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地域活動ってなんだ!?

というお話。
これに関しても、例に漏れず持論が強めの記事ですゆえ、それは違うよー的なことは大歓迎です!(でも優しくしてね。)

はいそれでは、ぼくです。
今回は長いぞお・・・。


自分の話

と言いながら、あんまり語ることはないというか、自己紹介記事で既に色々書いちゃったのでそちらをご覧ください!

地域活動ってどこから?

「近所にコ○トコできないかな」
「もっと飲み屋さん増えてほしいな〜」
「交通の便、悪すぎ」
「(学校とかの)行事だるい〜」
「花粉症だから杉の木(などのアレルゲン)撲滅してえ・・・」
「音楽フェスで有名人来ないかな」
「サバゲーが趣味だから近所に遊べる場所が欲しい」
「食べ物メインのイベントあると楽しそう」
「ゲーセンが近所に欲しい」
「だるまちゃん公園みたいな場所が越前町にも必要でしょ」
「スタバは必須」

僕はこれらの悩み全部、地域活動にできると思っています。
あ、もちろん言ってるだけでは実現できません!

仲間や賛同者を集め、実行計画を策定し、具体的なプロット(手順)を設計して、予算を確保すれば、それはもう立派な地域活動ですし、そうなれば行政もちゃんと動いてくれます。

その地域活動に、大小はありません

実現規模は予算と参画人数に応じるのは仕方のないことですが、そこまでしっかりやり込めば実現不可能なことって、それほど多くないと僕は思います。

寺坂が考える"地域活動"

さて、ここからは脇目を振らず、持論をズバババっと展開していくので、皆さまツッコミのご用意を。

その1:アイデアって大事

上で「どんなことでも地域活動になりますよ!」って書きましたが、陥りやすい罠じゃないかなーと思うことをご紹介。

やま!

仮に、「越前町の山林を開拓するプランについて話し合う会議」というものが開催されたとします。

主催は市町村役場、事務局として農林水産課や地域振興課といった各部署の方が進行を担当してくださっていたと仮定しましょう。

その中で、
「キャンプ場にしようぜ!」
「山リゾートをだな」
「こどもが遊べるアスレチックを」
「でっかい駐車場作って商業施設誘致したら?」
といったアイデア(?)がたくさん集まり、無事会議が終わったとします。

…これだけでは、地域活動には当たらないと思います。

誰がどうやって、どの程度の予算で実行するのかが曖昧である以上、(アイデア未満というと厳しい聞こえですが、)ご要望の域を出ていないと思っています。

また、そこから何もアクションがなければ、「え、結局役場にやっといてねってこと?」っていう感じにも受け取れちゃいますよね。

んじゃ、どこまで行けば「アイデア」になりえるのか。

例えば、ここまで話が進んでいたらどうでしょうか?

  • アスレチックを作りたくて、友人の林業従事者に聞いてみたけど、〇〇円ほどで〇〇平米の伐採・整地ができるらしいけど、予算規模としてどうか?(イニシャルコストの話)

  • 仲の良いキャンプ場オーナー曰く、キャンプ場の運営に常時○人必要で、運営維持管理費として〇〇円あれば運営できるらしいから、イニシャルコストが賄えれば、運営は僕がなんとかできそう。(ランニングコストと人材の話)

  • うまくいけば〇〇円の経済規模事業ができるが、想定できるいくつかのデメリットがあり、次回そのあたりの洗い出しをしてくるから意見が欲しい。(リスクとリターン)

  • 5年後までに〇〇円の売り上げ目標、もしくは黒字化できなければ、(地ならしを終えている点を踏まえて)商業施設誘致に即座にシフトできるからこの案は良い案だと思う。(KPI設定とリスクヘッジ)

しごできマン(「仕事ができる、できそうな男」の略)
こんな感じになりたい

つらつら書きましたが、何が言いたいのか。

どれにも共通することは、「周りの人が、次のアクションを実行もしくは考えられる材料を提示していること」です。
(思いつきや妄想の段階ではそこまで詰めなくても良いと思いますが)

