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鮮魚街道七里半[三巡目]#1

-利根川から江戸川まで-

 江戸時代から明治初期、銚子で水揚げされた魚をなるべく早く江戸まで運ぶため、利根川と江戸川を陸路で繋いだ鮮魚街道(なまみち)をめぐる旅の三巡目。

鮮魚街道MAPハガキ

布佐→浦幡新田
二〇二二年三月一九日(土)
一二時三〇分。

 三度この地に舞い降りた。
 千葉県我孫子市JR布佐駅。

 三巡目からは、電車やバスや徒歩など使わず、電動ママチャリでラクしたいと思っていたが、シャープペンシルの芯ほどの容易く折れそうな心を奮い立たせて、電車を乗り継ぎここまで来た。
 本当のことを言うと一度鎌ヶ谷大仏駅まで自転車で来たら友達から呑みに誘われて、そのままUターンして帰った事がある。
 自転車だと移動は便利だが、こと写真撮影に至っては、ほとんど不向きな移動手段である。走っていて目立つ被写体にしかカメラを向けないし、被写体を見つける→ブレーキをかけて自転車を止める→カメラを構える、までの動作に時間がかかるので、タイミングが悪くて結局撮れなかったり、撮ることを躊躇してしまうからだ。

 それにしても、近頃めっきり写真を撮る機会が減ってしまった。テーマをいつでも撮影可能な身近な場所に変えてコツコツと撮り続けてはいるが、ひと月でせいぜい5時間ぐらいしか写真を撮る時間を作れていない。だが、今日は違う。オカンはショートステイ嫁と娘はディズニーランド、またと無いこの好機、逃すわけにはいかない。
 だがしかし、食器洗い、洗濯など、早朝から遊びに行ってる嫁から課せられた理不尽なタスクを黙々とこなしていたら、お昼に届こうかという時間になってしまった。電車の乗り換え検索をすると地元駅から布佐駅まで丸々1時間かかってしまう。布佐は、ほぼ茨城県の県境に位置するので、同じ千葉県内といえども船橋から布佐までは遠いのだ。

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 仄暗い布佐駅を出て、とりあえず利根川に向かいゆっくりと歩き始める。昼時だからか、通りに人影はない。まだ通ったことのない道だけを選んで歩いていたら少し迷ってしまった。
 そんな時はナリタヤ食彩館を探すといいだろう。この町のどこからでも見れるってほどではないが、何もない布佐にとって、唯一のランドマーク的な建物だ。
 ナリタヤ食彩館まで来れば、利根川は目の前にある。ナリタヤの駐車場を横切り、交通量の多い国道三五六号を渡る。ちなみに利根川に沿って続く、この国道三五六号線を東に東にと進むと世界の東の果て、あの銚子岬にたどり着く。

 アントニオ猪木のアゴのような利根川の土手を上がりながら、この三度目の鮮魚街道撮影行の正式な出発地点をどこに設定するか考えた。
 いつもなんとなく利根川沿いにある布佐観音堂から、それこそなんとなくスタートしていたが、そもそも舟から馬車に鮮魚を積み替えるので、この辺に船着き場があったはず。そんな歴史の痕跡の欠片をスマートフォンで探すと「網代場跡」という標を見つけた。恥ずかしい話しだが、三巡目にして初めて見つけた。ちょうど布佐観音から川に向かって真っ直ぐ、土手の上にそのマークは表記されている。GPS機能を使いながら網代場の正確な位置を調べて歩くも、河口から●キロという表記の石標はあったが、特にモニュメントらしきものはなかった。
 土手を降りて川に近づくとぬかるんでいて危ない。ヘビとか出たら嫌だもんね。
 しかたがないので、三巡目は、ここらへんから鮮魚街道をスタートした。これから続くであろう、苦しくそして険しい松戸までの冒険のなんとなくな始まりである。

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 時折、雲間から強烈な日差しが降りてくる。しかし、天気はこのあと下り坂だったはず。カメラを構えて気がついたのは、終始真逆光である。
 慣れない露出補正をしながら、西へと西へと先を急ぐなか、古ぼけた薬局の看板を見つけた。なかなかデザインがレトロなので撮影していると隣りの母屋からスキンヘッドのおじいさんが訝しげにこちらをじーっと睨んでいる。センチほど会釈をしてそそくさと歩き始めた。しかし、いつまでたってもおじいさんに睨まれている感じがして、ふと壁を見るとスキンヘッドのおじいさんのポスターが貼られていた。

 おじいさんは我孫子市の市議会議員だった。

 ダンプが私の肩ギリギリ横をかすめる、歩道の無いデンジャラスブリッジを渡る。デンジャラスブリッジにはちゃんと名前があって、関枠橋という。今、私はたまたま左側を歩いていたのだが、これがもしも右側を歩いていたらパーンと簡単にダンプに轢かれていただろう。そのぐらいタイトな橋なのだ。
 この橋を命懸けで渡り、一本目の角を右に曲がると鮮魚街道の続きである。もう三度目ではあるが、のどかな田園風景が広がる私のお気に入りのエリアである。冬に一度枯れた田んぼは再び掘り起こされ、湿った黒い土が剥き出している。へりは綺麗に固められ、まるで、ろくろで成型された粘土のように整えてある。

 雲雀がいつまでもいつまでもさえずり続け、春の訪れを告げているが、なにせ今日は暑すぎる。春どころではない。今日は夏日だというが、私にはもう一つ暑すぎる理由がある。
 それは、革ジャンを着ているからだ。ひと月ほど前に内ポケットの修理を近くのクリーニング屋に出してあり、仕上がりを受け取りに行って、また家に持って帰る時間がもったいないので、そのまま着ている。雨の予報なので寒くなるだろうし、ちょうどいいかと思いきやこの強烈な日差し。風を通さない特性のライダースJKと言う服は、歩けば歩くほど暑くなり、かなりしんどい。そして革なので重く硬い。撮影パフォーマンスは激落ちである。

