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限界人間が推しに対する感情を整理した

※この記事にはややセンシティブな要素が
  含まれています。ご注意ください。

波多瀬です。
やらなければ、という気持ちはあったものの
出来ていなかったことをする。

波多瀬は言語化しないとまともに思考できない
タイプの人間である。
脳内で考えているだけだとごちゃごちゃして
最終的に何を考えていたのかすら
分からなくなる。

加えて、自分という人間をこの世で1番
信用していない。信用出来る要素がない。
唯一、言語化の能力だけは信じている。

以上の理由から、万事を言語化してかつ
それを手書きでまとめないと落ち着かない。
今回はそれを人生の代名詞である推しで
やったので、何かあっても大丈夫なように
電子媒体に残しておくことにする。
尚、推しの名前は絶対に出さないので仮に
「推し」としているが、「推し」という概念に彼が
当てはまっているかについてもこの記事で
検証するため
後々呼称が変わる可能性がある。

A.推しと波多瀬のこれまで

1.出会い

推しと出会ったのは波多瀬が中学校1年生
の頃である。
受験してまで通い始めた中学に
既に馴染めなくてお先真っ暗だと思っていた。
お先真っ暗なものに期待をするのも
バカバカしかったので
苦しくない死に方を模索していた。
そんな時にたまたま、本当にたまたま
推しに出会った。

それまで1度も買ったことがなかったけれど
何となく憧れていた週刊誌を手に取って、
普段は持ち歩いていないのに
その時は何故かカバンの奥に入っていた財布から
小銭を出して買ったことを覚えている。
「どうせ死ぬんだから
やりたいことはやっとこう」
みたいな感覚だった。
買ったあとで「やりたいことの規模も小さい」
と自己評価が下がったことも覚えている。

ページをぱらぱら捲ったが
当然ながら知らない作品しかなくて
「なんで買ったんだろう」と早くも後悔しかけて
いたところに飛び込んできたのが推しだった。
後で単行本で読むと本当に小さいコマだった。
それでも、B5サイズで見た推しは私の目を
惹き付けて離さなかった。

知らない漫画の知らないシーンの
知らないキャラの一言で
「もうちょっとだけ頑張ろう」と思った。

しょうもない、そんなことで死ぬだなんて
という意見があることも分かっている。
実際何度も言われた。
漫画のキャラの一言で救われる程度なら
そんなことを言うなと。
それでも当時の私が呼吸しづらかったことは
私の中では事実だし
そこから助けてくれたのは推しだけだった。
それだけである。

あの時にあの週刊誌を買ったことを
私は運命だと思っている。

2.死にたくなること2回

人生で死にたくなるほどしんどいことなんて
早々ないと思っていたが
どうやら私には適応されなかったらしい。

高校1年生で治らない持病があることが
わかった。
別に生活に制限がかかるわけではない。
それでもやはり、「治らない」というのは
人を落ち込ませる。
さらに私の場合は病気のタチが悪かった。
全身が浮腫んで体重は100キロ近くになり
薬の副作用で顔にばかり脂肪がつく。

高校一年生にとってこれがどういうことか
想像して見てほしい。

さらに言うと退院して初日の朝
同級生に言われた。
「入院したまま帰ってこなくてよかったのに」

表向きはヘラヘラしていたが、6年経っても
覚えているということはつまり、そのくらいの
ダメージは受けていたんだと今になって思う。

そんなこんなでまた
「生きててもしょうがない」と思ってしまった。
それでも学校には行っていたし生きてもいた。
死ぬ度胸がなかっただけの話だと思っている。

どこの世界にもある「弄り」というものが
うちの高校にもあり、私はその対象だった。

「入院したのに太った?」
「入院してたら勉強しなくても
卒業できるんでしょ?」
「成績悪くても入院を言い訳にできるから
いいよね」
「足のそれ何?気持ち悪い」
「病気は自己責任。入院も勝手にしてるだけ」
等々。

上から答えていくと
・体重は減った。脂肪が顔についた。
・出席日数が足りなかったから
  死ぬほど課題をやった。
・言い訳と理由って紙一重だよね。
・肉割れ。急に体重が増えて減るとできる。
・入院はしたくてした訳では無い。
以上。

