死せる魂
先日綿野氏と新大阪で軽くお酒を飲むことがあった。初対面かつ短い時間であったが、それなりにいろんな話をすることができた。こちらが話したことの中で一つ、「それは書いた方がいいよ」と綿野氏が言ってくれた話があったので(けっこう時間が経ったけど)ここに書いてみる。酒の席の話だけれども、酔っ払いには酔っ払いの理屈があると思うので、できるだけそのとき話したように書いてみる。こんな話である。
チェーホフの小説や戯曲でよく描かれる「退屈」は、要するに個人に割り当てられた余暇が多すぎる・身に余るということで、この感じを文章に起こせたのはチェーホフの発明であるが、実はその前にはゴーゴリがいる。どういうことかというと、ゴーゴリに『死せる魂』という小説があって、タイトルは有名であるが意外と読んでいる人は少なく、面白いのでみんな読んだらよい。『死せる魂』のあらすじなどはウェブ等で調べればすぐ出てくるので詳しくは書かないが、主人公のチチコフは死んだ農奴の所有権を地主から買い集めている。当時は農奴を担保にしてお金が借りられたので、死んだ農奴を担保にして金を引き出そうと目論んでいるのである(ちなみにタイトルのМёртвые душиのдушиはДушаの複数形でДушаには魂という意味と農奴という意味がある)。チチコフは死んだ農奴を買うためにとにかく旅をして、広いロシアをあっち行きこっち行きしてこれでもかというくらいカラフルな人々に出会う、というのは実は話が逆で、チチコフがあっち行きこっち行きしてこれでもかというくらいカラフルな人々に出会うものだからチチコフも読んでる側もロシアが広いということがわかる。チチコフが旅をするのには無論上記のような理由があるのだが、実際読んでいるとき、ほとんどの人は「このひとは何でこんな一生懸命旅していろんなひとに会ってるのだったかしら」と思うはずである。そして忘れる。なぜかというとこの小説で一番大事なのは「ロシアが広い」ということだからである。こんなシーンがある。
そうこうするうちに半蓋馬車(ブリーチカ)はいよいよ寂しい街から街を通り抜けて、やがて市街もこれで終りらしく、木柵だけが長くつづく傍らへと出た。間もなく鋪石道も終いになり、関門を通り抜けると、市はもう後ろになって、ぐるりには何ひとつなく、一行はいよいよまた旅の空へ出たのである。こうして、又しても街道の両側を、里程標だの、宿場役人だの、井戸だの、荷馬車の行列だのが、後へ後へと飛びすぎて行き、灰色の村落にさしかかる度毎に、サモワールだの、女房連だの、旅籠屋から燕麦をかかえて飛び出して来る素敏っこい亭主だのが眼についた。もう八百露里からの道を歩いているという、ちぎれ草鞋をはいた徒歩旅行者にも逢えば、木造の小店や、麦粉の桶や、草鞋や、輪麺麭(カラーチ)や、その他いろんながらくたの眼につく小さな町も通りすぎた。だんだらに塗った関門だの、修理中の橋だの、右にも左にも目路のつづく限り涯しない野原だの、地主の乗っている古風な旅行馬車だの、『何々砲兵大隊』と書いた緑いろの砲弾箱をはこんでゆく騎馬の兵士だの、曠野のそこここに点々として連なる、緑や黄や、まだ掘りおこしたばかりの黒々とした畠の縞だの、遠くから聞こえてくる歌声だの、霧の中に浮かんでいる松の梢だの、遠く消えてゆく鐘の音だの、蠅のように見える鴉の群れだの、涯しない地平線だの……。ああ、我がロシアよ! ロシアよ! 作者は今、御身の姿を心に浮かべている、遠くこの妙なる麗わしの国から御身を眺めているのだ。総じて御身は貧弱で、散漫で、どうも居心地が悪い。人を楽しませたり驚異の眼を瞠らせるような、奔放な自然の奇もなければ、摩訶不思議といわれるような人工の美もない――断崖の上に聳り立つ、窓の沢山ある宏荘な宮殿をもった市(まち)もなければ、邸内や、瀑布の轟きや絶え間なき水しぶきの中に生い茂る絵のような樹木や常春藤(きづた)もなく、涯しもなく頭上はるかに巍々と聳え立つ巌を仰ぎ見ることもなければ、葡萄蔓や常春藤(きづた)や、数知れぬ野薔薇のからみついた重畳たる拱梁(アーチ)もなく、その拱梁(アーチ)の間から、銀いろの明るい空に浮かぶ輝やかしい山脈の悠久な輪郭が仄見えることもない。御身のうちにあるものは凡て茫漠として平板である。坦々たる平原のあいだに建(たち)の低い市(まち)々が、まるで点か記号のように突起しているだけで、何ひとつ人の眼を惹き、心を魅惑するものがない。