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 門構えの立派な農家が並ぶ道なのだが、前回、「不審者に注意!」という旗が引っ切り無しにたなびいていて、私のような不審者には、たいそう居心地が悪い道だったのだが、その旗は半分に減り、残り半分は「飲酒運転根絶!」に代わっていた。反抗の象徴であるライダースJKを着た私は今回も明らかに不審者ではあるが、飲酒運転はしていない。これから飲酒はする予定だが、運転はしないだろう。なので不審者の旗が減り、少しホッとした。

 発作という地域に入り、いよいよ本格的に見渡すかぎりの田園が広がると、私は父と母の郷里である秋田県の千畑村を思い出す。父親が田園の果ての果てを指差し「あそこまでうちの田んぼなんだぞ」と言い、その広さに仰天したものであった。しかし、父親の出自は訳アリで、大人になって分かった事だが、その田んぼは、確かに父親も子供の頃に畑仕事を手伝わされ、一生懸命開拓した田んぼだが、父に捨てられ母子で身を寄せた叔母の家の田んぼであった。

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 一巡目、二巡目と飲酒運転根絶!の旗以外には、とくに変わりのない景色だが、街道脇の空き地に捨てられた多数の廃車たちが片付けられていた。治安や環境は良くなるのだろうが、朽ちた九〇年代以降の車を見るのが好きなので少し残念ではある。
 近くの運動公園からは陸上競技のラップタイムを告げるアナウンスが風にのってひっきりなしに聞こえてくるので、心なしか自分の歩調もはやくなる。
 鮮魚街道唯一の畦道に入ると、遠くでどこかの父と娘がゆっくりとサイクリングを楽しんでいた。車通りのない真っ直ぐ続く道は自転車ビギナーには良いコースだろう。
 まったく長閑で贅沢な時間を過ごしているが、写真の撮れ高は無いに等しい。

 急勾配の坂道を上がり、印西市の田園ゾーンは終わりを告げる。坂を登り切り振り返ると、眼下には果てしない田園が広がっていた。良くぞまぁあの辺からここまで歩いて来たのかと遠くに見える布佐辺りを見て自分に感動する。

 ここから一度木下街道と合流し、もう一度一本裏の鮮魚街道に潜り、また木下街道に出るのだが、今回は面倒なので、そのまま木下街道を歩くことにした。おいおい鮮魚街道を撮るんじゃないのかよと言われそうであるが、よっぽど詳しい人間じゃない限り、どっちがどっちだか分からないだろう。カメラをぶら下げている以上、撮れ高が全てなのだ。
 しかし、その選択は大失敗であった。やはり木下街道は狭いし、交通量が多いし、ダンプやブルが極悪同盟よろしくプシュプシュ言わせながらすれ違う。生きた心地がしない。ギブ。いつもよりかなり手前で木下街道を降り、千葉ニュータウン中央駅に向かうことにした。

 グーグルマップを見ながら、駅までのまるで土地勘の無い道を歩く。布佐からもう一〇kmも歩いている。いよいよ右足の付け根が痛み出した。
 いま、恐ろしいのは行き止まりの道なので、注意深くスマートフォンで地図を見る。逆に行き止まりさえ無ければ景色なんてのはどうでもいい。写真なんぞとっくに撮る気が失せていた。
 果樹園の遥か彼方にビル群が見える。それが千葉ニュータウンだ。なんとか知っている道までたどり着いたが、これ以上歩けないと思い、公園2つを斜めに横切る作戦に出た。これが功を奏し、かなりの距離を稼いだので、公園のベンチで休むことにした。 

 梅が見頃なのだろうか、散歩をするジジババが後を絶たない。まるで関所のようにジジババをベンチでチェックしながら十分に足を休め、駅までもう目の前まで来ているので一気に攻めた。余力を残さず、ギリギリの脚力で千葉ニュータウン中央駅にゴールした。

 そもそも私は脚力が無い。ヤットデタマンばりの扁平足なのだ。大正時代なら兵役を免れていただろう。この扁平足がなければ撮れ高は飛躍的に上がり、行程の後半も踊るようにスナップを楽しんだことだろう。

 いつもならこの後は珈琲屋でメモを取りながら茶をしばくのだが、今回は帰る途中の駅にある立ち飲み屋に向かった。ライカを持ったら酒は呑まない呑まれないという自分への戒めは、撮影後の酎ハイというご褒美にいとも簡単に破られた。しかし、やっぱり一人で呑むのは寂しいので、地元の友達一人一人にLINEで店に来るように伝えた。

 まるで和田あき子のように。

 それから1時間ほど待つと、いつも行く馴染みの床屋さんだけが来てくれた。彼は対人スキルが異常に高いので、初見の店なのに常連さんの輪の中に颯爽と飛び込んで行った。現役サーファーである彼は波の乗り方を知っていた。ここだというタイミングでテイクオフし、ローカルたちと打ち解けた。
 僕はカウンターすぐ後ろのカップルが大層本格的な一眼レフカメラを持っていたので話しかけた。なんと彼氏さんの趣味が写真で、彼女に今まで使っていたカメラをあげて、自分は新しいカメラを購入したのだそうな。同じ趣味を持つ「羨まアベック」である。

 まん防が明けて日の浅い店はカオスの渦になっていた。様々なお客さんと肩を組み、写真を撮りあったが、誰が誰だかビタイチ覚えていない。気がつけば家の布団で大いびきをかいていた。

 次はいよいよお待ちかね、地獄の白井市エリアが待っている。いつ行けるだろうか。

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