ただ当時は言い返す元気もなかったので
「自己責任」を真に受けて
どんどん自己肯定感と自尊心を削っていた。

すると今度は
「私が生きてていいこととかあるのか?」
という気持ちが芽生え始めた。
心がポッキリ折れると学校に行けなくなった。
受験期で行かなくて良かったことが
不幸中の幸いである。

何か一つでいいから
死ななくていい理由を探していた時も
助けてくれたのは推しだった。
「この漫画の連載が終わるまでは生きよう」
そんなこんなで、先日22歳になった。

3.現在

そんなこんなで現在に至っている。
高校一年生〜現在までの間にも様々なことがあり
身内以外の3次元の人間を基本的に
信じられなくなっているのが
現在の波多瀬なのだが
書いていくとキリがないので割愛する。
相変わらず自分はいない方がいいと思っている
ことには変わりない。

B.いよいよ推しへの感情を言語化する

1.「恋愛感情」と「信仰」


年々、推しに抱える感情が重くなっている
自覚がある。

そもそも出会いが出会いなので
推しに対して宗教的な感情があることは
確かである。
あの状況から救ってくれた推しは神様である。

そして現在も
「漫画の連載が終わるまでは生きる」
という目標というか指標は変わっていないので
推しは人生でもある。

それでもって
私は推しに恋をしてしまっている、
と思う。

「と思う」をつける理由は、そもそも私は
「恋愛感情」というものが分からないことに
起因する。

分からないので辞書で引いてみる。
ここではコトバンクにおける「恋愛」の定義に
基づいて検証を行う。

恋愛は男女の対人関係の一つであって、相手と合一しようとする強い愛情をいう。その根底には強い性的興奮がある。

コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)「恋愛」

[名](スル)特定の人に特別の愛情を感じて恋い慕うこと。また、互いにそのような感情をもつこと。

コトバンク デジタル大辞泉 「れん-あい【恋愛】」

〘名〙 特定の異性に特別の愛情を感じて恋い慕うこと。また、その状態。こい。愛恋。

コトバンク 精選版 日本国語大辞典 「れん-あい【恋愛】」

デジタル大辞泉、精選版 日本国語大辞典
に定義されている
「特定の人(異性)に特別の愛情を感じて
恋い慕うこと」には当てはまっている。
人生を2度も3度も救ってくれて生きる目標にまで
なっている人物への感情が
特別でないはずがない。

問題は日本大百科全書の定義である。
私は推しと合一したい訳ではないし
そもそも性欲がない。
(波多瀬はアセクシャルだ)
日本大百科全書の定義には続きがあるので
割愛しつつ、少しずつ読むこととする。

恋愛の心理的状態を考えるとき、第一の条件は愛に溺(おぼ)れるところがあることである。すなわち正常な判断のできない状態だという。したがって正邪の判断のできるわけもないし、結果よりも、そうしたいちずに相手の愛情を得ようとする過程が恋愛だというのである。

これはどうか。当てはまる。
全ての選択が推しによって決まる状態は多分
世間の言う「正常」の範囲にはいないと思う。
ただ、「相手の愛情を得よう」としているかは
一旦考えなければならないため、保留。

第二には相手に対する魅力の認知があること。身体的・能力的・経済的魅力をあげることができる。しかもこれも第一の条件から美化作用が生じて、「あばたもえくぼ」式の魅力となることもあろう。本来人間の認知にはそうした特性がある。

ではこれはどうか。当てはまる。
これをあげるために
表現力と語彙力を鍛えている。
ちなみにだが波多瀬は推しのセリフを
全て褒められる。
「うん」の2文字すら褒められる。
これは「あばたもえくぼ」に当てはまるんだろうが
推しに欠点など無い。

第三には信頼であり、人間関係の長期的な持続は相手への信頼感、尊敬の念によるものである。恋愛は強い独占欲にも支えられているので、友情などでは考えられない横暴さ、わがままがあり、これが恋愛関係をつねに脅かし、ときには離反に導く。この鍵(かぎ)は信頼関係の樹立だろう。

これはどうか。
当然のことだが推し→私の信頼など無い。
生きている次元が違うのだから当然のことである。
ただ私→推しの信頼は、ある。
人生の地獄だった時期から救い出してくれた人を
信じない人間がいるだろうか?
独占欲については
後ほど詳しく述べるため保留。

