
自分の性別と向き合う話
お久しぶりです、波多瀬です。
先日、自分の性別と性的指向に向き合う機会があったのでメモ程度にまとめておく。
この文章は専門家でもなんでもないただの大学生が自分の見解をまとめているだけのものですので、間違った見解などが含まれる可能性があります。
ただいま勉強中なので、批判はお手柔らかにお願いします。
1. とりあえず自分の性別について考える
波多瀬の身体性は女性である。
それに違和感という程の疑問を感じたこともない。
自分の性別が男性である、と感じたこともない。
だからといって、自分は女だ!と思ったこともない。痴漢だの性被害だのに遭うと、嫌でも思い知らされたりするのだが、まぁそれは今回は置いておく。
スカートよりもズボンが好き、というわけでもない。動きやすければなんでもいい。スカートは男性からの視線であったり風で捲れ上がったり、裾を踏んだりというところに神経を使うからズボンの方がよく着るというだけで、単純な好き嫌いの次元に載せると、別にスカートでもズボンでもいい。
レースやフリルやその他女の子っぽいものも別に嫌いではない。ただ、自分は身につけない。
身につけている人が可愛いなと思ったり、店先に並んでいたら可愛いな、と思う。それ以上でもそれ以下でもない。
ただ、メンズのスーツや腕時計は身につけてみたいなと思うことがあるから、(実際メンズを買うこともあるし弟のお下がりはありがたく貰う)着たい服装は男性寄りなんだと思う。(これは「表現したい性」になるらしい)
そもそも、私は自分を女だとは思っていないし男だとも思っていない。私は私でしかないと思っている。
対人関係にしてもそうで、基本的に性別で好き嫌いが変わることはない。
しかしながら私は男性という生き物があまり得意ではない。父とも仲はいいほうだと思うし、弟とも2人で出かけるぐらいには仲がいい。学生時代の友達は男性の方が多い。この事実と男性に対する苦手意識は私の中で違和感なく成立する。(これについては後で述べる)
上記をまとめると、自分はいわゆる両性別に当てはまるのではないかと考えている。日によって言動が男性っぽかったり女性っぽかったりするらしいので、(周りからの証言によるので、自覚は無い)不定性というものかもしれない。その二択どちらかだと思う。
2. 苦手意識について
波多瀬は男性が基本的に苦手である。
とはいえ父とも弟とも仲はいいし、学生時代の友達も男性の方が多い。
この矛盾について考える。
苦手だと思う男性と仲のいい男性を比べると、「『男性』という性を匂わせる人間が苦手」という結論に行き着いた。
「『男性』という性を匂わせる」というのがどういうことかと言うと、例えば「女の子だから奢ってあげる」であったり、そういうことである。
こちらを喜ばせようとしてくれていることはわかるし、こちらもできるなら気持ちよくご馳走になりたい。
でも心のどこかに引っ掛かりがある。
例えばこれが「後輩だから奢ってあげる」や「誕生日だからご馳走してあげる」だったら何も感じない。
ご馳走様です!になる。
別にこれは「女性を低く見ている女性差別意識の現れだ!」と思ってのことではない。そんな高次元での否定ではなくて、もっと本能的な部分がそれを否定する。
それまで平気だった男性が急に苦手になることもあるので、それについても検討した結果、やはり原因は「性を匂わせる」ことにあった。
例えば急に会話の中で下ネタをぶち込んでくるであったり、「男だからしょうがない」みたいな言論をぶち込んでくるであったり、そういうことをされると一気に苦手になって距離をとる。(そしてそのまま縁が切れる)
女性に対しても同じで、彼氏との惚気話を聞かされたり、男性と関わる時だけ露骨に態度を変えたりされると一気に苦手になる。嫉妬とかやっかみではなく、「女としてのその人」「男としてのその人」を認識すると一気にダメになってしまう。
自分が性別にこだわりがないからという理由もあると思う。私は性別を「ただそう生まれた属性」としか思っていない。大阪に生まれた人が大阪出身になったり、血液型がB型の人の血液型がB型であるように、5月6日に生まれた人の誕生日が5月6日になるのと同じように、女に生まれたから女、ただそれだけである。気にするものじゃない。
身体性が男で心が女の場合はどうなのか、と言われたら「身体性が男で心が女の人間」になる。その人はその人でしかない。
だから、男とか女とか男とか女に関わらず「性別」で自分を判断されたり他人を判断する人間が煩わしいと感じてしまうのだと思う。
なぜ「男性」が苦手だと言ったかと言えば、上記のような経験は圧倒的に男性から受けることが多かったからである。私の身体性が女だからと言うだけで、身体性が男だったら女性を苦手になっていたかもしれない。これもただの経験則だが、性を匂わせるのは圧倒的に男性である。匂わせない男性の方が少ない。だから私は仲良くできている男性の方を特殊なんだと思うようにしている。