しかもどんな神秘な捕捉しがたい力があって、かくまで御身に心惹かれるのだろう? どうして御身の、あの退屈な歌が、国土のつづく限り、涯から涯まで、どこへ行っても嫋々として小止みなく鳴り響き、耳朶を打つのだろう? 一体、この歌の中には何があるのだろう? 何がかくも我れを呼び、慟哭し、心を緊めつけるのだろう? どんな声音がかくも悩ましく胸を打ち、魂に喰い入って、わたしの心臓にからみつくのだろう? ロシアよ! 御身はこのわたしに何を望んでいるのか? どんな不可思議なつながりが御身とわたしのあいだに匿されているのか? 何をそんなに御身は眺めているのか、また御身のうちにあるありとあらゆるものが、どうしてそう期待に充ちた眼をわたしに向けているのか?……。そればかりか、わたしがかく疑惑にとざされて、じっと立ちつくしているとき、今にも雷雨をもたらしそうな重々しい雨雲がわたしの頭を翳し、広漠たる御身を前にしてわたしの思考力ははたと鈍ってしまうのだ。この涯しなき広袤は何を予言しているのだろう? そもそも御身そのものがかく宏大無辺である限り、そこにこそ、その御身の懐ろにこそ、測り知られぬ大思想が生まれる筈ではなかろうか? 御身の懐ろで縦横に腕をふるい、駈けまわることが出来るとしたなら、そこにこそ剛勇無双の勇者が生まれる筈ではなかろうか? その力強い広袤がわたしをむんずと鷲掴みにして、怖ろしい威力をわたしの魂に反映させているのだ。今わたしの両の眼には、本然ならぬ威力が宿っている……。ああ、なんという輝やかしくもいみじき、世に知られぬ僻地であろう! ロシアよ!……。
チチコフが抱いているのは、個人に割り当てられた空間が多すぎる・身に余るという感覚で、これは一言でいえば空間に対する債務感覚である。チチコフがなぜそんな感覚を抱いたかというと、さっきも書いた通り、旅をしたからである。チチコフのように「自由に旅をする個人」というものが現れて初めて、つまり近代になって初めて、そのような感覚が生じえたのである。これはどこまでも見通せてしまう平原の感覚でもある。日本のように新期造山帯に属し、起伏が多く、すぐに視界が遮られてしまう土地では起こりえない。日本の作家でそのような感覚を抱いていたのはおそらくは長谷川四郎ただ一人である。『鶴』にこんなシーンがある。時代は敗戦直前、場所は旧ソ連と満州国境の平原である。
人家は一軒も見えなかったが、ただ、消えた道路のほとり、国境線にそって、一本の棒杭が立っていて、それはむかし道標として立てられたものに違いなかったが、今は何の用にも立たず、さびれ、黒ずみ、たたずんでいた。だが黄昏時に、この枯れた木の傍に立ってみると、国境線をへだてて両側に一つずつ、非常に遠く、小さな灯火が見えるような気がした。それらは点滅してたがいに何か信号でもかわしているように思われたが、眼をこらして見ると、まるで一枚の草の葉のかげに隠れてしまったかのように、もう見えなかった。
日が沈むと野原は急に真黒になって、その代り空が急に真赤になった。そして、この赤い光の中へ、あの一本の棒杭が急に大きく生長したようにくろぐろとそびえ立つのが見えた。その時、突然、今まで何処にひそんでいたかわからない一羽の大きな鷹が現われて、この平野の垂直な孤立のトマリ木の上に飛んできた。彼はまずその上に静止して、それから大きな翼をひろげ、この平野の紋章のように、夕焼の中にその堂々たる真黒な影法師を描き出した。それからゆっくりと羽ばたき、羽ばたき、羽ばたきながら日は暮れてゆき、やがて何ものも見えなくなると、ただ闇の中から微かに翼の音が聞えて来た。そして、それが完全なる静寂の中へ遠のいてゆくと、それからは、もういくら耳を澄ましても、音というものは何一つとして聞えて来なかった。その時、夜はこの闇に沈んだ平野の上に広大にして、壮麗なる星空を広げていた……。
ゴーゴリや長谷川四郎の抱いた、この「身に余る」感覚、つまり空間に対する債務感覚を、時間に対する債務感覚に、三次元を四次元に変換したのがチェーホフである。彼はその冷たく澄んだ瞳で、世界の際限のない広がりをやすらかな深さへと通していくことを選んだ。退屈というのは時間の平原ですべてを見通せてしまったひとが、なお歩いて行かなければならない、長い余生である。
