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本来の女性性は喜ばせて欲しいと思っているわけじゃない!?勘違いする男性性シリーズ


※2019年7月24日に配信したメールマガジンから転載です。


こんばんは、秦です。
今日のメルマガは『男性性と女性性』について。


よく、

・自分のことを喜ばせよう!

とか

・女性性の喜びを男性性が叶えてあげよう!


と良く言われるのですが、抽象的だなぁっていつも思います。


自分のことを喜ばせるって?


いまいちよくわからない、という方もいるので

今日はわたしが伝えている男性性と女性性の理論を解説しながら、

”自分の男性性が自分の女性性を喜ばせる”とは、どういうことなのか?について取り上げます。

▼男性生徒女性性の本来の役割とは?(おすすめ記事)
https://yukahata.com/journal/1721

まずひとつ、大切なことから。


女性性は求めないよ。
求める女性性はインナーチャイルドだよ。

おっと・・・

女性性の求めることを男性性がしてあげてね

って。すこしかじったことがある人なら多分、そう思っていると思うんですが・・・

間違っているわけではもちろん、ないの。でもそれは、『ある段階においてのみ』の話。少し詳しく解説しますね。



インナーチャイルドというのは、自己喪失した女性性、とわたしは定義しています。(インナーチャイルド=傷ついた子供の自分。知らない人はググってみて。)

もちろんインナーチャイルド状態がいいわけでも悪いわけでもありません。誰でも持ってます、インナーチャイルド。


ただ、インナーチャイルドがっつり状態の女性性は、”まだ本来の自分を見失っている状態”なので、基本的に

・自分には何かが足りない
・欠乏している存在である

という自己感覚があり、存在することに何かしらの条件をつけています。

あるがままでいてはいけないし、存在しているためには何か重要な価値ある存在でいなければならない。

これって本当は『不信感に取り憑かれた男性性』の考え。

不信感に取り憑かれた男性性は、女性性に対して押し付けてしまいます。


・お前は(わたしは)、ただいるだけじゃ意味がない存在なんだぞ、だからぼーっとすんなよ!


・お前は(わたしは)愛されていないから愛されるために努力しなければならないぞ、だから愛されようとするんだぞ!


・お前は(わたしは)安心や愛情や他者の関心に飢えているぞ、だからそれを求めるんだぞ!


長い年月をかけてこうやって言われ続けた女性性は、自分を見失ってしまうんです・・・。


それが、インナーチャイルドの出来上がり。(自己喪失した女性性)


わたしたちの中にある自己否定は、わたしたちの未熟な男性性によって生まれた傷ついた存在でいるしかない女性性の悲しみなのです。


そのような女性性は、『愛されること』や『存在することの許可』を欲しがります。


・・・いや、

「自分は愛が欲しい存在である」
「自分は許可が欲しい存在である」

と思い込んでいる状態です。

本当に欲しいわけじゃないの!

でも

「わたしはそれが欲しい人間である」という風に思い込んでいるの!


「わたしには愛が不足していて当たり前」という鎖に縛られているの。

その思い込みが、何より苦しいのです!



しかも、本当に望んでいるわけではないけど、「それを望んでいる人」として生きているから


愛や
安心や
許可

を他者から与えられたとしても・・・どっか満足しないんですよね。苦笑


ある一定のラインまではいいんですね。愛や安心や許可や存在価値を感じて、安心するし嬉しくなるしホッとする。でも。ループがやってくる。そのうち気づきだす。


インナーチャイルドをある程度癒したら・・・『インナーチャイルド、おらんかったわ!』っていう境地までいって、クリアなんです。

『本当に欲しいのは、愛でも安心でも許可でも存在価値でもなく、なんなのだ?』

それが女性性の覚醒のコールです。

女性性が本当に求めるのは『表現の自由』や『存在の非固定化』です。

つまり、どんな人間であるのかを固定化されず常に”在るのがわたし”でいられる自由と、つべこべ言わずに全てを受け取って全力で自分の代わりに表現してくれる男性性ですw

潜在意識研究をしていく中でわたしはある時、このような強烈な違和感・疑問に出会いました。


『どうして傷ついていることが当たり前のわたしでいなければならないの!?』

『わたしを決めつけないで!!』


猛烈な憤りのようなエネルギーが自分の中から湧いてきて、びっくりしました(笑)