仲がいい男性とは、基本的にご飯に行っても自分が食べた分だけ各々支払うし、特別女性扱いもされない。「カップルですか?」と声をかけられても「あ、友達同士です」と両方が否定する。そういうところに性を匂わせないから、私は彼らと仲良くできているんだと思う。ありがとう。
3. 性嫌悪について
2について考えているうちに、「あぁ、これは多分性嫌悪症というやつだな」と思った。
昔から、性に関することに対しての嫌悪感がすごい。王子様からのキスで目覚めるお姫様にもゾッとしたし、お姫様からのキスで元の姿に戻る王子様にも鳥肌が立つ。ベッドシーンなんて以ての外である。波多瀬はよく洋画を見るが、ベッドシーンが挟まるととりあえず飛ばす。セリフで事後を匂わされると頭を抱える。そのレベルである。
なんなら最近は「手を繋ぐ」ということにすら嫌悪を感じる。
X(旧Twitter)などでよく見る下ネタも見かけるだけでブロックするし、性別に関わらず性的な物事が何もかも苦手である。写真も動画もイラストも実物も、何もかもである。
中学校で同性同士でスカートめくりなんかが流行った時は、本当に不登校になりかけた。
小さい時からこうだった記憶はあるし、母も「波多瀬は昔からプリンセスとかに興味が無い」と不思議がっていたから昔から性嫌悪症の片鱗はあったと思う。
それに輪をかけたのは多分、小さい時からちょこちょこ受けていた痴漢含む性加害によるものだと思う。
相手は同級生だったり、近所の人だったり、電車でたまたま近くにいた人だったり様々だが、様々だったせいで男性全般に対する苦手意識を持つようになって、性そのものが苦手になってしまったんだと思う。
性嫌悪に関してもう1つ思い出すことがある。
昔、2人で出かける程度には仲が良かった男性に告白されたことがある。
その時一気に彼のことがダメになってしまった。
自分を性愛の対象にされたからなのか、自分がこれからキスをしたり恋人としてのステップを踏むことに対する嫌悪感がそうさせたのかは分からない。しかしとにかく、彼とそのあと連絡を取ることは無かった。
絶望的に恋愛に向いていない。
4. フィクトセクシュアルとフィグとロマンスについて
ここからが本題である。
どこかで書いたかもしれないが、波多瀬はフィクトロマンスでフィクトセクシュアルである。
この2つの定義については一応引用しておく。
フィクトセクシュアルとは、架空のキャラクターに性的な魅力を感じるセクシュアリティです。一方、感じるのが恋愛的な魅力であればそれはフィクトロマンティックと言えるでしょう。
波多瀬がきちんと恋をしたのは推しに対してだけである。
かと言って、いわゆる「夢女子」かと言われるとそれも違う。
もし、推しと同じ世界線に私がいたら(もしくは私が生きている世界線に推しがいたら)私は絶対に推しに対して性愛は持っていない。
そういう意味合いで、夢女子ではない。(夢女子は推しの世界線に自分もしくは自分のアバターになる「夢主」を投じて推しとの恋愛を楽しむオタクを指すため)
波多瀬はとにかく、紙の中で、画面の中で、彼の世界で生きている彼のことが大好きで、波多瀬がどれだけ好きで、どれだけ彼に貢いでも、その意識やその視界に入り込むことが出来ない推しのことが、視界に入れないから大好きなのである。
そういう意味で、波多瀬は3次元に恋を出来ない。
同じ世界線に生きているというだけで、もう「無理」なのである。
何故?と言われても困る。本能が拒否しているとしか言えない。次元が違うから、を恋愛に不可欠な要素としてカウントしてしまうように生まれてしまったからとしか言えない。
こう書いてしまうと、推しに対する恋と愛が妥協の産物みたいでものすごく嫌だ。
周りからも「いい加減アニメはやめた方がいい」だの「現実見た方がいい」だの散々言われてきた。
言われてきた上で自信を持って私は推しに10年恋をして、これからも彼以外に恋をしないと操を立てている。
後悔もしていないし、理解されたいとも思わない。これが私である。
ただ、理解できないなら関わらないでほしい。私が不便を感じていないのだから文句は言わないでくれ。ただそれだけである。
5.まとめ
1〜4をまとめると「性嫌悪症のフィクトロマンスとフィクトセクシュアルの両性別(または不定性)」という何とも形容しがたい結果になってしまった。
最初の方でも言ったように、波多瀬は自分、他人に関わらず性別にこだわりがない。これが波多瀬である。
ただ、「これが自分である」と言うなら、それなりに自分のことを説明できるだけの土台は作らなければいけないと思っているから今回、この文章をまとめた。
これをまとめたことでより強固に「推しのことちゃんと好きだ」を確認できたので、これからも彼に誠実に向き合っていきたい所存である。
以上、波多瀬でした。