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第48回全国高等学校総合文化祭演劇部門 / 第70回全国高等学校演劇大会感想まとめ
2024年の夏に岐阜羽島で行われた高校演劇の全国大会に行った際に、Twitterで投稿していた自分の発言をまとめました。
自分のポストをまとめながら、Twitterだと文字数が少ないから色んなことが取りこぼされているなという事に気がつく時間を過ごしました。
全国大会に関してはポッドキャストでもかなりガッツリと色んなことを話したので、ぜひ聴いてみてください。
講評審査委員のジェンダーバランス
専門審査員
男性 : 3人
女性 : 1人
顧問審査員
男性 : 1人
女性 : 2人
7/31(水) 1日目
九州ブロック代表 鹿児島県立伊集院高等学校
「仕事のお父ちゃん」
上演時間が1時間なので全てがそうではないが、作品の手触りは確実に「The Bear」だった。そしてそこに加害者支援という視点が入ってくる。人は変われるが、それは決して1人の力で達成できるようなものではないというのが明確にあった。
劇の冒頭で明確に表現されていたように、強い口調且つ番号で呼ばれる受刑者に対して、穏やかな口調且つ名前を呼びながら話しかける。加害者支援には色々なものはあるが、それは紛れもなく加害者支援の1歩目。それがあった上で話が進んでいったことに物凄く期待感が膨らんだ。
加害者支援の場における公的な支援(特にコミュニティを中心としたTCのようなもの)が不足しまくっている昨今において、そこを担うのが民間でいいのか?という公的な支援の在り方みたいなものに目配せができればもっと良かったなと思いつつ、1時間という上演の中では十分すぎるくらいだったとも感じてる
それと、加害者の多くが犯罪を犯すしか無いと思ってしまうような現実で生きてきたが故に、結果的に加害者になってしまったという状況と、そうやって生まれた加害者とは同じ人間ではあるが混同してはいけないという部分が描かれていたのが本当に良かったです。
折角名前を出したので、作品のURLをツリーに追加しておきます。邦題が酷いですが、本当に面白すぎるドラマです。
Disney+「The Bear」
中国ブロック代表 山口県立下関中等教育学校
「レベル1の勇者」
やたらと暗転が多いような気がしたけれど、あれはゲームのロード画面を意識していたのだろうか。暗転がダレる部分もあったけれど、比較的ちゃんとそういうシーンとして機能していたのは良かった。
これは自分が気がつけていないだけかもしれないのであれだけど、もっともっと色んなゲームやアニメの引用や目配せをしていって良かったと思う。物語の中心にドラクエがあったから仕方ないけど、結局ドラクエの印象ばかりが強くなってたかなとは思ったり。
あと、こういう上演ならもっと固有名詞使った方が笑いも大きくなりそうだし刺さりそうだなとも思った。とはいえ、ラストの『子どもにはわがままという必殺技がある!』という台詞は凄く良かった。この作品だからこそ出せる台詞だった。
※観た直後はあまり好感触ではなかったけれど、全国大会が終わってから時間が経った今、ジワジワとこの作品に対する染み染みと良かったと感じる想いが高まってきてます。
(2024年12月時の感覚)
北海道ブロック代表 北海道帯広三条高等学校
「つぶあんとチーズ」
登場人物たちが黙ったシーンの後、次にこう来るだろうなみたいな展開が思い浮かぶ。だけど、そんな展開は全て外され。そうした瞬間、自分の想像はフィクション作品としての気持ち良さみたいなものに準拠したものだと気がつく。
だけど本当の人と人との間で交わされるコミュニケーションや行動はそんなものではなくて、フィクション作品を見る上でいかに自分がカスタムされた視点を持っていたかとハッとする。そして、生きた言葉と行動だからこそ生まれる生きたグルーヴ。凄すぎた。
会話の中で起こるグルーヴは他の人からしたら起こっていないように見えても、当人たちの間では起こっていたりするもので、この作品ではそれが"当人たちの間で確かにグルーヴが起こっている"という認識として観客に共有された。それが本当に凄い。