恋愛の深まりは自己開示self-presentationと関係のあることを、多くの学者は指摘している。それは自分の個人的情報を相手に伝えることであって、それが相互的になることによって親密度は深まる。「あなただけに知らせる」「私だけが知っている」といった気分が相互依存的な関係となり、あるときは2人のための責任を果たすことにもなる。この段階を愛着attachmentとよび、好意を相互に深く感じ、また相互に強い影響を与え合うことになる。

これはどうか。
これは当てはまらない。
なぜなら生きている次元が違うから。

恋愛は自己の価値に気づき、人生観を変え人間的に円熟することを促すものと解されている。逆に恋に破れた人が死を選んだりする事実から、「生きる意味」に関する重大なできごとといえるであろう。

これはどうなんだろうか。
人生観は変わっているとは思うが
依然として自分の価値は分からないし
人間的に円熟したとも思えない。
しかしこれが「両思いである」という段階での
話であれば当てはまらなくてもしょうがない
ような気もする。
波多瀬は原作で推しに恋人か配偶者が出来たら
大人しく死のうと思っている。
自分が結ばれるとは微塵も思っていないが
生きる理由が無くなることは明確だから。

10割合致とはいかないが
7〜8割は当てはまっているようなので
「推しに恋している」と言って差し支えない
のではないだろうか。

合わせて「信仰」についてその定義を確認する。

神仏のように、自分にとって究極的な価値や意味をもっている対象と全人格的な関係をもち、その対象に無条件に依存し献身する心的態度をいう。経験できぬ不確実なものを主観的に確実であると思い込むことではない。

コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

推しが私にとって究極的な価値と意味を
持っていることは前述で明確な事だと思うし、
無条件に依存している自覚もいる。
微々たるものかと思うが
献身もしているつもりである。

引っかかるのは「全人格的な関係」である。
とりあえず、コトバンクで検索をかけたが
ヒットしなかったのでネットで検索をかけた。

人間には4つの側面があり、図5のように肉体、知性、情緒、そして精神から成り立っている。私たちはこれを「全人格」と呼ぶ。

竹村富士徳 PRESIDENT 2011年4月4日号 部下はリーダーを見て態度を決めると心得よ -「第8の習慣」が創る、偉大なリーダーシップ入門【2】

つまり「全人格的な関係」とは上記の4つの側面
のうちのどれかではなく、4つ全てでその対象と
向き合うことを指す。
これに実体のない2次元の推しが当てはまる
のかが分からないが、私は私に出来る範囲で
彼に向き合っているつもりである。
ただ、これはこちらからの一方通行なので
「関係」と言えるかどうかは不明である。

信仰の方も8割程度は当てはまるのではない
だろうか。
つまり波多瀬は今、信仰対象に恋をしている
ことになる。

2.「独占欲(同担拒否)」と「夢思考」

次は視点を変えて独占欲、ひいては
「同担拒否」と一般的によく使われる「夢思考」
について考えていく。

同担拒否とは、おたく用語で、同じ対象を応援する他のファンと交流を持ちたくないという姿勢を指す。

Wikipedia

波多瀬は同担拒否である。
なんなら同界隈のオタクとすら話が出来ない
レベルで拗らせている。

解釈が合わなかった時に
自分の解釈を否定されることも嫌だし
相手の解釈を否定したいわけでもないから
できるだけ話をしたくない
というのが理由である。

一般的に同担拒否と言うと
「〇〇くんは私のもの」
という思考に基づいていると思われがちであり
それ故に敬遠されることも多い。

波多瀬は
「推しは推し。強いて言うなら原作者のもの」
という筋金入りの原作厨でもあるので
その発想はない。

しかしながら
「友達や3次元の恋人や他の趣味や他の推しが
いるならせめて推しは私に譲ってくれないか」
とも思ってしまっている部分がある。
「推しは私のものでは無いけれど
私には推ししかいない」
と思っている。
他に寄りかかる先がある人に
自分の解釈を否定されたくないのである。

傲慢な思考回路であることは
理解しているけど、本当にただの自衛であって
攻撃の意思は全くないから許して欲しい。
同担を見ることすら苦痛なので
口に出すなど思いもよらないのである。
生きにくい、本当に。
勝手に生きにくく生きている。

