性が半乳出して座っていたが、よく見るとそれは半乳爆乳(はんちちばくにゅう)ではなく生後数ヶ月の赤ちゃんの頭だった。抱っこ紐と服が同じ色だったので紛らわしい。
明日JAROに電話しよう。
赤ちゃん巨乳に気後れしてドア横の横並びペアシートを選ぶ。
シート正面の向かい側は母と娘。14、5歳くらいの娘のバッグは英語でランペイジと書いてある派手なエコバッグ。ちなみに彼女は格闘家クイントン・"ランペイジ"・ジャクソンのファンではないだろう。ボーカルダンスユニットのほうのランペイジだ。
お母さんはトヨタのキーがショルダーバックのメッシュのポケットから透けて見えている。多分、モーレツ田舎に住んでいて、駅に停めて出かけてきたのだろう。と、思ったら意外に都会な都賀駅でしれーっと降りていった。
成田駅に着いたので成田線銚子行へ乗り換えるが、乗り換え時間は10分と短い。当然、すでに電車は来ていた。
暖房のため一輌に一扉だけ開けて他の扉は閉めている。もう二度目なのでやっと慣れたが、気がつくと開いているドアの近くに座っていた。あとから来た老夫婦は「ドアの近くは寒いから、お父さんこっちよ」と奥へ行ってしまった。なるほど確かに寒い。今気がついた。私も老夫婦とは逆側の奥に移動した。発車までまだ10分は待たなければならないのだ。
しばらくするとどこかの中学校の柔道部が乗ってきた。なぜ柔道部だと分かるのかというとご丁寧に中学校名とJUDOという文字が英字でプリントされたベンチコートを着ているからである。
中2くらいの男の子二人と女の子二人の計4人。そのうちの一人の男の子が座って早々に自分のスポーツバッグを漁りだした。彼の顔はどんどん青ざめていく。恐らく交通費の入ったICカードを無くしたのだろう。もう一人の男の子は「ヤバいね」と言ったきり完全に自分のスマホの世界。女の子2人は一緒に探してくれている。今すぐに成田駅の改札に戻ればワンチャン届けてくれている人がいるかも知れないのに、彼は電車が走り出しても、ぬか床をかき混ぜるようにバッグをごそごそやっていた。15分は探していただろう。最初は一緒に探してくれていた女の子たちも呆れて途中から見放していた。そして彼のICカードは見つからずに佐原駅に着いた。
そもそも5分探して無いのなら、そのバッグには無いだろうな。
結構な人が佐原駅で降りていた。先ほどの中学生も一緒に降りたが、かわいそうに外国人で混んでいる有人の改札口に一人で行列の最後尾に並んでいた。
私は改札口を抜けると真っ先に正面にある観光地図に歩み寄った。線路沿いを歩き、小野川に沿って歩けば自ずと利根川に出ることをなんとなく確認した。
駅前の市民会館では柔道着を着た中学生たちが寒さに震えながら会館の通路を裸足で歩いている。なるほどさっきのIC紛失中学生はここで試合をするのか。あの青い顔から察するに試合どころじゃないだろうな。はい教育的指導!
