【働き方改革】ナオリアーノの自己紹介~経歴と役割~@沖縄
こんばんにちは!タピオカドリンクが女子高生並みに好きなナオリアーノです( ^ω^ )
ナオリアーノってどんな人?ただのおっさんじゃないの?と思われる方に自己紹介と経歴説明をしたいと思います。言っておきます。長いです。小説を読む感覚で読んでください。
目次
・学校卒業。福岡へ
・リハビリテーション病院という軍隊
・日本縦断バイク旅 福岡⇔北海道
・飲食店勤務で起きたパラダイムシフト
・同棲。結婚。そして再び作業療法士へ
・さよなら福岡。ただいま沖縄
・転職エージェントを使った失敗
・ニート体験。再び作業療法士へ
・ソフトクリームおじさんとの出会い
・保険外サービス起業。福祉用具会社社長との出会い
学校卒業。福岡へ
21歳で無事に沖縄リハビリテーション福祉学院を卒業。好奇心旺盛な私は「すごい作業療法士にオレはなる!」と、ワンピースのルフィのように意気込み、福岡県という大海原に就職。大きいビル、新幹線、顔の薄い人達、なにもかもが新鮮で心躍った。
リハビリテーション病院という軍隊
自己研鑽をして3年程度働いたら沖縄に帰ろう。そんな気持ちで入ったリハビリテーション病院。オリエンテーションからすさまじく、たまたまかもしれないけど入職1週間程度で2人が退職。 同期は36名。
・・・・・感の鋭い方ならお気づきだろう。
そこは他県から集まった意識の高い新入職員が集まるところでもあり、かなり厳しく数年で退職する人も多い・・・そんな病院だった(でも先輩方がいい人ばかりで楽しかったんです。部活と同じ感覚。きついけど楽しい)
そこで5年・・・気がつけばあっという間だった。
かなり挫折も味わったし、かなり苦しい体験もした。辞めようと思ったことは何度もある。
僕の容量が悪いのもあるけど、帰るのは21時22時はザラだったし日を越すこともあった。治療後のミーティング、手書きのカルテ、研究、書類・・・小さな脳みその僕はもうキャパシティオーバー。
でも上司に恵まれて、友人にも恵まれて、同僚にも恵まれて。
今は働いてよかったなと思っている。人生やり直せるとしてもかなり高い確率で同じ選択をすると思う。
スノーボードや旅行、合コン、クラブ、酒にタバコに女に・・・・というのは冗談('ω')
かなり楽しかった!そして今の僕が普通に働けているのはこの職場の環境や人のおかげ。とても感謝してる。
日本縦断バイク旅 福岡⇔北海道
リハビリテーション病院を退職後、沖縄に帰る前にバイクで北海道まで行ってみたい・・・という衝動を抑えきれず、当時乗っていたドラッグスター400と共に北海道へ。漫画「俺の空」に憧れていたので、この旅で嫁さんもみつけようとアメブロで旅日記をつけながら県外の人と交流をしていた。
野宿は嫌なのでネットカフェや友人宅での寝泊まり。兵庫、大阪、東京、山形、秋田、北海道など知り合いが泊めてくれたので寂しくなく、かなり充実した旅になった。泊めてくれなかったら僕は孤独死していたかもしれない。
そんなこんなで福岡に帰宅。沖縄に帰ろうと思っていたが、福岡でBarで飲み会やイベントに参加したりDJをしたりするうちに作業療法士以外の仕事もしてみたいという気持ちになった。そして脳内でのパズルがつながった結果
「飲食店で働いてみたい。そして飲食店をオープンさせて片麻痺の人でも働ける場所を創るんだ」
「飲食店のオーナーに俺はなる」
とワンピースのルフィのようにいう気持ちが高ぶった。
たまたま福岡のアイリッシュパブのマスターと知り合い、話したところ「うちで働きなよ」とお誘いを受けたのでその場で迷わず「はい!働きます」と答え就職先が決まる。マスター、本当に誘ってくれてありがとう。
飲食店勤務で起きたパラダイムシフト
作業療法士以外の仕事は学生のときのコンビニ、引っ越し、年末年始の年越しそば業務、年末年始の年賀状配達、ビラ配りぐらいだった。
26歳で新しく別業種に転職したのだが、もう毎日がパラダイムシフトだった。
※パラダイムシフトとは、その時代や分野において当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などが革命的にもしくは劇的に変化することをいう ~ウイキペディアより引用~
みんな毎日楽しそうに働いているけど、スイッチが入るとプロとして尋常じゃないぐらいのスピードで動いたり、接客したり・・・。
なにより、みんな話がおもしろい!!