会議となればこれくらいの話をしながら、「次どうしていくか」という活動の筋道をザックリとでもいいのでまとめていく必要があります。

それに紐付けられるような情報を含めて、はじめて「アイデア」たり得ると僕は思います。

そして、さらに賛同者を得て、細部を詰めていく、ここまできてようやく地域活動の車輪が進み始めたと言えるのではないでしょうか。

放蕩な言葉の舞は雑談の域を出ない、とでも表現しましょうか。(『放蕩な言葉の舞』…無責任な発言のことを指します。)
名言キタコレ(今作った)

その2:手弁当でよくねえか?

このあたりは、僕自身も結構コロコロと考え方が変化してきた部分なんですが…。

これはお弁当

ここでの手弁当っていうのは、「持ち出し」的な意味で使っています。

例えば「祭を盛り上げるぜ!」といって声をあげた時、お金(活動資金)はとりあえず自分たちで出してやってみよう!というのが手弁当で進めているという状態です。(違和感あったらごめんなさい!)

僕の基本姿勢としては、「やりたいこと」は手弁当が当たり前だと自分に言い聞かせてます。

もし運良く補助金や助成などをいただけるとなれば、(収支報告は当然として)実績報告や得られたデータ、今後のどういう展望がありそうなど、何らかフィードバックを行政に返す必要、つまり義務が発生すると思っています。

それをして、やっと地域活動の成果です。(成功するに越したことはないですが、成功・失敗問わずです。)

「地域活動やったぞー」という実行したこと自体ももちろん素晴らしいことですが、それだけでは「税金を使う必要がない」と断罪されかねません。

それくらいなら、手弁当でまずはやってみて、効果を確かめてみるというのが、一番クリーンで地域としても素直にありがたいと思える活動だと思います。

地域活動とはいえ、なにかするにはお金が必要です。
地域活動を収益化すること自体は、僕も大賛成です。

しかし、「地域活動名目の補助金から直接利益を上げる」というのは、また少し違うように思えます。


ぜいきん

補助金や助成金の元では、そもそも税金です。(もちろん国から目的化されて配分された交付金等も存在しますが、その元も国民の税金です。)

国民のために使いますよー」と集めたお金なわけです。

最大効率で地域のために"地域活動"しようと思うと、「組織の利益」というのは本来取りようがないはずなんです。(難しい言い方すると、「組織の利益と地域の利益は相反する」みたいな)

ただ、「その予算を全部使って、最大限地域活動を行うことで、間接的に自分の団体の利益になる」これはむしろ素晴らしいと思います。

これなら、行政もしっかり目的に沿った税金を使えて⭕️ですし、地域にとっても100%還元されてて⭕️ですし、実施した団体からしても集客や実績につながって⭕️の、三方よしです。

直接利益を取らなくても実質的な収益が得られる構造だったり、それが難しくてもせめて収支でトントンの構造にしていく努力が、地域活動には不可欠じゃないかなーと思います。

(実際それが難しいですし、僕自身完全にできているわけではないので、戒めのためにもあえて書きました…。)

