ヌマクロー
何を大事にするかによって意思決定は変わるけれども、何を思って決定したのかがコロコロ変わるとその当時何を大切にしていたか思い出せなくなる。
現状何かできる人間になった兆しはなく、年下のアーティストに感動しながら年下がスポーツする中継を見たりする。
幸せになった人たちはかみしめるのに時間を割いて、今更口を開くやつらは時間を持て余している。
23回の秋は新鮮さを保ったまま、来年の抱負を聞きたそうにしている。
まともに就職しておけばよかったとうっすらずっと思っている。捨てなくてよかったはずの心地よさごと距離をとってしまった。真綿で絞められているように選択肢がジクジク狭まっている。
大人はまだ若いからというが、若い自覚はない。大人である自覚はもっとない。若くない大人じゃない人。あ!この気持ち悪さってもしかして!カエルになる一歩手前のとこか!ヌマクローか!ああああ!!エウレーカ!!
何か書かなければとおもって適当に文字を打っていたら、ヌマクローになってしまいました。草タイプが四倍で入ります。
お笑いを見るとやる気がなくなって、インディーズバンドを見るとお笑いがしたくなる。いい小説を読むと書く気が失せるのと一緒、どちらにせよ見える部分だけで判断できるわけもないのに。おもしろくねーー
折り合いがつけられない。脳があまのじゃく。お笑いに近づくほど何も思いつかなくなる。このノートもそれなりに気分がいい文字を書こうと思って書き始めたらこのザマ。勝手に平子の卍解にかけられている。
仕事を辞めて一か月以上たった。ちょっと太った以外とくに実績は増えていない。文字を書くリハビリ中。心が躍らない。季節の変わり目のセンチメンタルでもなく、ただただ面倒くさくて実家が温かい。
母さんにあんたは何がしたいと、と聞かれるたびに、嘘がつきたいと答えている。意外とこれが一貫した人生のテーマなのかもしれないと思っていた。
嘘がつけるのは人間だけ、未来を構築して虚構を生み出せるのは人間だけなんだ。というとカッコウみたいに未来に向けられていない嘘をつく生き物はいるといわれた
アートができるのは人間だけ。生存戦略に関係がない表現をする人間こそ人間だ!というと、クジャクの羽もアート、表現でアピールする生き物はいると言われた
笑ってもらうのは楽しいけど、そんなの関係なくただ嘘がつきたい時がよくある。騙されている人を見るのが好きなわけでもないし、自分に得がない嘘をつくときもある。本当のことを言うのが好きじゃないのかも
大喜利思いつくの早いね、って。だって正解以外全部大喜利の素養はあるから。本当のことを言わないだけで成立はするでしょう。面白いかは別として。どんなお題に対しても使えるアンサーはあると思う。パワーワードは確かに存在する。
仮に26歳だとして、やっぱいいやそれぞれの苦悩を愛しんで、オチを何か用意しないと。そんなこと言わんで、どうせ死ぬなんてまだ言わないで。裁判しましょ、そうしましょ。笑うと負けよ、あっぷっぷ
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