2人だけの間で交わされていた視線は、いつの間にか先生を、祖母を、アンパンマンを、松たか子を、X JAPANを通したものに変わっていく。だけどそこで交わされる言葉は全て自分とあなたに向いた言葉で、見ていなくても視線の先に自分とあなたがいる。これはもうロロがいつ高シリーズで辿り着いた場所。
序盤に日本語詞で使われた「let it go」がラストで英語で用いられたのも、本当に素晴らしかった。日本語詞は優しく開放的な"ありのまま"という言葉を使うものの、それは同時に観客に向けた言葉として大きく意味を内包し得る言葉ではなくなってしまった。だからこそラストは英語詞だったのではと感じた。
本来「let it go」は解放の歌であると共に、過去に受けた抑圧に対しての怒りの歌でもあるのだ。それに、少しも寒くないわけじゃなく、寒さはあるけど平気だと言っている/言い効かせているのだ。誰もが知っている曲をキャッチーに使いながら最上の効果を出す使い方。本当に凄すぎる。
こんなに色んなものを効果的に使ってめちゃくちゃ高い熱量を保っているのに、ステージ上で行われているのはお金と食券の数を数えることだけ。引き算の芸術過ぎる…
開催県代表 岐阜県立長良高等学校
「星観る者ども」
別の3つ時代の様子が交差しながら展開していく舞台だったけど、その時代の転換をする颯爽さは目を見張る物があった。ただ、物語的にはその3つの時代が交差することに必然性をあまり感じられなかった。それぞれの位相が異なるのもあったので。
自分はその部分がハマれなかったからずっと歯車合わなかったけれど、ポイントポイントでの動きの統制の取れ方とか、舞台美術の見せ方とか、逆に余白の取り方とか。そういう部分には何度もグッと魅せられた。
中部日本ブロック代表 高田高等学校
「色々々々々々々」
『多様性(笑)』みたいな事を言っている人に対する明確すぎるほど明確なアンチテーゼを突きつけた作品。とはいえ、そう言って笑う人の中にだって当事者はいて、自らの手で自らの首を締めるよなことを平気で行ってしまっている現実がある。
そんな風にして孤立したモモみたいな人は沢山いるよなというある種の実感みたいなものと共に観ていた。結局それは自らが"尊重されるべき存在"として社会から見られていないから自らに対しても無意識の内にそう感じてしまうし、それが表に加害性という形で発露する。
彼女たちの半径の中で行われる事は学校という狭い関係の為彼女たちの中だけで完結してしまうけれど、フィクション作品であるならば正直それはどうにかして欲しかったなと、希望も込めて思ったり。NPOこそ出てきはしたものの、怒る対象が違うことにもっと目配せがあっても良かった。
彼女に必要なのは突き放されて救いの無い場所に放り出されることではなく、あくまで誰かからの適切なケアと公助なのだから。
ただ、いたずらに誰かに責任を押し付ける行為は無責任と呼ばれて然るべきだろう。だけど、自分が望まぬ結果で置かれた現状に対する不平等に対しては自己責任で片付けるべきでは絶対にないし、それを作り出した構造に対してちゃんと怒りを向けるべき。
※内容のベクトルは異なりますが、孤立してしまう状況に陥った子どもを、尊重されるべき/守られるべき存在として社会はどう眼指すか、という部分に物凄く誠実に向き合っているドラマです。
「あの子の子ども」
8/1(木) 2日目
九州ブロック代表 宮崎県立宮崎南高等学校
「学校の片隅で、数式を叫ぶ」
教師が教師としてではなく、人と人との関わりの中に1人の人としている感じが良かった。別に教師とて完璧な人間じゃないのだけど、学校という立場だとどうしてもそれって見えにくくなっちゃう。その前提がある種無い世界線。
それはとても優しい世界で、フィクション過ぎるくらいフィクションだからこそみたいな違和感があったのも事実。でも、優しくて何が悪いんじゃとも思う。
ただ、先生の苦しみが他者の行動に対する責任だったけど、そこに対して負いすぎる必要は無いともっと時間をかけて言っても良かったかもなと感じた。
他者の行動の責任を過度に負いすぎることは、自分を潰してしまう以外の何ものでもない行為に他ならないし、あくまでそれは優しさとは全く異なるものだから。
関東ブロック代表 千葉県立松戸高等学校
「私達の、小さな物語。」
関東大会の時にも思ったけど、とにかく表層的な表象が次々と出てきて、それに対して特に何もないままに物語が進んで行くのがなんだかなという感じ。あと、表層的に語ることと現状認識を曖昧にすることとが混同されているのもツラい。
