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"病気のことを周囲に理解してほしい"という気持ちをなくしたら楽になった話


初発時、再発時どちらも「病気への理解を周囲から得たい」という気持ちを抱いていました。


「自分の病気のことを知ってほしい」

「抗がん剤治療はこれだけ大変な治療なんだということを伝えたい」

「病気とは無縁な同世代の、がんの関心や理解を深めたい」


そう思っていました。

しかし、それはただ

“自分のことを最優先で気遣って欲しい“
"自分の頑張りを認めて欲しい"

という感情だったことがわかりました。


もちろん、身近な人の協力と理解がなければがんの治療は乗り越えられません。

身の回りのサポートだけでなく、精神的なサポートも必要です。

抗がん剤治療は想像以上にキツいですし、がんになったことへの絶望感や、自分を取り巻く環境の変化に戸惑うことも多いです。

そこで、話を聞いてくれて、気持ちを支えてくれる人がいるだけでかなり救われます。


とは言っても、周囲のサポートや理解を得るのには限界があります。

サポートしてくれる方にも、その人それぞれの人生があって、生活があって、考え方があります。

お互いがお互いを尊重して、がん患者本人が病気を受け入れて覚悟してこそ、良好な関係を築きながら最善の治療が行えるのです。



どちらの立場でも当事者にしかわからない気持ちもあります。

がんになってしまった苦しみはがん患者本人にしかわかりませんし、大切な人ががんになってしまった悲しみはその方にしかわかりません。

それを、立場の違う相手にもっとわかってほしいと思うのはお門違いです。

「もし自分なら…」と考えることは出来ても、それがその人の気持ちかはわかりませんし、完全に相手の考えを理解することなんて不可能です。


また、病気への関心や理解等は、こちらから訴えかけても本人が自発的に知ろうとしない限り、ただの押し付けになります。


だから、結局は自分の力で立ち直っていくしかないんです。

他人がどんなに頑張ってくれていても、それを受け取る心の土台が出来ていなければ、ずっと心は枯れたまま。

心の中にある植木鉢に水をやれるのは自分だけです。
自分自身で水をやり、太陽の光を浴びせ、強くて美しい花を咲かせてあげましょう。

そして、自分のことだけでなく周りのことを気にかける余裕を持てた者が、辛くて苦しい治療を乗り越えていけるのです。



私は現在、再々発の治療を終えて普通の日常生活を送っていますが、周囲の人に自分から治療の話をすることはありません。

もちろん、相手から気遣ってくれて心配の言葉をかけてもらったり治療のことを聞かれたら

「まじ地獄を見たよ〜!あっはっは!」

と重くならない程度に話をしますが、それ以上に何かを伝えようとはしません。

その方が、自分の精神衛生上いいからです。


他人に期待すると疲れてしまいます。

再三言いますが、例え親友でも実の親でも完璧に理解することは不可能だし、自身が体験していないことは余計にわかりません。

ましてや体力的なものや目には見えない部分の障害は、余計にわかりません。

自分のために最大限に頑張ってくれていても、至らない点は必ず出てきます。

その時に、こちら側が“病気を理解してほしい“という気持ちを強く抱いていると、不満が出て相手とぶつかり合ってしまいます。


「なんて声をかけていいかわからない…」

と言って何も声をかけて来ず離れていく人も多い中、病気の話題を振ってくれて、気遣う言葉をかけてくれるだけでも、十分ありがたいことですよね。

それ以上のものを他人に求めるのは贅沢です。



がんになった自分を受け入れて、がんと共に生きること

これが、がん患者にとって幸せに生きられる唯一の方法なのだと私は考えます。



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