【ある意味自己紹介】私が情報発信する理由
今回は特定の誰かの悩みを解決するといった内容ではありません。
「情報発信」について、私の思いを書き記したいと思います。
私の人間性の一部がわかるので、ある意味、自己紹介と言えるかもしれません笑
ということで、早速持論を展開します。
すでに多くの方が様々な媒体で「発信」してますが、単なるつぶやきではなく、エンタメでもない、「価値ある情報発信」だけに絞れば、まだまだ発信者は限定的だと思います。
「受ける」から『発信する』へ
「教わる」から『教える』へ
変わるきっかけになれば幸いです。
発信する大切さ
ベースにある考えは、
コレです。
何をするにもついつい「他人」と比べてしまいがちですが、他人と比較することに意味はありません。
何故なら、その比較対象である「他人」は生まれも育ちも何から何まで自分とは全く異なるからです。
そのような他人との比較結果に一喜一憂してもそれは時間の無駄です。
そうではなく、比べるべきは「昨日の自分」です。
目標とする人、いずれ勝ちたいと思う人に追いつき、そして追い抜くためには、まずは「昨日の自分」に勝つ必要があります。
「昨日の自分」に勝ち続ける。その延長線上に「目標とする人」がいるのです。
昨日の自分にすら勝てない人が、どうして他人に勝てるようになるのでしょうか??
「昨日の自分」に負けるのは単なる怠慢です。
少しでもいいので「昨日の自分」に勝つ。そして、勝ち「続ける」。
それが「成長する」ということです。
説明が長くなりましたが、「昨日の自分に勝つ」とはこのような考え方をいいます。
これを実践したことによる効果はあくまでも「個人的」なものですが、それを空間的、時間的に俯瞰して考えると「人類の進歩」につながると思います。
例えば、ある人が失敗から得た「学び」も、それが次の世代につながらなければ、別の人が同じ過ちを犯してしまうかもしれません。
これを個人という視点から、もっと大きな視点で捉えた場合、果たして「昨日の自分を超えた」と言えるでしょうか?
誰かの気づきや学びがその人だけで完結してしまい、次世代に繋がらないために、毎度同じところで同じようにつまづいてしまう。
これは果たして「人類の進歩」と言えるのでしょうか?
つまり、何が言いたいのかというと、
ということです。
親が子供に教える。
先生が生徒に教える。
上司が部下に教える。
先輩が後輩に教える。
コレと構図は全く同じです。
家族であるかどうか、同じ会社で働いているかどうか、対価が発生しているかどうか、そんな違いは関係ありません。
本質は「学びを発信し、教える」ということです。
つまり、「同じところをグルグル回り続けないようにする」ということです。
それが「進歩する」ということであり、「昨日の自分を超える」ということだと思うのです。
理想と現実
一つ例を出します。
職場の飲み会などでよく耳にするのが先輩からの次のような発言です。
つまり、これは「何も進歩していない」ということです。
これが「最悪パターン」のいい例です。
一方で、いいパターンは次にような場合のことを言います↓↓
こういう発言を聞くことができればOKです。
職場として確実に進歩している証拠です。
しかし、これではまだ50点です。
この学びはあくまでも一つの職場における学びです。
他の部署、あるいは別の会社では依然として同じ悩みに苦しんでいるかもしれません。
ここで登場するのが「情報発信」です。
「学び」を広く発信し、一の成長を「複数」の成長へとつなげるのです。ここまでやってようやく百点満点だと思います。
これが、視野を広げた場合の社会の「あるべき姿」ではないでしょうか。
そうはいっても現実社会では「勝ち残らなければ生きていけない」という残酷な現実が目の前にあるため、
「そんなきれい事ばかりいってられるか」
「敵に塩を送ってる余裕なんかない!」
そのような御意見が聞こえてきそうです。
それは、ごもっともだと思います。
そのため、あくまでも理想としての「あるべき姿」としたのです。
私が述べることは一種の理想論かもしれません。
しかし、学びは自分一人だけのもの、お互いの足を引っ張りあうような社会というのは、決して「あるべき姿」ではありませんよね。
これが現実的かつ暫定的な答えでしょうか。
「繋げる」意識
情報発信すべき内容は大発見である必要は一切ありません。
例え小さな学びでも、学びは学びです。
そして、その学びを必要としている人が、どこかにきっといます。
そのため、大切なことは学びの「大きさ」ではなく、学んだことを次に『繋げる』という姿勢です。
コレです。
炭治郎は本当にいいことを言いますね!