同担拒否にはこういうタイプもいることを
心のどこかに留めておいてもらえると
大変嬉しい。

夢思考について。

夢女子(ゆめじょし)とは、「夢」と呼ばれる創作ジャンルを愛好するオタク女子、という意味で用いられる表現。
アニメやマンガなどの作品世界に、自分が考案したオリジナルのキャラクター(あるいは自分自身の投影といえるキャラクター)を登場させ、作中のキャラと懇意になったり恋愛関係を築いたりする展開を楽しむ女性のこと。 いわゆる夢作品を創作する者も、それを読む者も、どちらも夢女子に該当する。頭の中で夢想・妄想するだけの者を夢女子に含めて扱う場合もある。基本的には二次創作におけるジャンルといえるが、たとえば「自分を投影したキャラクターとオリキャラとの恋模様」といった形で一次創作に該当する作品が描かれる場合もある。

夢女子は腐女子の嗜好と併発する場合がある。腐女子は男性同士の恋愛(イチャラブ)を愛好する女子のことである。

Webio辞書 実用日本語表現辞典

当てはまらない!!!
「嘘だろ?」と思われるかもしれないが
当てはまらない。

そもそも波多瀬は二次創作が好きではない。
公式ではないから。
なので当然夢作品を創作はしないし
それを読むこともない。

「作中のキャラと懇意になったり恋愛関係を
築いたりする展開を楽しむ」ことはある。
それ専用のSNS(非公開)もある。

「作品世界に自分がいる」のは許容できるが
「作品に自分がいる」のは絶対に許せない。

何を言っているのか分からないかもしれない
ので例を上げる。

Aという野球漫画の中のBというキャラが
推しだったとする。
(なおBの所属する野球部にはマネージャーは
いない)
原作ではBはライバルに敗北し
一度は野球から離れてしまうが
Cというキャラの熱意に魅了され
再びグローブとバットを手に取る
という展開だったとする。

「Bの試合を見に来ていたクラスメイト」
のポジションになるという設定であれば〇
「野球を辞めたBに戻ってくれと懇願する
マネージャー」
のポジションになるという設定は×
ということが言いたい。

なぜなら「Bが所属する野球部には
マネージャーがいない」が公式だからである。
「Bに戻ってくれと懇願するのはC」
が公式だからである。

この理由で「公式で彼女がいるキャラクター
が彼女と別れて自分と結ばれる」
的な二次創作なども拒否反応が出る。

同じ理由で「公式で付き合っていないキャラが
付き合っていることになっている」二次創作も
受け入れられない。

なので自分が作品世界にいるという設定の
SNSでは「作品外の作品世界」で生きている。

詭弁と言われるとそうかもしれないが
「描かれていない部分」を想像するのは
自由だと思っているので、
自分が許せる部分で生きている。

独占欲について。

あるものを自分だけのものにしたいという欲求。ひとりじめしたいという欲求。

Webio辞書 実用日本語表現辞典

これはある。
「この世で1番推しを必要としているのは
自分である」と思っている。
独占欲かどうかは分からない。

「1番最後まで推しのことを推しているのは
自分」という自信がある。

世界中の誰もが彼を推さなくなっても
私だけは彼のことを応援していたいと
本気で思っている。
供給の有無は問題ではない。
それが推しに出来る数少ない恩返しの1つである
とも思っている。

3.「推し」について

「推し」という言葉の定義を明確にしておく。

他の人にすすめたいくらい気に入っている人物や物を指す

もったいない本舗ニュース

待ってくれ。

上記の定義を適応するならば
私の推しは推しじゃなくなる。

何度も述べているように波多瀬は
基本的に「他人にすすめたい」という感情が
ない。
匿名のnoteで作品名すら上げていないことから
お察しである。

よって波多瀬の「推し」は推しではない。
なんてことだ。

C.まとめ

AとBを経て
・推しを信仰しているし推しに恋愛感情を
持っている
・夢思考はない
・独占欲はある
・「推し」ではない
ことが導き出された。

これら全てが当てはまる呼び名を
波多瀬は知らない。

しかしながら何となく持っていただけの
推しへの感情をここまで言語化出来たことは
大変喜ばしいと思っている。

文字数が5000字を超えたあたりから
ところどころを割愛しているため
また何かの折に一つ一つ
もう少し丁寧に触れることが出来ればと思う。

長文乱文にここまでお付き合い頂いた方々
ありがとうございました。

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