佐原と言えど駅前は過疎化が進行していた。時計が昭和で止まってしまったかのような古い看板がそれを物語っている。
決して柄が良さそうではないおじさんが丁寧に愛車のリンカーンコンチネンタルを磨いている。おじさんの脇を抜けてしばらく歩くと運河が見えてくる。これが小野川だろう、周りの景観がガラリと変わる。確かにここからは小江戸だ。川を遡ればもっと本格的な小江戸巡りが出来るだろうが、観光に来たわけではないので小野川に沿って歩き、利根川を目指した。
それでも風情のある景観のなか、遊覧船がゆったりと往き来している様はなかなか見応えがある。
青年団が山車を囲んで何かの打ち合わせをしているが、佐原財政の潤沢さが健在であることを思い知らされる。利根川沿いの町を歩いてきて、若者の団体を見たのは初めてかもしれない。
賑やかな川の景色が少しづつ寂しくなっていくにつれ、利根川が近づいているのがわかる。
川淵に並んで休んでいる鴨が私が通るたびにシンクロ選手のようにつぎつぎと川に飛び込んでいく。寒いなか申し訳ないが、彼らは「ひゃっ寒い!」なんて顔は見せない。私を直視してはいないが、視線のどこかには入れていて距離感を伺っている。
川沿いを歩けば利根川に辿り着くはずなのだが、途中から川とは反対側に高い土手が現れた。気になる。この土手の向こうに何があるのか、民家の裏にあるので登れない。
やがて大きな水門が見え、小野川は終わり、利根川と合流した。
利根川の土手に上がり、辺りを見下ろして愕然とした。川岸はリアス式海岸のように複雑に入り組み、私の歩いて来たすぐ横を利根川が流れていた。つまりあの高い土手は利根川の土手だったのだ。細い湾に沿ってUターンを強いられた。利根川をさらに進むためなので仕方がない。前もって地図で確認しておけば避けれただろう。
入江の向こうに道の駅「水の郷さわら」が見えてきた。遠くから見ても結構な人混みだったので入るのは諦めた。
船だまりに作業船が停泊してあり、網を張ってゴミを溜めていた。ゴミをよく見ると鳥が結構な数死んで浮いていた。
道の駅の水辺のテラスでは白鳥が優雅に泳いでいる。あれが前回来たときに神崎の農家さんが教えてくれた客寄せパンダならぬ客寄せスワンか。
道の駅の賑わいを抜けると佐原は終わり、町は静けさを取り戻す。
しばらくは川沿いを歩いていたが、景色が変わり映えしないので思い切って線路に向かって歩いてみた。踏み切りを渡り、狭くてうねる小径の続く集落へ。この辺りの家は古いながらも屋敷の作りも立派で、垣根がしっかり手入れされている。見ていて壮観である。しばらくこの裏道を歩くが、人の気配はまったく無い。
不意に後ろから車の音がしたのだが、私を追い越すそぶりもない。振り返るとその車は左折して行き止まり、バックしていた。そして、今度はヨタヨタと私を追い越し、右折して行き止まりに突き当たりまたバックしている。なにかを探しているようにも見えるが、全くあての無い運転にも見える。運転席と助手席にはアラブ系の外国人の男性が乗っていた。この辺はお年寄りの農家が多い。外国人の若者がなにかの用事で訪れる可能性はゼロに近いだろう。かなり怪しいので、とりあえずナンバーが見える車の背後を撮影した。何事もなければいいのだが。
まぁ、かく言う私も側から見れば充分に怪しい。
地図を見ず、道に任せて歩くとまた成田線の線路を渡り、利根川に向かっていた。手作り感のあるかわじり橋バス停を通り、再び銚子街道に戻ると川の方角に鳥居のてっぺんだけが見えてきた。どうせ暇だし見に行くことにした。
まずは土手の手前に常夜燈が置かれている。昔、夜間の舟の往来の目印になったそうだ。そして土手を登ると川岸に立派な鳥居が建てられていた。鳥居の全景が見えたらなんとなく気が済んだので、再び駅に向かって歩きはじめた。
そこからは利根水郷ライン(国道356号)の一本裏道を歩いた。変わり映えのない用水路と民家が続く同じ景色に途中で飽きて、国道356号に出るとすぐに香取駅の入口交差点に出てしまった。
駅は香取神宮を意識したのか、見てるこっちが恥ずかしくなるような真っ赤な駅舎だった。