これは確かに関東大会の時にも書いたけど、玉子を用いて戦争を説明するシーン。あれは黒と白で明確に黒人と白人を表していると思うけど、それに対する出力がイーブンみたいな感じなのが本当に最悪。そもそもの前提が違うし、それを語りたいのであればその直前で勝敗の事を『白黒』と言うのは絶対に違う。
もちろんこの物語がそういうものを全て飛び越えて理想を語ってそこに向かっていきたいというのは分かるけれど、だからといって現状把握ができていない上で語られる理想は理想として機能しないのではないだろうか。理想はこれからの未来に向けて今を生きる我々が造っていくもの。それがまず前提。
そしてこれを大人が書いて、それを高校生が演じているという構造がキツい。大人が皆聖人君子でも正しくも無いということは重々承知しているけれど、それでも正しくあろうとすることくらいはして欲しい。理想を語るなら、それこそが大人が背負うべき責任だから。
東北ブロック代表 青森県立青森中央高等学校
「駆込み訴え」
勢いみたいなものは物凄く強く存在しているんだけど、物語の駆動は決してそこに預けていなくて、誰がどう物語を駆動させていくのかという部分にとても意識的なように感じた。物語の力があってこそ動く物語の力みたいなものが確かにあった。
とうきょう総文の時も思ったけれど、大きい音の使い方が上手いよね。大きい音がただ大きい音として以上の付加価値がちゃんと付けられている。こういう意味付けを新たな文脈を立ち上げるように自分達で作れるのが"技"という感じがする。
近畿ブロック代表 兵庫県立播磨工業高等学校
「廻る」
演劇で描かれている場面はその人の人生の中のほんの一部で、我々はただその一部分を観ているだけという絶対的な事実がある。その上で、その瞬間以外にも留まることを知らない時の中にその人が今その人たる理由があるという事を突きつけた。
たった1時間程度の上演でその人の事を分かった気になんて絶対になれないと改めて思い至らされるような上演だったし、そう見せるための会話の前提を排した会話みたいのも見事だった。その場にいない誰かに話を理解させるための説明がないからこそ、会話の輪郭があまりにも明確だった。
観覧車という必然的に少人数で乗って向き合った会話をする場所だから生まれるコミュニケーションを、ちゃんと男性同士で斜に構えずやっているのも本当に良かった。プレゼンテーションではなく、ちゃんとコミュニケーション。男性表象としてあまりにも嬉しい描き方。
これに対して意識的だったかそうでないかは正直全く分からないけれど、意識的であったならその意識があるという事が嬉しいし、無意識的ならこれが当たり前のものとしてそこにあるという事実が何より嬉しい。男性同士が取るコミュニケーションの未来はきっと明るいものがあると思えて信じられる。
関東ブロック代表 目黒日本大学中学校高等学校
「ごめんね、ごめんで!」
相変わらずテンポが早く序盤の聴き取りづらさはやっぱり気になるものの、やっぱり話は面白すぎた。偶発的な要素であるものの、主役の俳優が変わったということもトシちゃんの記憶を受け継ぐ一要素になっていた。
年代の転換時にその年代の単語が羅列されていくの、銀杏BOYZの「ぽあだむ」的感覚を思い出した。社会のこと云々ではなく、極端に個人的な事にフォーカスしているあの感じ。コロコロコミックと戦争とお笑いが同じ土俵にある地平。個人事を語るってこういうことから始まるよなと。
※『涙は似合わないぜ男の子だから』という歌詞は正直あれですが、それはこのアルバムが生まれた過程に関わることなので、興味がある人はぜひ調べてみてください。
「銀杏BOYZ / ぽあだむ」
8/2(金) 3日目
四国ブロック代表 徳島県立城東高等学校
「その50分」
昨年最優秀賞を受賞した「21人いる!」でもそうだった。城東高校が描いているのは、戦争と虐殺。そこで犠牲になる人々がどんな人か。それだけを、現在の社会状況と重ねて、高い純度で見せる。また今年もとてつもないものを見た…
この作品が作られたのは昨年のことではあるけれど、日に日に対立が強まっている今、「THE BOYS」や「HOUSE OF DRAGON」のようなドラマと共振するような絶対的な強さがあった。そして、これらのドラマと同様に、この作品の焦点はガザで起こっている虐殺に向けられる。
