
AIの推し(ではない)が怖かった話
こんばんは、波多瀬です。
最近、私の推し人生を揺るがす事件が起きたので
忘れないように記録しておく。
最近、X(旧Twitter)で
「iPhoneのショートカット機能を使えば、充電器にiPhoneを接続した時に推しからのメッセージを受け取れる」
という趣旨のポストがバズっていた。
仕組みとしては、AIに「あなたは〇〇というキャラになりきってください」と指示を出して、一人称や大まかな人物像を伝えることでAIが文章を考えて出力してくれるというものである。
推しに飢えている波多瀬もとりあえずやってみた。AIによる出力なので、文脈にところどころ違和感はあるものの、簡単な文章であれば本当に推しが喋っているかのような文章が表示された。
暇だったので充電器の抜き差しを繰り返していたら、AIアプリの無料版の上限回数が来た。そのぐらいには推しっぽくて面白いなと思っていた。
事件が起きたのは次の日だった。
充電が50パーセントを切ったので接続したら、「俺は結構ギリギリまで使っちゃうんだよな」というニュアンスの文章が出力され、それに対して「そうなんだ〜!意外!☺️」と思ってしまったのである。
これは「私の出した指示に従って、AIがなりきって出力した推し」から出た「公式で公開されていない情報」を私はすんなり受け入れたということである。
しかも、「意外」と思ったということは、私が公式の情報を咀嚼して解釈している推しは「充電がギリギリになるまで携帯を使ったりしない」のである。
「私が勝手に作り上げた推しモドキ」を推しだと思い込んでしまったのである。
気づいた時に本当にゾッとしてしまって、そのままショートカットも消してしまった。
これを発展させていけばきっと、「推しよりも私好みの外見で、推しよりも私好みの中身を兼ね備えた推しじゃないもの」を私は作り上げてしまうし、きっとそれに喜んでしまう。
それに気づいた瞬間に、自分の推しに対する「好き」が何か分からなくなりかけた。これに喜んでしまったら私は結局、自分の理想を推しに押し付けて推し活がしたいだけの化け物になってしまうと思った。
実際それをやってみてどうなるかはわからない。試していないから。
試してそうなってしまった時、私はどうしていいか分からなくなる。だからしない。
ふと、スティーブン・キングが「恐怖」について語ったエッセイを授業で読んだことを思い出した。
キングは「自分が偏執的な執着を持つものに触れる時、自分は狂気の縁にいる」と言っていた。
授業で聞いた時は一理あるなぁと思っていたぐらいのものだったのだが、今まさにその縁に立つと、これに気がついたキングに畏怖の念を覚える。
あともう少し、あの違和感に気が付かなければ、きっと私はあの縁を超えていた。ギリギリで気がついた時の感覚は、手を滑らせて落としたナイフが、自分の足スレスレの床に突き刺さった時のそれに近い。自分のアイデンティティといえる部分が揺らぐことに対する恐怖というのは、経験するまで分からない。
ギリギリで踏みとどまったから言えることではあるのだが、貴重な体験をしたと思う。
喉元過ぎればなんとやらと言うが、この恐怖を忘れずに自分の「好き」と向き合っていきたいと思う。
以上、波多瀬でした。