香港の旅。
飲茶をたべに香港にきた。香港にきてわかったけど、飲茶は一人でたべるものじゃないので、飲茶を一人でたべるのはとてもハードルが高い。一人カラオケや一人焼き肉なんかよりもずっとハードルが高い。
飲茶がたべたいなぁとヤキモキしながら、フラッとはいった食堂でワンタン麺をたべた。ワンタンにはあまり期待をしていなかったのだけど、いままでにたべたワンタンでいちばん美味しかった。
あまりされてないけど日本でも報道されているように、香港ではデモがおきて警官隊とデモ隊とが激しく衝突している。
目の前に催涙弾が落ちてきた。射手からの距離は200mぐらいあったとおもう、けっこう飛ぶなぁという印象だった。はじめて催涙ガスを吸い込んだ、吸い込んでわかったけど催涙ガスというのは“いい匂い”がする。
線香花火の匂いのような、どこか懐かしい匂いがして不快感はない。ただし匂いと効果は別だ、吸い込んで10秒ぐらいしてから、喉や目などが激しい痛みに襲われる。痛みの質としては混ぜるな危険の洗剤を混ぜたときに発生する硫化水素の弱いものに似ている。突き刺すような痛みだ。
これで致死性がないからすごい、そりゃ警察もカジュアルに発砲する。催涙ガスを製造した人は匂いのことまで考えてのことなのだろうか。水でビチャビチャにしたタオルを口をおさえるだけでずいぶんと軽減する。もしも目の前に催涙弾が落ちてきたらすぐに逃げよう。
大盾をもつ隊員、催涙銃をもつ隊員、散弾銃をもつ隊員、強力なライトをもつ隊員など種類の違う装備で構成して集団で固まり、360度はもちろん高層マンションの窓を常に警戒している。警官隊は対局がはじまったばかりの将棋の駒のようにスキがない。
発砲であろうと制圧であろうと、指揮官の指示に迷いなく迅速に従う。
香港警察ってジャッキーチェンのイメージだったので驚いた。
デモという側面だけをみてしまうと、香港全体が365日24時間ずっと危険な状態のようにおもわれてしまうかもしれないど、そんなことはない。あくまで一つの側面なのだ。
渋谷のスクランブル交差点だって365日24時間ずっと地方のパリピに占拠されているわけじゃない。ハロウィンやカウントダウンのときだけだ。歌舞伎町だって、池袋のウエストゲートだってその場にいない人ほど、イメージが先行して危険だとおもうだろう。
デモがあるのは主に週末で、平日はみんな仕事をしてる。
趣味をたのしんだり、恋人とデートをしたり、家族とすごしている。観光客だってたくさんいる。あたりまえだけど笑顔があり、日本と変わらない普通の生活がある。
これは病人もおなじなのだ。病気になると人生の全てが病気であるように健康な人には捉えられてしまうのだけど、あたりまえだけど笑顔があり、普通の生活がある。365日24時間ずっと病人をやってるわけじゃない。
美味しいものをたべても、すごい景色をみても、なんだかあまりたのしくない。
つまらないというわけではないけど、独身のころや息子がうまれる前に感じていたたのしさとは違う。
滞在中は毎晩息子とテレビじゃないんだけど、テレビ電話していた。香港滞在しているときのいちばんたのしかったことが、毎晩のテレビ電話だとおもう。
電話を切ったあとはすこし寂しくなる。切るというか、クリックなんだけど。
一緒に美味しいものをたべたいなぁとか、すごい景色をみたいなぁというなんともいえない寂しさがある。ぼくは一人旅が好きなんだけど、あれは一人だったから一人旅が好きだったのだとおもう。
一人のときは一人が好きなんだけど、一人じゃなくなると一人がすこし寂しくなる。
きっとこれが死ぬということなんだと、すこし想像してすこしだけ理解できた。たぶんぼくが死ぬ前に感じることは、なんともいえない寂しさだ。
そういうものに気づけたことすらも、一人旅ならではの収穫だ。
年末は家族で冬の北海道にでも旅にいこうかな。
ウラジオストクの旅もそうだったんだけど、この香港の旅はヤンセンファーマという製薬会社の仕事で旅にいっている。遊んでるだけじゃんって誤解されそうだけど、写真家なので写真を撮るのが仕事だ。
どこでも好きなところにいって写真を撮ってくださいと依頼されていたけど、さすがに香港はNGなぁっておもったら快諾された。
一般論で考えればガン患者が一人で、いまの香港にいくとなれば止めそうなものだけど、妻も医師もぼくの周囲の人間は誰一人として止めないので、とても旅に行きやすいし人生も生きやすい。
製薬会社というのは医師とやりとりをすることがあっても、患者とやりとりすることがほとんどない。自分たちの仕事が社会で役に立っているのか実感がわかないそうだ。そこで病人であるぼくに白羽の矢が立った、実感をすこしでも可視化したいのだ。
誰だってそうだ、患者だって医療者だって誰かの役に立ちたいと考える。
患者はしばしば社会のなかで役に立たないお荷物と自覚してしまう、あまりよくないことだ。
ぼくは毎日10種類以上の薬を服用して、抗がん剤を点滴をするときは丸一日つぶれる。もちろんヤンセン製品のお世話にもなっている。お世話になっているどころか、骨髄腫の患者であるぼくがいま生きているのはヤンセンのおかげであるといっても過言じゃない。薬がなかったらすでにもう死んでいる。
ぼくは病人になったけど、365日24時間ずっと病人をやらずに健康な人とあまりかわらない生活をして、たくさんの思い出をつくることができている。
それは薬のおかげだ、本当に感謝している。
サポートされた資金で新しい経験をして、それをまたみなさまに共有したいと考えています。