ガザでは、イスラエルによって無実の一般人が集う学校が、病院が、その他にも色んな施設が破壊され、沢山の人が亡くなった。それを象徴するかのように、血で滲んだ布、焦げ臭い空気が充填された風船、文化祭の準備で用いられていた道具は姿そのままに虐殺の跡として記録され、その場に立ち現れた。
学校という小さい空間の中でさえ起こってしまった、争いへの煽動。それを止める為には1人の力はあまりに非力で、輪の中にいる人達には届かない。この作品はその前提を持ちつつ、そこからだとしても、声を伝える方法を模索した。それこそが、フィクションの力で、前述したようなドラマとの共振だった。
劇中のラスト、舞台上にいた登場人物たちが会場後方に向けて走り出してきた。その瞬間、今まで舞台上で繰り広げられていたフィクションが客席に延びるフィクションとなり、登場人物たちの発する声と表情と熱量が、ノンフィクションになった。
最初の問いに戻ろう。本作の中で起こった虐殺で、本作の外で今なお起こっている虐殺で、犠牲になるのはいったい誰なのか。それを、私は間近で目撃した。フィクションだからこそ伝えられる事があり、フィクションだからこそ伝わるものがある。知識だけではなく共感を伝える作品だった。
今会場内にいて色んな声が聞こえてくるのだけど、この作品の感想を語る時に『思想が強い』みたいに言っている人がいたのだけど、それは相当マズイことだと認識して欲しいですね。
開かれるのではなく、閉める時の音や勢いによって分断を強化していた窓やドアの効果的な感じよ…
舞台装置ってそういう使い方もできるのか…
※Amazonプライムビデオで配信されているドラマ。現在S4が配信されたところで、物語は次のS5で終了。強めのゴア描写が随所にありつつ、ポリティカル・コレクトネスがどういうものかを最も理解して制作されているドラマで、常に社会を映しているドラマです。
「THE BOYS」
※言わずと知れた大名作「GAME OF THRONES 」の正式な前日譚。圧倒的な力を持つドラゴンと、それを従えるターガリエン一族の血の話。戦争、世襲制、それがいったい何をもたらすかをファンタジー世界の圧倒的なクウォリティと共に観れます。「HOUSE OF THE DRAGON」
関東ブロック代表 東京都立千早高等学校
「ちんぷんかんぷんぷん」
彼女たちの3年間をずっと見れていたわけではないけれど、それでも、断片的には彼女たちの3年間を見てきた者として、この舞台を観れて本当に良かった。もう一寸の迷いもないくらい、モストフェイバリットです。
書きたいことがありすぎて、140文字でも2200文字でも全然書ききれませんが、取り敢えず2200文字で一旦書きました。
ファミレスで1人泣きながら書いた。
講評委員講評
全体総括
・1個人が観終わって今思うこと
・講評が絶対じゃない。取捨選択してくれ。
鹿児島県立伊集院高等学校
「仕事のお父ちゃん」
・俳優が舞台上で生きていた
・台詞が多くなくても個々の人間味がちゃんと出ていた
・全体のアンサンブルが素晴らしい
・悪役の造形が典型的では?
・間が雄弁だった
・中外時の靴
・障子が最初からある違和感
・暖簾の文字
山口県立下関中等教育学校
「レベル1の勇者」
・5:55に起こされる台詞最高
・粗っぽさをやり切る気持ち良さがある
・ラストが唐突
・台詞がとにかく良い
・吊りバトンのスピードはプロじゃ絶対できないから凄い
・皆で楽しく話し合ってるのが分かるのが最高
北海道帯広三条高等学校
「つぶあんとチーズ」
・リアリズムの芝居で間がしっかりしていた
・緻密な構成があるから間が光る
・舞台装置のスカスカ感の無さが素晴らしい
・2人が装置に溶け込んでいる(とはいえどっちも正解!)
越光さんと原田さんの講評、あらすじと要素ばっかで且つダラダラと長いの酷い…
岐阜県立長良高等学校
「星観る者ども」
・演劇スペクタクル!
・観客の目に対する刺激の入れ方が変態!
・転換に唸った
・物語の重なりがもう一歩欲しかった
・オブジェクトが舞台装置になる華麗さ
・自作の衣装すごすぎ
・ビジュアル面は最高すぎ
高田高等学校
「色々々々々々々」
・NPOの加藤さんを見たシチュエーションは?
・大事な手紙を一生徒に渡すか?