その3:官民連携について

つぎは、役場や行政、事務局などの"官""公"との向き合い方についてです。

まず断じて言えるのが、役場や行政、事務局が下請け、ましてや部下や手下となどではないということ。

あくまで地域活動においても、官と民はビジネスパートナー同士であり、対等で「ただ役割が違うだけ」という関係性であるべきだと思います。

その1でも書きましたが、「やっといてね」スタンスはほんといけません。
これをして、上手く進んでいる例を過去見たことがありません。

地域活動としてやってほしいこと等を発言・提言するのであれば、自らも何かしら行動しなければなりません。

その4:老若男女共同参画

一般的には男女共同参画!とかとよく言われていますが…。

僕は男女平等論がしっくりくる考え方だなーと思っています。
もっと言えば、すべからく老若男女は平等だと思っています。

この「平等」とは何か!?みたいな話をし始めると、あと1万文字以上書くブログになってしまうので、一言でいうと…

平等ってのは機会の平等です。

「自身がどう扱われるか」という結果までを保証するのが平等ではなく、誰しも同じだけの機会を与えることが平等だと思っています。

具体例をあげると、「男女共同参画に則って、組織の割合を男女半々にする」みたいなのは違う気がしています。

もちろん、「その組織に入る機会」は平等に与えられるべきです。「女性だから応募できない」などはもってのほかです。

しかし、「割合を半々にする」ことは、なんの意味も成していません

「女性の席がひとつ空いてるけど希望者がいないから、嫌々ながら誰かがその席につく」みたいなことが起こりかねませんし、なにより『男女の割合を一定にすること』がその組織の目的ではないはずです。

それぞれに優れた能力があるんよ

誰しも能力を持ってます。
老若男女の区別なく。

僕はコミュニケーション特化の人間です。
なので交渉を担当することが多いです。
料理はろくにできませんが、お菓子は作れます。
作業は好きですが、後片付けができません。
段取りに弱く、本番に強いです。

他にも。
仲間のエンジニアMくんは、マネジメントやディレクションが超得意。
弊社従業員の女性は計画性の鬼です。ミスが本当に少ない。(ほぼ無い)
先日の商工会の商業部会という会議では、部会長が新しい手法に対し、柔軟な対応で大きな成果を挙げていました。

ある友人はとにかく人を信用しないですが、発想力が凄まじいです。
またある友人は態度が大きいですが、自信満々で頼り甲斐があります。
別の友人は普段頼りないですが、ここぞというときには絶対に助けてくれます。

もちろん、こうした事実ありきの人物評価は、過度な成果主義を助長してしまうかもしれません。

しかし、それらの能力や特性(個性)を無視した、「幅広い年齢層を〜」とか「女性のメンバーを〜」といった形式的な多様性だけに主軸をおく(形式主義とでも呼びましょうか)のは無意味だと思います。

むしろ、せっかく地盤が凝固になっていた集団(チームビルディング)を、形式的な枠組みで崩すことによって破壊してしまう可能性がある点いうと、害悪とも呼べてしまうと思っています。

実際に条文内でも、そこまで過剰な形式的な平等にするべきとは述べられていないように見えますし…。

【形式的平等と実質的平等】
平等概念の中に単に法的取扱いの均一化を超えて国家権力が格差是正を積極的に含めるべきかという議論がある。前者が形式的平等の概念であり、後者が実質的平等の概念である。元々国家の任務は、各人の前提条件を均一に し、その自由な活動を保障することであったが、資本主義の発展により、これではかえって格差が広がることになったこと から、近年では、実際に存在する社会的、経済的不平等を是正することが国家に求められている。ただし、国民が現実の不平等の是正を国家に要求する権利までは認められておらず、これらの実質的平等の実現は、福祉国家の理念に基づ く社会権(生存権、教育を受ける権利、労働基本権など)の保障などによって実現されるべきだと考えられている。

【結果の平等と機会の平等】
実質的平等が求められているからといって、結果まで完全に同じにすることは妥当でないと考えられている。努力した者も怠けていた者も結果が全く同じというのはいかにも不合理である。そこで国家は、各人に活動のための機会を平等 に与えれば足りるとされている。ただ、社会的・経済的な格差が現実に存在するところでは、法律上抽象的に認められた 「機会の平等」は形式的なものにすぎず、この機会を利用することは現実には困難なことも多々ある。そこで、現在は、個人が置かれた具体的状況を考慮して、現実に機会を利用し得る、実質的な「機会の平等」が求められている

男女共同参画社会基本法 執務概要 目次

まとめ

こういった「どうあるべきか」というのは、時代に応じて変化していくものだと思います。

また、何が正しいというものでもなく、『何を信じるか』というものに近いと思っているので、日々様々な声を吸収して、俯瞰的に考えられるような人間になりたいものです。

今後も、しっかり情報をアップデートしながら、もし変化があれば更新しつつ書いていかないといけない記事だと改めて感じました!

あーーーー長かった!!!笑

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