動機
「発信」という行為は一見「面倒」に感じるかもしれません。
しかし、そこは資本主義です。
社会に貢献した企業や人が正当な評価を受けることが土台にあります。
「世の中にとって役に立った人はちゃんと報われる」という仕組みが、世の中の基本的なルールです。
そう考えれば、「自分のため」に発信することは決して悪いことではありません。
正々堂々と「自分のため」に情報発信しましょう。
しかし、それは同時に「教える側」に立つことを意味します。
「教える側」としてカテゴライズされ、その視点から評価されるようになるということです。
「何でもかんでも、とりあえず情報発信」ではいけないということです。(情報発信しないよりは100倍マシですが、そのスタンスではいずれ壁にぶち当たります。私のように笑)
学校の先生がいい例です。
対象がこどもであるため、
「どのように教えるのが生徒にとって一番わかりやすいのか」
ということについて日夜研究にいそしんでいます。
社会から「正当な評価を受ける」ためには、それなりの努力が必要になるということです。
だからといって
「そんな努力は面倒だからやっぱり情報発信するのやめるわ~」
とはなりません!なってはいけません!
繰り返しになりますが、社会における「あるべき姿」は、
です。
そのため、真っ当な思考としては、
「そんな努力は面倒だからやっぱり情報発信するのやめるわ~」
ではなく、
『正しい情報が、必要としている人にしっかり届くようにするためにはどうしたらよいのか?』
『わかりやすく伝えるためにはどうしたらよいのか?』
こうあるべきです。
自分のための情報発信が、真に『自分のため』になるように、必要な努力をしましょう!
課題が見えてくる
「あるべき姿」が見えれば、自ずと「課題」も明確になります。
私の場合は、マーケティングを学ぶこと、文章力を鍛えること、などが課題として挙げられます。(ありすぎやろ〜泣)
でも例え課題が多くても、課題さえわかれば「日々やるこべきこと」が明確になります。
何をやるべきかわからず、「とりあえず何かをやる」よりは数倍マシです。
そして、マーケティングや文章力強化は、ビジネスでも必須のスキルです。そういう意味でも情報発信は「自分のため」になると思います。
まとめ
学びを発信しよう
「来たときよりも美しく」の精神で発信しよう
自分のために発信しよう
せっかくやるなら、伝わるように努力しよう
それがまた「自分のため」にもなる
最後に
私が学びを発信する大切さに気がついたきっかけが「中小企業診断士2次試験」です。
それまでは大変恥ずかしながら、情報発信は「他人事」でした。
受け取るだけで与えることはしない。
完全に「受け身」でした。
しかし、2次試験合格を経て、このノウハウは共有すべきと思い、私も『発信側』にまわることを決めました。
中小企業診断士2次試験という大変狭い世界ですが、この世界は未だに対策方法が人それぞれでまちまち。確立されたものはなく、そもそも何をしたらいいかすらわからない。
そのような状況が少なくとも私が勉強を始めた時から未だに変わっていません。(少しづつ本質に近づきつつあるように感じますが、それでもまだ「掴めていない」人が多いのは事実です。)
「そろそろ結論を出しませんか??」
資格取得はゴールではなく、スタートです。
だとするなら、一刻も早くスタートするのが世のため人のためですよね?
「私と同じようなしくじりをして欲しくない」
という、まさに「来たときよりも美しく」の精神です。
『しくじらないためのノウハウ』を確立できたからこそ、私にはそれを伝える義務があると思っています。
「私が苦労した末に辿り着いた合格メソッドを、過去の自分のように苦しんでいる方に届けたい」
「いい加減、2次試験対策の結論を出したい」
そういう想いで始めたのが、Xやブログ、noteです。
始めたはいいものの、やればやるほど新たな課題が見つかり日々悪戦苦闘していますが、これが私の進むべき道だと思えば頑張れます(^_^;)
まだまだ未熟ですが、少しでも「来たときよりも美しく」なるように、情報発信を続けてまいります!
私はそんな人間です笑
長い自己紹介でした。
皆さんも「情報発信」しましょう!
以上です。
お読みいただきありがとうございました。
この投稿が少しでも皆さんの行動の変化に繋がれば幸いです。
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