→加藤さんの扱いをもっと慎重に
・色に拘った作り方に脱帽
・内容の重さと舞台装置のポップさの対比に救われた
・舞台装置にもっと深みが欲しかった
・虹のR(面取り)は良かった
宮崎県立宮崎南高等学校
「学校の片隅で、数式を叫ぶ」
・ナガノ先生登場前の前段にあった生徒3人の演技が良かった
・ナガノ先生の台詞が見事
・宮崎弁が良かった
→方言に在る地域性と文化性
・飾らなきゃダメではなく、芝居を活かす舞台装置こそが正しい舞台装置
千葉県立松戸高等学校
「私達の、小さな物語。」
・ツカミが上手い
・俳優の基礎力の高さが凄い
・人物のディティールがしっかりしてる
・各トピックが積み立っていなかった
・黒板のギミックに驚いた
・装置がブラッシュアップされていた
青森県立青森中央高等学校
「駆込み訴え」
・違う空間軸の見せ方が上手かった
・モモカの孤独がもっと際立つ位置だと良かった
・最後の晩餐の時に引き算で舞台を作ったのが素晴らしい
・メインの2人がとにかく際立っていた
・狂気のシーンが効果的だった
・雪が凄く綺麗に立ち現れていた
兵庫県立播磨工業高等学校
「廻る」
・関係性の相関図が見えにくかった
・俳優の声や顔が見えないのは惜しい
・動かない中ではあるけど、動いている観覧車を見せて欲しかった
・登場人物のカラーリングをすると見やすくなったかも
目黒日本大学中学校高等学校
「ごめんね、ごめんで!」
・"この人見てたい"が達成されていた
・時計回りに回る転換で時代を感じさせる演出が良かった+反時計回り
・ネガティブをポジティブに演じるからこその影が見えた
・トシちゃーーーん!!
・客席を本質的に巻き込んだ演出素晴らしかった
徳島県立城東高等学校
「その50分」
・全てで意表を突かれた
・擦りガラスの透過率がベスト
・潰れてしまう台詞が多かったのは残念
・観客の想像力を喚起する、それが出来ていた
・ガザの状況は今の自分達と地続きの場所にある。
・体験型演劇
・アイリンの独白後に顔が見たかった
東京都立千早高等学校
「ちんぷんかんぷんぷん」
・制作のプロセスがとても良いコミュニケーション
・自分に向き合う覚悟があった
・次年度以降で自分達が飽きないように希望も見たい
原田さんと越光さんほんと酷い…
特に越光さんの負の部分に向き合っていくと迫力が出る、って何?は?劇中で語られていた言葉が負の側面で無いのだとしたら、いったい何が負の側面なんだよ。このクソみたいな家父長制社会でそういう事を言って色んなことを矮小化してきたから、こういう苦しみがまだまだ残っているんだろうが。ちゃんと見てくれ。お願いだから。生徒講評の方がよっっっぽどしっかりしてた。いや、なんでこんな最後にブチギレなきゃいけないんだよ。
表彰式
最優秀賞
徳島県立城東高等学校「その50分」
優秀賞
岐阜県立長良高等学校「星観る者ども」
宮崎県立宮崎南高等学校「学校の片隅で、数式を叫ぶ」
青森県立青森中央高等学校「駆込み訴え」
創作脚本賞
鹿児島県立伊集院高等学校「仕事のお父ちゃん」
舞台美術賞
千葉県立松戸高等学校「私達の、小さな物語。」
内木文英賞
山口県立下関中等教育学校「レベル1の勇者」
審査員特別賞(演出賞)
徳島県立城東高等学校「その50分」
カルピス賞
北海道帯広三条高等学校「つぶあんとチーズ」
次年度総文祭
かがわ総文 演劇部門
日程 : 7/26(土)〜7/28(月)
会場 : サンポートホール高松
ゆるキャラ : 歩行難
今回のぎふ総文めちゃくちゃ楽しかったし満足したけれど、越光さんの千早に対する講評だけは絶対に許しません。今もまだ怒りは冷めないし、これからも怒り続けます。
終わりに
この感想を改めてまとめている2024年12月時点においても、越光さんの千早に対する講評に関してだけはまだまだ収まること無く怒っています。
高校演劇の運営に携わる大人(特にブロック大会以降)は、今一度どんな方に講評をお願いするのが本当に学校や生徒や作品の為になるのか本当に考えた上で講評委員の依頼をして欲しい。
越光さんがあの場で放った酷い言葉は、誰かからすれば本当に消えない傷のような言葉になってしまうような言葉だからこそ、私は一生越光さんという人を許すつもりは無いし、そうやって何回でも何回でも言い続けていくことでもう2度とこういう事が起こらないようになってくれればと思っている次第です。
来年の全国大会はもう少しまともな大人が並んでくれますように。祈りを込めて。