没
「被告人に死刑を求刑する。」それはこれ以上議論を必要とせずこの命は存在しないほうがいいとここにいるほとんどの人間がそう思っていることを意味している。改めてそう考えると、今自分が生きていることは奇跡なのだと死が決まってからしか気が付けなかった自分の頭に腹が立つ。ここでよぎったのは今生きていること時間はものすごくラッキーなのではないか、ということである。本来人は自らが死ぬ瞬間のことを知ることはできない。事故や病気は突然訪れる。その点俺は死ぬことは決まったが執行されるまでは死ぬことはないとも考えられる。とすれば何をすれば長生きできる?死刑囚房で考える毎日が続く。そこで、もしかしたらという程度の悪あがきの方法を見出したのであった。
単純明快、自分よりもっと先に死刑を執行されるべき人間がいればいいのである。良くも悪くも悪人なら仕事柄大量に知っていた。男は毎日毎日丁寧に警察に情報を明け渡した。これが唯一の長生きする方法だと信じて仲間とも呼びたくないような仕事仲間を警察に裁かせた。
男の話に嘘はなかったようで警察だけでは立件できなかった容疑者どもを一掃できたことは警察を大いに喜ばせた。男の死刑は少し延期になった。これには男も満足した。ここまでしてもまだ生きていたいと思っているのだ。死刑がなかったことになることはないが、自分の行動が一日、一日と自分の寿命を延ばしていると考えると達成感に満ち溢れた。
囚房の中では常に善人であることを心掛けた。それは言葉遣いからはじまり、生活態度、身の回りの整理整頓、看守とのコミュニケーション、できることはすべてやった。きっと自分のことを知らない人間が見るとなぜこんなにいい人が拘留されているのかと疑問に思うほどに徹底して善人であり続けた。最初の二週間ほどは慣れない言葉遣いに苦労したが続けているうちに元々そうであったような気すらしてきた。
遅くなってしまったが自分の行いをようやく反省し始めた。死刑が決まってから改心するというのは皮肉なことだが確かに男は改心し始めた。日常を少しづつ丁寧で清潔なものにしていくと心まで綺麗なものになることをもっと早く知ることができていれば結果は変わっていたのではないかと考える日もあったが、多くの人に迷惑をかけ、悲しませたという事実はもう変えようがない。昔の男は一日でも長く生きているために善人でいただけだったが、自分の罪を見つめなおすことができた今、もうこれ以上生きていこうとも思わなくなった。
おもしろくないのは警察である。男が全く情報を提供しなくなったことは大いに困らせた。何とかして情報を吐き出させたいが本人がこうなってしまってはどうしようもない。
男は何も語らない。ただ死を待つだけである。警察はただただ待つ。すでに死刑は執行されていることにも気づかず待つ。改心したあの日に男はすでに死んでいるというのに。
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