僕は医療介護職の中ではちょっとユニークな部類だったので、忘年会の司会や結婚式の余興などを行って「オレ、おもろいやつや・・・( ̄ー ̄)ニヤリ」と思っていたけど、とんだ勘違い野郎だった・・・レベルが違うよ。
話の内容が幅広く、どんなお客さんでも話を合わせたり笑いを取るスキル。
保険内でしか働いたことがない方、ぜひ実力主義の接客業を体験してみては。
ただ、作業療法士という恵まれた職業で働いてきた僕にとって飲食店勤務での厳しさも味わった。
勤務時間が8時間以上、休みが月5~6回、休憩が20分、手当は出るが仕事前の買い出し・・などなど。また深夜帯の勤務のため、結婚したりすると結婚生活に響きそうだな・・・なんて思っていた(でも楽しいから続けたくなっちゃう不思議な感じ)
実は、この頃バイク旅行中に知り合った関西人と同棲をはじめた。(今の奥さんがそう)
同棲。結婚。そして再び作業療法士へ
同棲すると時間が合わずすれ違い生活となる。これは同業者じゃないと結婚続けるの厳しいな。
そう感じていた頃、お店のBARカウンターに女性2人が来店。「あんたをウチの施設に誘いにきたよ!!」と。
以前働いていた看護師の課長と作業療法士の先輩がきてくれた。今は別の施設で2人一緒に働いていると。看護課長は施設長になっていたので更に驚く。
悩みを打ち明けると「だったら来なさい!話を通しておくから!」と。
そんなこんなで就職決定。でも夜の仕事も好きだし起業意欲はあったので昼は作業療法士、夜は飲食店勤務がスタート。
そして身体を壊してしまったので飲食店は卒業し作業療法士に集中することとなる。
さよなら福岡。ただいま沖縄
約2年半ほど病院とデイサービスで働いた後、結婚を機に沖縄へ帰郷(この職場もとってもいいところだった。人がいいのなんの。また働きたい) 今思い出しても懐かしい青春の日々。そして転職エージェントサービスを利用し沖縄のデイケアに勤務するも、ここで大失敗をしてしまう。
転職エージェントを使った失敗
ここは正社員として働くには、まず契約社員として実績を残さないといけないとのこと。希望年収をエージェントに伝えたら「ここなら大丈夫です!」と。
契約書をみると希望よりも100万以上低い年収が記載されている。尋ねると「正社員になったら希望年収に近い数字が提示されるようです」と。
ただ、4ヶ月に蓋を開けてみると契約更新の際に提示された年収は希望と差があった。エージェントに相談するも「がんばりますと言っていましたけどね....」と。
「がんばりますってなんやねん。」
と心折れた。身も心もボロボロだ....。
もめたくないので、契約を更新せず退職。
晴れて新婚の僕はニートになった。
ニート体験。そして再び作業療法士へ
あんなに転職先を慎重に選んだのにこの結果。 心がポッキリ折れた僕はニート生活をしながら失業保険を貰うのだけど、まぁ貰える額が低い低い。
そしてハローワークに定期的に通う必要もあるけど、面倒くさいし待ち時間が多い。あれは更に心が折れる。
こんな僕に文句一つ言わず支えてくれた奥さんには頭が上がらない。ありがとう。
そしてベンチャー志向の強い訪問看護ステーションへの就職が決まる。
ソフトクリームおじさんとの出会い。施設長へ
訪問看護ステーションでのギャップはこれまた給料面。「経験に応じる」と記載されていたので約10年経験ある僕は等級ごとの給与モデルをみて、これぐらいかな〜と予想しながら入職するも、蓋を開けると1番下からのスタート。
・・・な、なぜだ。
管理者に尋ねると訪問看護ステーションでの勤務経験がないから」だった。イヤ、だったらそう書いてください。
やはり同じ感覚で入ってきた職員も皆「1番下からのスタートだ。経験年数関係ないじゃん」と同じ悩みを抱えていた。
そんなこんなで1年半ぐらい働いた後、休みの日にソフトクリームが食べたくなり1人でお店に向かった。店内にテレビがあり、甲子園が放送されていた。おじさんがソフトクリームを作ってくれたので、甲子園トークで盛り上がっていると、そこから健康予防の話に。持論を繰り広げているとおじさんが「施設で働かないか?」と。
なんのこっちゃと思いながら聞いてると、ソフトクリームおじさんは施設経営のコンサルタント業務も行っており、立て直しを図るための人材を探していると。そんなこんなでソフトクリームおじさん経由で施設長代理としての勤務がスタートする。
どこでどんな出会いがあるかわからないものだ。
保険外サービス起業。そして今
ソフトクリームおじさんとはうまくいっていたのだけれど、経営陣とはうまくいっていなかった。自己満足かもしれないけど、職員のマネジメントや書類関係を整えたりと自分なりに手応えはあった。利用者も10名近く増やした。リハビリ職として運動量も増やした。
でも問題が起きた。
全体的に介護度が下がり経営陣からのクレームが降りかかった。
長期的にみたら介護度が下がっても継続的に利用してくれるので、健康面にコミットできてるからいい!と考えていたのだけれど、経営陣としては売上が下がっている事実しか見てくれなかった。
そこから関係性に亀裂が入り、最終的には自己退職。
これを機に相棒と「保険外でそもそも介護状態になる前に食い止めるためのサービスや仕組みを作ろう」と発起。
そして退職。2019年10月に個人事業での訪問リハビリをスタートさせることとなる。
保険外サービス起業。福祉用具会社社長との出会い
9月は起業準備期間として営業したりパンフレットを作ってみたりと動いていたけどまぁ反応は乏しい。そんな中、知り合い経由でバイトの依頼を受ける。
「福祉用具の仕事手伝ってくれないかな?」と。
そのときに出会ったのが今、所属している会社の社長だ。
当初は起業1ヶ月前の準備期間だけ手伝う予定だったのけど「そんな起業は無謀すぎる。ウチで働きながら自分の事業もやったらどうかな?」と話を持ちかけられる。
.....たしかに、いきなり起業するのも怖い。なにより資金がない。
ということで、福祉用具専門相談員として勤務しながら個人事業として自費の訪問リハビリを起業することとなる。社長、誘ってくれてありがとう。ホント感謝してます。
以上がナオリアーノのセミフリーランスまでのストーリーです。まだまだ話せてないことは多々あるのですが、こんな僕で良ければいろいろ相談にのります^_^
この体験をもとに、チャレンジしたい人の背中を押したり伴走していけたらなと思います。
いろんな働き方を模索していきましょう!!
produce by ナオリアーノ