自分の過去を原稿に⑥最後
さあ、暗くなって来ました。実際に外も暗くなって来ました。
お腹が空いて来ましたが、書き上げたいので終わったら夕食作りたいと思います。今日の夕食は野菜と卵の炒め物でごわす。
社会人
看護師の学校を辞めた後はとりあえず働かないとといろんな会社の面接を受ける。しかし受からない。受からない。
選んだ職種もそうだが、やはり落ちると学歴コンプレックスに拍車がかかります。
まずはハローワークから職業訓練を受けていた。
最初Ruby言語の勉強するも難しく形にすることができなかった。
結局派遣会社に入って、液晶画面に使う色インクの検品調査員みたいな仕事をしました。変な危険物とりあつかいみたいな講習を受けたりもしました。
防護服を着てプレパラートに指定されたインクを塗って、プレパラートを回転させて伸びた色を顕微鏡や光の透過具合などを見ていた。
これは参勤交代であり、常に稼働していた。
給料は高卒にしては多い方だったが、上司や同僚とはいい関係は築くことができなかった。タバコ嫌いだったし。
『お前の代わりはいくらでもいる』『今頑張れないなら、どこに行っても通用しない』
パワハラで高圧的だった。名前を忘れたいけど、忘れられないものですね。
あと化学物質って人体にアレですしね。
一年半で派遣を辞めてしまい、正直お世話になった人たちから申し訳なく思います。
次に考えたのが資格が大事なのかと思い、ハロワで再度職業訓練を受けました。介護の実務者研修を受けながら失業保険がもらえたのでそこにしました。
(当時、介護福祉士になるには本来お金を払って実務者研修を受ける必要があった)
介護職の老健に就職し、三年の実務経験を得て試験を受けてやっと介護福祉士へなれた。この時30前半。
尊敬できる人もできたし、自分の役割はこれだっていう確信を持って仕事に取り組めたと思っています。
その後は仕事を続けながら、学歴コンプレックスがまだあったので通信の大学を受けていました。
ただ働き夜勤もしながら一人で勉強するってのはどうしても難しくて四年してましたが全く単位が足らず辞めてしまいました。
これは職場の人には言ってないので密かに頑張って密かに辞めてしまいした。
結果大学二つと専門学校の三つ挫折しまくっています。わぁー。
大枚叩いてわかったことは一人では無理だなと。
ただここは上に立つ上司が次か次へと辞めてしまう、または移動になる。
そしてコロナになった時には患者を守らなければならず、感染対策や患者へのずさんな対応。上の判断でコロナ陽性疑いに対しては検査を渋る。(施設から悪いことを出したらいけないみたいなことが実際に上から直々に通達があるほど)
イタズラに感染を煽ることは逆効果かもしれないが、それに対しての外に出られない利用者さんの気持ちやそれに応えられない状況が続いた。
自分もコロナになった。迷惑かける。
そりゃ利用者、職員イライラは募ります。
医療現場の方々はめちゃくちゃ大変です。正直今でもまだまだ気は抜けられないと思います。
でも現場の皆さん、(上の奴ら以外)本当に本当に頑張ってくれてありがとうござますって言いたいです。
でも、介護職で夜勤もして給料見合うはずもなく、体も疲れてくると思います。
今、施設も従業員が辞めたり、経営が回らなくなり閉鎖されてると昨今たくさん聞かれる状況です。
あと実際に施設では海外出身の仕事仲間もいました。
日本が言っている移民について海外からの人的労働者を呼び込むことも正直今のままでは難しいと思います。
英語もできるのに、めっちゃ元気で働くのに。自分は英語は出来ないのに。
縦割りの社会なので上司もそのまた上司も意見が通るはずもなかったです。
もしかしたら、コミュニティマネージャーがいたら違っていたのかもしれません。
後ろ髪引かれる思いでしたが、自分は仕事を辞めました。
環境を変えたかった。pc一つでどこでも働ける力が欲しかった。それをわかってくれる仲間も必要だと思った。
んで今海外でなぜか宿題のために今に至ります。
いっぱいあるかと思ったら、案外薄い人生だったことがわかりました。
まだ30半ば。これからまた人生を分厚くしていけたらと思っています。
誰にもまだ言っていないけど、一番最初にばあちゃんに話をしにいかなきゃと思っています。
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