古井由吉とゼーバルト
前も書いたが、ある時期からの古井の空襲の描き方は、ゼ―バルト『空襲と文学』以降のドイツの空襲論争に影響を受けたのではないかと私は考えるようになった。無論思いつきである。しかしツイッターでそのようなツイートをしたところ、賛同してくれた方もいたから、同じようなことを思っていた人はやはりそれなりにいたのだと思う。
一方で、「古井はゼ―バルトが侵略と植民地主義、収容所を問題にしたように、暴力を行使する主体への洞察には足を踏み入れない」という意見もあった。これは全くその通りである。古井は少なくとも空襲に関して、加害者・被害者という描き方はしていなくて、厄災という描き方をしている。自然災害と同じ描き方である。「私」というストイシズムを貫けばそれは当然そのような描き方になる。少なくともまだ少年だった「私」からすれば空襲は厄災だっただろう。加害・被害という構造が明らかになるのは、「私」離れた視点によってのみである。古井は空襲の記憶に関しては特に、「私」から離れることを抑制した。頑固なまでに「私」に留まり続けた。その結果古井の空襲の描写は、ゼ―バルトが『空襲と文学』で数少ない空襲の描写の成功例として挙げたノサックにも劣らない、優れたものになっている。しかし「私」に留まり続け、その空襲の描写が真に迫るほど、当然ながら加害者の影は薄まっていく。これは大日本帝国側の加害には触れないという点とワンセットであるように思える。そこに触れようとすれば少なくともまだ少年で、戦地で直接の加害行為をしていない「私」から離れる必要があるが、これも「私」というストイシズムを貫くためには当然抑制されなければならない。あるいは意地の悪い言い方をすれば、「『私』から離れることは抑制されなければならない」という帰結を導き出すためには「私」というストイシズムを貫いていなければならない。ここがゼ―バルトと古井の大きな違いである。ゼ―バルトはそもそも空襲に逃げ惑う「私」であったことはなかった。あくまで現場にいなかったものとして、ドイツの空襲被害とその描かれ方、そして(分量自体は少ないものの)連合国側の加害についても触れた。それは無論同じように「私」から離れて第三帝国時代のドイツの加害を描いたこととワンセットである。けれども私はそれが古井がゼ―バルトに比べてモラルが欠如していたからだとは思わない。古井には古井のモラルの問題があったようにゼ―バルトにはゼ―バルトのモラルの問題があった。
その一つがまさしく彼の語りの方法である。ゼ―バルトは第三者の視点で物語を始めることが多いが、語り手は逍遥を続けるうちいつしか被害者の視点と声を借り、加害者の加害を密やかに暴いていく。しかし彼自身は被害者ではないから、ある意味でそれは騙りであり、ポジションの簒奪であり、その点が彼の伝記でも批判的に論じられている。
しかし少し考えてみればわかるが被害者と加害者が存在する出来事を書こうとすれば、どの書き方を採用しても必ず倫理的な問題が生じてしまうものである。
例えば出来事を加害者の立場から書くとする。その場合書き方として、「良いもん」「悪もん」と通俗作品のようにあまりにはっきり分けて書いてしまうと、出来事を単純化してしまうことになり、消費されやすく、風化されやすくなってしまう。かと言って、(ドストエフスキーを代表として文学にはこの伝統が強いが)加害者を神格してしまうと、被害者は加害者が魂のステージを上がるための供物のような存在にされてしまう。反対にまた加害者の愚かさ、加害行為の意味のなさ・偶然性・何となく性を書いてしまえば、それはそのまま被害者の被害の意味のなさ・偶然性・何となく性に繋がってしまう。かと言って古井のように加害・被害の関係をなかったことにして、「災厄」にしてしまうのも無論問題がある。
つまりどんな書き方をしようが、必ず罪が生じるのである。しかしだからと言ってどんな書き方をしてもいいということではない。罪にはそれぞれ軽重があり、その都度その軽重を論じること、論じたものに対して場の審判を求めることには大きな意味がある。そしてその罪を贖罪するのは、つまり別の書き方でその出来事について、あるいは別の出来事について書くのは、別にその罪を犯したものである必要はない。私かあなたが書けばよいのである。