『運転見合わせ』って事態を矮小化してませんか?
先日関東地方などを襲った地震。直接の被害は限定的だったものの、首都圏の交通網にかなりの影響がありました。
一部の鉄道が止まったほか、新交通システム「日暮里・舎人ライナー」は車両が脱輪し、運転できなくなりました。
脱輪して運転できなくなった状態について、メディアでは「運転見合わせ」と表現していますが、これは不適切ではないでしょうか。
「運転見合わせ」とは、地震の際のほかの鉄道のように、「設備に大きな損傷などはなく、車両を走らせることは可能だが、規定により運転をしばらくの間止める」とか「風速や雨量が規定を超えたため、その間は運転を差し控える」などの場合に使うものだと思うんです。
今回の日暮里・舎人ライナーのように、「車両が脱輪したり設備が損傷したりして、運転するのは無理」という場合は、「見合わせる」のではなく「運転不能」ですよね。
運行者(鉄道会社や自治体など)は、深刻ではないように見せたいのかもしれませんが、それは事態を「矮小化」しようとしてますよね。
その言葉をそのまま使うのは、メディアとしての責任を果たしていないと思います。
ニュースだったら「日暮里・舎人ライナーは運転できなくなっています」「日暮里・舎人ライナーは不通となっています」などと言うのが適切ではないでしょうか。