親戚達が何気なく帰れる場所
私の実家は越後湯沢で4代にわたって旅館業を営んでいる。当時は旅館の一部に住んでいたため、家の中には常にお客様や宿で働く仲居さんがおり、家が留守になることはなかった。両親や祖母も一緒に働いてたので、休みの日でも家族がそろって出かけることなどなかったが、近所には私と同じように家が商売している幼馴染みも大勢いたので、不思議と寂しさを感じることはなかった。
親戚達が一堂に集まるお盆とお正月は、旅館は泊まれるテーマパークに変わる。世代が近い従兄弟同士が集まり、旅館でみんなで遊ぶ。旅館全体を使った「隠れんぼ」は鬼役が発見するまでに時間がかかり、隠れた本人が布団部屋でそのまま寝込んでしまうこともあった。宿が忙しくなる夕暮れはみんなで料理の盛りつけや布団敷きを手伝い、誰が一番うまくできるか競争する。さらに親戚たちの滞在が長くなると、近所の子供たちとも仲良くなり、一緒に遊ぶこともしばしばあった。それぞれ近所の親戚同士がチームに分かれ、一族対抗で野球大会をすることもあった。夏休みや冬休みにはどこかにいくことはできなかったが、それでも遊びに飽きることはなかった。親戚達の里帰りをいつも待ちわびていたし、旅館という場所が地域の人と外から来た人を結びつける接点になっていた実感は私の原体験の中に明確にある。
帰る宿龍言荘ではまさに私が子供の頃に楽しみにしていたような繋がりが持てたらと思う。何かの目的のために訪れるというよりも、何気なく立ち寄り、何気なく時間を過ごす中で新しい関係性が生まれ、それが遊びであれ、仕事であれお互いにわくわくする時間。そんな時間がこの龍言荘で取り戻せたらと思っている。