あとがき 君、音、朝方、etc 【私的小説】
「君、音、朝方、etc」
ここまで読んで下さりありがとうございました。もし、伴走のように読んでいただけた方がいたら、大変、励みになりました。
この記事を偶然見かけた方は、一話目から読んでいただければ幸いです。
記憶を探り、音楽にイメージを喚起されて文章を綴りました。
僕にとっては、”ある空気、雰囲気を共有すること”が、書く動機の一つでもあります。たとえ僕らが如何に異なっていても、あたかも同じ部屋にいるように感じられたらいい。
出来るだけ懐かしく、それでいて初めて嗅ぐ匂いを空間に立ち上げられたらと望んでいます。
さて、ある既存の物事の力を借りて文章にし、情景を具現化することを「イメージの安易な乱用・想像力の貧困」と取るか、「イメージの再発見」と取るかは、目指す表現の達成度次第だと思う。
作中で助けを借りた幾つかの楽曲を紹介します。蛇足ではありますが、読んでいただけたら有り難いです。
響一の部屋にはカセットテープがある。引き出しの奥底で眠る、宝物だ。ラジカセも叔父から譲り受けた。叔父が響一家に訪問する度にテープは増えていった。その時点でも、記録媒体は十分に時代錯誤だった。
今では驚くべき事だが、個人が音楽を他者に薦める手段としてラジカセで録音、編集したテープを手渡しするのは、簡便で妥当な事だったのだ。
隔世の感がある。
響一は、自らが編集した音楽アルバムを叔父に聴いてもらおうと画策している。ずっと思っていたが、実現はできていない。
「人生の最大の宿題の気がする」
音源は自作した曲か、叔父が好むだろう曲を詰め込むか、あるいはその間の折衷かはまだ決めてない。普段、叔父が好きそうな曲を耳が捕まえるとチェックして忘れないようにしている。長年、親しんだ習性であり、彼の音楽性を作り上げた習慣だった。世界における、人との確かな縁でもある。
この曲は言葉にできない。
叔父が響一に渡したカセットにはテーマが設定されたものが多かった。叔父は彼なりに聞いた楽曲の数々を編纂し、より分かりやすく親切な形で、響一に音楽が持つ連なりを提示した。例えば、時代や国、地域、シーン、音楽性、系譜等。
ヘッドホンさえ装着すると、往復120分の旅程で世界を巡った。
空間を横断し、時間を縦断した。周囲を遮断しても。
Bob Dylan 、Neil Young、Nick Drake、etcといった面々と、一夜にして響一は邂逅を果たす。彼が生まれるずっと前、産声を上げ、今も生きるフォークソングの先達の歌々。
「古びたとしても、お前が蘇生させればいい」
次の訪問時に叔父に感想を伝えた際、優しく言われた。
おそらく響一に音楽創作の萌芽を見抜いた言葉だった。そこまで導いたのも他ならぬ叔父だった。
彼らのマスターピース。カセットの記録。
60年代から活動するレジェンドの競演の末尾に、申し訳なさそうにくっついていたのが「Say Yes」だった。懐かしく新しい90年代。
一聴し決まった。トンネルを抜けた。肯定された気がした。
しかし、言い訳する。
これみよがしに自分を救ってほしくなかった。第一、10代半ばの彼は傷ついてもいなかったし、失うことさえなかった。経験も言葉もなかった。
便宜的な言葉はあっても、気持ちは見定められない。日常をどう言おう。何にも触れない気がしていたのだ。音楽以外には。
その後、世紀を跨ぎ現れたSSW (シンガーソングライター)の曲の数々を加味したCD-R が彼の部屋の空気を彩った。寂しい夜ではなかった。
必ず、朝が訪れ、後に明かりが灯されることを音楽は教えた。
そこに君さえいれば良かった。
コールドプレイとアヴィーチーとのコラボ曲。言わずと知れた大ヒット曲だ。作中で雪がこの曲に惹かれる理由は僕には分からないが、どこか透徹した美意識が感じられる。壁は高くとも、誰も拒みはしない。
バンドの中心であるクリス・マーティン自身の人間関係の不和の経験が、楽曲製作のモチベーションになった時期に作られた。(wikipediaより)
失恋した者を受け入れ、どこまでも落ちる深さと、一転し、上空への飛躍の姿を聴く者に想像させる。
「重りがあるからこそ、飛べる」
アヴィーチーの訃報を聞いた時、何故だか信じられなかった。
一切の情報を知らないままの世界線で生きていても、彼はいつまでもスペシャルな存在だったろう。小説のネタにしてしまったことをすまなく思う。
どの場所にも音楽が宿ることを想像し、信じる為に書いた。