私の魂の還る場所

 大江の小説を読んでいると、ときどき魂の再生の話になる。大江が生まれ育った森のなかの谷間では、死ぬと魂がからだから離れ、グルグル旋回して森の高い所に昇り、木の根方で、また生まれるのを待っているという。
 魂の還る場所について、そういったものを信じる信じないはさておき、そういったものを一旦定めてしまえば後がつけやすくはなるだろう、とはしばしば考える。
 自分について言えば、それはまず出身の吹田ではないだろう。これはヴィジュアル的な問題である。吹田の生まれ育った街はニュータウンで、街並みもやはりニュータウン的なので、そこに魂が戻ってくるという想像は、端的に映えない。こちらに裁量があるならばすぐにも候補地からは外れる。母の出身である南河内もなんだかがやがやしてるイメージが強いので、あまり魂が還ってきそうにない。
 有力な候補地としてはやはり父の出身である石巻が考えられる。毎年正月には帰っていたし、私の戸籍もずっと石巻に置いていた。こちらは漁師町(祖父も漁師であった)で、海もあるし磯の匂いもするし雪も降るし静かだし「ふるさと感」がだいぶ強い。
 しかし毎年帰っていた家は今はもうない。津波で流されたからである。流されたというのは誇張で、実際は半壊である。何本か柱も残っていた。祖母は家の二階に上がっていたが、それでも壁のように押し寄せた波で腰までは水に浸かってベランダの欄干にしがみついていたそうである。港から一〇〇メートルもないエリアだったので両隣の人は死んでいる。他にも近所の顔見知りのひとはやはりけっこう死んでいる。祖母は運が良かったのである。
 その祖母も地震後の一週間ぐらいは連絡が取れず、我が家では誰も口にはしなかったがはっきり言ってみんな祖母は死んだものだと考えていた。日本のニュースでは詳細がわからず、海外のニュースやネットで死者と生存者の情報を追い、死体の写真があがっていれば、その顔が祖母のものでないか目を凝らした(わからない場合も多かった)。地震があったのは大学の合格発表の翌日で、当然いろいろな誘いもあったが私は行かなかった。しかしずっと家にいたはずもなく、その一週間何をしていたかはあまり覚えていない。このときの私にまだ本を読む習慣はなかった。とにかくみんな祖母が死んだものと考え、死体が出てくれれば幸い、ぐらいに考えていたことは覚えている。しかし祖母は生きていた。
「公民館の二階で寝させてもらってさ、こんな寝れるわけねえべ、って思ったの。そしたら一階がすんごいすずか(静か)で、みんなよっぐ寝れるもんだつって自分もぐっすり寝てさ、次の日降りたら一階はみなすたい(死体)なのよ。すんごいすずか(静か)に並んでさ、すんごいぐっすり眠れたの」
 繰り返されるうち、微妙に細部が移ろっていく祖母の言のどこまでが誇張かはさておき、地震直後はやはり再び津波が来ることに備え、皆できるだけ高いところで寝て、一階に死体が搬入されることもあったそうである。深い眠りであったことはおそらく誇張ではないだろう。
 その石巻からも先日私は戸籍を抜いた。新しく茨木に戸籍をつくるためである(結婚しました)。
 無論、戸籍=ふるさと=魂の還る場所、ではないし、そもそも茨木もベッドタウンなのでヴィジュアル的に「ふるさと感」が薄い。
 しかし現在のところ、この茨木の他に有力な候補地がないのもまた事実である。だから暫定的には私の魂の還る場所があるとするならこの茨木ということになる。大江だってもし魂の還る場所があるとするなら、実際は世田谷の成城の家になるだろう。森のなかの谷間のお話は、そのフィクションを支えるためのフィクションである、と今の私はそう思う。そのために大江はあれだけの膨大で強靭なフィクションを鍛え上げた。フィクションはフィクションによってしか支えることはできない。
 だから私の魂の還る場所は茨木にある。今のところ。


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