シャア専用かよ。
しかし、ここを私のデザイン学校の旧友、高岡くんが利用していたのかと思うと感慨深い。いま、どうしているだろうか。
彼は所謂田舎のヤンキースタイルで、ボンタン風ケミカルウォッシュのジーンズにデッキシューズのカカトを踏んでいた。オールバックでたっぱが高く、いつもシベリアンハスキーのような目をして遠くを見ていた。
彼は不思議と女の子にモテた。クラスで一番可愛い派手目な娘に告白されていたのを目撃してしまった。それでも彼は興味無さそうだった。ガールフレンドをここ香取に残してきたのだろうか。
いつも授業中はシャコタンのイラストをノートに丁寧に描いていた。
13時15分に香取駅に着いた。予定より1時間以上早い。時刻を見ると13時40分に佐原行き、続いて48分に成田行きが来る。佐原行きに乗っても仕方がないので、成田行きが来るまで30分以上待つことになる。待っている間に駅前を散策しようかと思ったけど面倒くさいからやめた。
待合室でひたすらに時間を潰そう。そのために本は2冊持ってきている。低解像度の写真データをカメラからスマートフォンにコピーしたり、今日のメモを取ったりしていると、意外とあっという間に時間になるもんだ。
13時40分の電車を見送ったあと、ハイキングのおばちゃん2人が騒がしく待合室に入ってきた。香取神宮に行きたいからこの駅で降りたらしい。すると地元のオババがここからなら30分は歩くという。「あんたらの足なら大丈夫」となんの裏付けもない太鼓判を押してるが、おばちゃん2人は心配そうだ。するとオババは佐原駅なら直通のバスがあると言う。今降りたあの電車が佐原行きだったのだ。「8分損したね」とオババはつぶやいた。こんな田舎で行き当たりばっ旅するからこうなるのだが、正直8分なんてどうでもいいレベルだろうに。
駅の壁には昨日逮捕された指名手配犯の桐島聡のポスターがまだ貼られていた。
13時48分成田行きの電車に乗る。ガラガラの車内だったので自由に席が選べた。なにせこの電車は、あの東の最果て銚子からわずか8駅でここ香取駅に来るのだ。混んでいるはずがない。
成田駅に着くと時間を余した。なにせ津田沼駅のスシローに17時に待ち合わせである。ここは念願の立ち飲み屋、成田の「寅屋」へ初訪問することにした。
間口の狭い引き戸を開けるとお客さんが一人出てきてすれ違った。満員だったがラッキーなことにそのお客さんとすれ違いで場所が空いた。「ちょっと、待ってて」と言われたと思う。店内がガヤガヤしていて聞こえなかったのだ。しかし、私もこの世界に精通している。大体、雰囲気で分かるのだ。こういう時は無闇矢鱈と動かない方がいい。
しばらくすると店員さんが私のスペースを片して案内してくれた。
私は正面の壁に書いてある金宮ハイボールを頼んだ。酎ハイだった。そして、店員さんをよく観察しながらここぞというタイミングで「ハツとカシラを塩で!」とハリのあるヴォイスで注文した。焼き上がるのを待っていると手持ち無沙汰になるのでガツ刺しも頼んだらすぐにきた。ガツ刺しはピリ辛の胡麻油風味でしょっぱかった。これは正直外した。
両隣り、左側はスーツケースを持った私と同じ一見さん、右側は梅割りを辛めで頼む若い常連さんだった。梅割りとは焼酎を梅シロップで割る呑みかたで房総のお店ではよく出てくる。
かなり強いので撮影帰りの私にはキツい。
しばらくするとハツとカシラが2本づつ、計4本出てきた。え?と思ったが、確かに貼り紙に「一皿二串」と書いてあった。串ネタも大串の部類なのでこれでかなり腹パンになって他のメニューにはいけなかった。
それより気になるのは頼んだ金宮ハイボールの炭酸が半分だけ余ってしまった。コワモテの店員さんに恐る恐る聞いてみると「焼酎ナカ」だけのおかわりができるらしい。店員さんはコワモテだが天使のように優しかった。この金宮ハイボールを3セット、かなり酔っ払って店を出た。
店に入った時は真っ昼間だったが、店を出ると陽は少し傾いていた。
帰ってからスシローを食べられるだろうか。