わたしの情熱は躁だった

今日、二子玉川で行われた本屋博に行った。2日間で約40店舗もの今をときめく本屋たちが参加しているイベントだ。よく晴れた比較的暖かい日とはいえ寒い寒い野外で開催されていたにも関わらずそこは熱気に溢れていた。それは多くの人で賑わっているという意味だけではなく、ひとつひとつの本屋が並べる本たちがいい顔をしているからだった。ひとつのブースはわずかなスペースながら、本が本屋の自己紹介をしているような、少数精鋭が揃っていた。きっと大手の大型書店にも並んではいるのであろうその本が、あの場所ではじめて手に取られ買われていく。その現場を目撃した。私はその模様を見て本屋の希望を見た。力強さを感じた。

その一方で、私はその力強さに打ちのめされた。おそらくこの情熱はこれからも続いていくであろうし拡大していくだろう。その担い手たちの顔を見た。私には想像もつかない苦労があるに違いない、違いないが私には、まずその情熱を保てないのだと気づいてしまった。躁うつ病はたぶんそういう病気なのだと思う。

坂口恭平の本を今日、別々の本屋で何冊も見た。たしかに著名な方ではあるが、本屋に絶対にあるタイプの本ではないはずなので面白く感じた。その坂口恭平は、躁うつ病でありその生活を書いた本もある。私も同じだから存在を知っているだけであって私にとって内容はあるあるしかないのであまり読んだことがない。それよりも知りたいのは躁うつ病の対策でありライフハックだからだ。そういう意味では芥川賞作家の絲山秋子のエッセイの方がためになった。この方も同じ病気である。同性というのも大いにあるとは思うが。

知っている作家の本が複数の本屋に見つけて嬉しかったというだけの話でした。

躁というのは、書いても書いても止まらないとき。話しても話しても濁流のように思考が止まらないとき。眠ろうとしてもさえざえとして長い長い夜を過ごすとき。つらく深いうつからはね上がるとき。
わたしはとくにうつが長いので、むしろ元気でよいじゃないかと思っていたし周囲に思われていた。少し多弁でも結構結構としていた期間は実に8年。躁うつ病だとわかるのに、8年かかった。
本当に切ないことだと自分でも思うのだけど、私の情熱は躁だ。躁状態でしか、何かをうみだすことや馬力をだすことができない。うつからはね上がって何もかもできるように感じ、何かをし始めたり誰かを巻き込んだり文章を書き散らして公開したり、「これがやっと本当の私なのだ」と、思う。涙する。しかしそう思うこと自体が、躁状態だったのだと今は知っている。だから続かない。躁があればうつがある。躁状態でやり始めたことは続けられないし、うつ状態で頑張っても躁状態の馬力には届かない。私に期待をかけてくださった人はたくさんいる、とくに大学の先生や上司、私はこれだけできますという目一
杯を見せてきた。私も私でそれをまったく疑っていなかった。でもだんだんと彼らの期待を裏切ってしまう、私の情熱は情熱と認められずにいつも諦められる。その程度だったんだねと。

何より1番自分自身に失望する。
あんなにやりたかったこと。今だってそう思ってること。どうして続かないのかできなくなるのか放棄してしまうのか、ずっとわからなかった。
何かをうみだすという行為は、たくさんのエネルギーを消費する。熱意が必要だし体力もいる。それは作家のような仕事だけじゃなくて、アイデアをだしてプレゼンすることも同じ。そのプロセスを私は続けることができない。
ずっと私自身も、躁状態の自分が本当の自分だと思っていた。でも躁状態は私の場合とても短い期間なので、ほとんどうつ状態のまま過ごした。だから一度でもできたという経験があるからこそ「本当はできるはずなのに」という思うのが1番つらかった。前はできたのに怠けているだけなのか。口だけの人間なのか。ベースは同じ人間なので好きなものが変わるわけじゃない。躁状態でもうつ状態でも本が好き、文章が好きなことには変わらない。でも本は躁でもうつでもない貴重な期間にしかしっかりと読むことはできないし、アイデアをコンスタントにうみだすことは難しい。大好きなことだから絶対に続けていけるだろうと思っても、挫折を繰り返してきた。それでは私は一体何ができるのか?何度も何度も自分に絶望してきた。躁とうつの波を社会生活に適応させることができずに、私は無職になった。無職になり、精神科に入院をし、退院後に実家から障害者就労移行支援事業所に通っている。

いま、私はルーティンワークな仕事に就きたいと思っている。1ヶ月やれば誰にでも流れがわかるような、変化のない、単純な作業。もちろん完全に変化のない仕事なんてないし、臨機応変な対応はどんな仕事でも必要だろう。でも、自ら仕事をつかんでいくような能動的な働き方は、きっとできるし好きだろうが、躁うつ的には続かない。大学を卒業してから就いた仕事は3年弱続いた。それは毎日の小さな違いはあれどベースが地味で単純な作業だったからだ。思い返してみれば、躁状態であれば多くの仕事をこなしていたし、ひどいうつ状態のときは最小単位の仕事をすれば許された。今の私の希望に近い。しかし「好きなことを仕事にしているのに、積極的に仕事ができない」ことは心苦しかった。そのときはまだ自分が躁うつ病だということを知らなかったから、治療を始めていれば少しは違ったのかもしれない。だから私は今、躁でもうつでも苦もなくできる仕事を探している。

ただ、
私にだって、ひとつのことを考えぬいて、多方面を想像してやっと、納得のいく文に行き着くこと、私にしか書けないと思えた文章が書けたと感じることはある。私にだって、私の文章で誰かの人生を少し変えたことがあるし、Twitterに書き殴る文章も面白いと言ってくれる人がいる。そういう本当の喜びを、私は忘れたくない。生きるために続けていく必要のある仕事とは別に、私はこうやって文章を書いていきたいし、それを知っていて書かせてくれる人もいる。

情熱を持ち続けられないという、どうしようもない悲しみを知ることで、より躁うつ病とともに生きることを知るのだろう。


2020.2.6

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