やわらかい地獄

「家に帰りたくない」というはっきりとした気持ちは恐らく持ったことはない。日常生活を滞りなく問題なくつまづくことなく過ごせていれば起こらなかった普通でない出来事の数々が、「家に帰りたい」と思うよりも先に「家に帰らない」行動の起こさせていたのではないかと思う。繰り返すが家に帰りたくないと思ったことはほぼない。わたしの安寧は自部屋にあってそこでしか安眠できないと思っていたからラブホテルのベッドなんて大嫌いだったし、そこで行われることなんてもっともっと、嫌だった。その当時は気づかなかった、バカみたいだけど、そういうことってあるみたいなのだ。

1泊、2泊、1週間。長ければ長いほど、わたしの匂いは変わっていくようだった。匂いというか、まとっているものが、家のものとは違っていって。玄関のドアを開けるとき、いつもソワソワと緊張していたのを覚えている。家族に後ろめたいということもあるし、家族が「家にいなかった人」という空気でわたしを包むからだった。それはもう、家全体に満ち満ちた空気で、見えない膜のようなものが張ってあるようで、ドアを開けてむっちりとその中に入るときわたしは、すごくイヤだった。窮屈だった。後ろめたいことをするのにきっちりと「〇日の〇時に帰ります」なんて連絡しているわけがなかった。知らねーくだらねーふざけんなーと厭世的で自暴自棄で自爆寸前の行為なわけだからそんな、塾みたいに親にお伺いをたててやることではないからだ。だけど本当の本当はそんなことやりたかなくて楽しいわけではなくてだから、多大に後ろめたいのであるし罪悪感があるのだろうと思うのだがその当時は、ただ、少し時間をかけてまた「家族の一員」となるのだった。
今思えばとても簡単で、わたしにとって家は全然安寧の地ではなく安らげるところではなく、峯田和伸が言うところの「やわらかい地獄」そのものだったということだ。それは、まさに、真綿でゆっくりとゆっくりと首を締められ、苦しい?かもしれない?けど慣れれば?みたいな状況で、だけどこのままいれば死ぬことに26年もかかって気づいた。

 今はじめて、家族以外の人間と「家」を作っている。駅から20分もかけて歩きながらその「家」に向かっていると不思議な気持ちになってくる。なんだか今までの何もかもが作り直されているような、あの、玄関を開けるときの妙な緊張のような、良いような悪いような、ザワザワとした気持ち。部屋に入り電気をつけるとじわりと消えるのだが、家という形は本来は外から見て作られるものなのかもしれないと、自分でも意味がわからないことを思った。

2019.4.12

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