ルイ山田53世が授業中の粗相がきっかけで六年間の引きこもり生活を送ることになったのは周知の事実であるが、その際彼は「人生が余った」と感じたそうである。また私が生活保護のケースワーカーをしていた頃、同じようなことばを受給者の方から何度も聞いた。将来、AIの発展やBIの導入などなんやかんやで労働を免除される人々が増えるとしたら(なんやかんやでそんな将来は訪れない気がするが)、人生が余る人々も増えるはずである。『ワーニャ伯父さん』にこんなシーンがある。
ワーニャ どうにかしてくれ! ああ、やりきれん。……僕はもう四十七だ。仮に、六十まで生きるとすると、まだあと十三年ある。長いなあ! その十三年を、僕はどう生きていけばいいんだ。どんなことをして、その日その日をうずめていったらいいんだ。ねえ、君……(ぐいと相手の手を握って)わかるかい、せめてこの余生を、何か今までと違ったやり口で、送れたらなあ。きれいに晴れわたった、しんとした朝、目がさめて、さあこれから新規蒔直だ、過ぎたことはいっさい忘れた、煙みたいに消えてしまった、と思うことができたらなあ。(泣く)君、教えてくれ、一体どうしたら、新規蒔直しになるんだ。……どうしたらいいんだ。……
アーストロフ (腹だたしく)ちえっ、しようのない男だなあ。今さら新規蒔直しも何もあるものか。君にしたって僕にしたって、もうこれで、おしまいだよ。
ワーニャ やっぱりそうか。
アーストロフ ああ、断じてね。
ワーニャ そこを、なんとかしてくれ。……(胸をさして)ここが焼けつくようなんだ。
アーストロフ (癇癪まぎれにどなる)よせったら! (言葉を柔らげて)そりゃ百年二百年たったあとで、この世に生れてくる人たちは、みじめなわれわれが、こんなにばかばかしい、こんなに味けない生涯を送ったことを、さだめし軽蔑するだろう。そして、なんとか仕合せにやっていく手を、見つけだすかもしれない。だが、われわれは結局……。いや、われわれにはお互い、たった一つだけ希望がある。その希望というのは、われわれがお棺の中で目をつぶったとき、何か幻が、訪れてきてくれはしまいかということだ。それも、何かしら楽しい幻がね。
しかし面白いことにこんな風に人生の余った人々を描いたチェーホフ自身の人生はまるで余っていなかった。チェーホフは結核で四四歳で死んだ。その六年後に死んだトルストイの半分ほどの短い生涯だった。もっと長く生きて、もっと書きたかったろう、まだ書きたいことが山ほどあっただろう、という想像に、伝記的事実や引用は必要ない。カーヴァ―もまたそんなことを考えて、癌との闘病生活の中、『使い走り』という短編で死にゆくチェーホフを描いた。それがカーヴァ―の最後の短編になった。彼もまた人生の足りなかった人だった。この短編を読むと、作家というものは先行作家の債務を相続することでしか、その弁済の肩代わりをすることでしか作品を残せないのではないかという感じがする。その債務をナボコフならば「賜物」と、そのリボ払い式の弁済の日々をセリーヌであれば「なしくずしの死」と言うのかもしれない。しかしその債務は決して弁済し終えることがなく、ひたすらに繰り越されていく。『使い走り』にこんなシーンがある。
わかりましたか? チェーホフ氏が亡くなりました。わかりますか? コンプルネ・ヴ―? いいですか、あなた、アントン・チェーホフが亡くなったんです。だからよく聞いてください、と彼女は言った。あなたは下に行って、フロント・デスクの誰かに何処に行けばこの町で一番の葬儀屋が見つけられるかを訊いてください。一番信頼できて、一番丁寧な仕事をして、きちんとした作法をわきまえている人物をです。要するに偉大な芸術家を扱うにふさわしい葬儀屋をです。さあ、と彼女は言って、彼の手に金を押し付けた。下に行って他の人にこうお言いなさい、自分は特別にある用事を申しつかったのだと。ちゃんと聞いてますか? 私の言うことは理解できましたか?
カーヴァ―もまだ書きたいことがあったのだろう。それが何だったのかはもう当人が死んでしまったのでわからない。しかし書かれた作品は読むことができる。読んだ者の中には、それが身に余る者も、おそらくはいるだろう。
あなたは自分が非常に重大な使いの仕事に携わっているのだと思ってきちんと振舞わなくてはなりません。それだけを心がければいいのです。そうです、あなたは重大な使いの仕事に携わっているのです。