記憶はシャンプーの香りと共に
わたしが暮らす秋田県は、製薬会社泣かせの地域と言われるほど花粉症の患者が多くない。アスファルトより土が多いだとか、偏西風に乗って太平洋側に運ばれるだとか、理由があるらしいが、それでも選ばれて毎年花粉症を発症している人たちはいる。その中の1人、小学生の女の子が薬局に薬を取りに来た。
「去年と同じのが出てますね」と、渡すものの中身を確認していた時に、ふとシャンプーの甘い香りがわたしのマスク越しに届いた。
女の子は、小さい時からずっとうちの薬局を利用している。
今回初めて、お母さんではなく自分で薬局に受け取りに来た。
それだけでも薬局のおばちゃんは充分感慨深いのだが、シャンプーの香りと共に思い出したことがある。
8年前、東日本大震災の後のこと。手紙飛行機プロジェクトをやろう、という人の行動に心が動いたので、薬局の待合室に手紙の用紙を置いた。要は被災地の人たちを元気付けるメッセージを紙飛行機にして届けようというものだ。
やってみて気がついたことだが、自分には書ける言葉がない、物資じゃなくて言葉だけだと偽善だと思う、という反応があった。わたし自身は、何か行動しようとする人がいると、手伝いたくなるたちなのだが、冷静に考えると色々な考え方があるなあと反省したことを覚えている。
用紙は初夏ぐらいまでは配置していた記憶があるが、先の花粉症の女の子も手紙を書いてくれた。8年前は彼女が4歳だった時だ。風邪薬の処方せんを持ってきてくれた時のことだと思う。待ち時間に、お母さんと一緒に一生懸命字を書いて、紙飛行機を折って帰った。後で中身を確認すると、
「〇〇(女の子の名前)ね、この薬局のことが大好きだよ」
被災者ではなく、薬局で働くわたしたちを励ます手紙がしたためられていた。
とにかく嬉しかったのだが、そんなあの子がシャンプーの香りを漂わせて1人で薬局に来たのだ。時の流れを感じたのはもちろんだが、香りというものはここまで人の記憶に働きかけるものなのか、と改めて感動している。その手紙飛行機はもう残っていないのに、こうやって思い出せたのだ。やはり女性は香水を嗜んだ方がいいなと話が脱線しつつ、嬉しい出来事だったので、ここに書き留めておくことにする。