自分を喜ばせることが大事・・・とか習ったりするもんだから『ねーねーハタユカ、どうしたら喜ぶの?』ってちょっとでも焦って聞くと

『うるさい、わたしをよくみて、わたしから受け取るだけでいいの!!』

と、エネルギーでお返事がくるのです。

最初の方は、男性性が女性性の声を全く解読できませんでした。


トンチンカンな解釈をすると、嫌な感情となって出てきます。

『違う!そうじゃない!わたしのことをよくみてよく感じて、受け取って!!』


『あんたは(男性性は)わたしのこと喜ばせようとしなくていい!うっとうしい!それよりも受け取って外に表現して!』


次第に、わたしがわたしを喜ばせようとするときに、トンチンカンだとこういう反応が返ってくるようになりました。

・成功するために
・うまくいくために
・成功者が言ってたから
・それが正解だから


といって自分を喜ばせようとするのは男性性の勝手なエゴです。


そんなもん、女性性からすると『わたしのことなんだと思ってんの?』なわけです。


このインナーマリッジ講座では、男性性の本来の役割と女性性の本来の役割についてお伝えしています。

本当に重要なのは、それぞれの本来の役割を知って、育てていくこと。

東洋思想でいうと

男性性は気
女性性は血
意識は水(津)


なのです。

意識を使って女性性と男性性を本来の役割に気づかせ、さらにその役割ができるように指導する。

放っておいても男性性は、勝手な判断でしか女性性を喜ばせようとしないし
(喜ばせたらうまくいくんだろ?的なのも男性性の役割を果たせていない証拠)

女性性の本来の役割はそもとも、求めるとか欲しがることじゃない。


徹底した、”放つ”こと。


女性性は制限されることなく常に供給される源からのエネルギーを

どんどんどんどん放出して光っていたいだけ。


傷ついた存在・・・というペルソナ(仮面)を剥がした破壊的なほど強い女性性と


俺はヒーローだ!なんて言ってカッコつけてるペルソナ(仮面)の下にいるビビリな男性性とが


出会って
和解して
ベストパートナーになる


これがインナーマリッジだと、伝えています。

■■■■■■

女性性の本性は全くちがいます。


傷つくことなんてできなくて
強く清く美しく
愛や安心が常に自分の中を流れていて
他者の関心などいらなくて(笑
存在に対する許可など求めていない


わけです。


残念、傷つくことなんて”できない”のです。

他者の賞賛も評価も必要ないし関心も必要ない。そういうのが欲しいのは男性性だけ。


男性性ヒーロー願望の餌食になってしまうから、なぜか女性性は男性性に譲って足りないものだらけ(欲しいものだらけ)になってしまうの。

これが、女性性の我慢ってことね。

「自分は欠陥がある存在だ」という勘違いがそもそも女性性にとっての我慢なの。

「存在していていいって許可されなければいけない」だとか

「足りないものがあるんだから与えられる存在になるように努力しなければ」だとか


そういうの全部、本来の女性性からすると『まったく意味がわからないしやりたいことでもなんでもない』わけです。だから、我慢になる。


女性性が我慢すると、存在が我慢しているようなものだから自然な生命力が湧いてこない。

つまり、男性性は一人で頑張らなければならなくなります。


女性性の目覚めを望むなら、自分のことを価値のある存在だと思えるようになることをするのは実は意味なくって、それよりも根本から

「そもそも存在価値があるかどうかなんてどうでもいい!」とか

「愛されるとか必要とされるとか与えられるとかそんなんどうでもいいし別にいらんかったわー」

とか
「自己肯定感ってなに?それ美味しいの?どうしてそれがないといけないのが当たり前になっているの?」
みたいに、真っ向から反発してみるといいんですね。


”男性性優位の国” にいながら幸せに暮らす方法を探すのではなく、

すっぱりその国から出ていく自由を、女性性って実は求めていたりするんです。

もちろんこれは、自分の内側で起きていることなので、男性性は国から出て行った女性性についていくしかない(笑)


女性性って、自分の存在する場所に国を創るんです。

男性性って、女性性の創る国を攻撃されることから守り、繁栄するために外交をする。



こうやって役割分担すると、国(人生)は栄える。決して、男性性の野望を叶えることが国づくりではないんです。



女性性が本来の姿に目覚めると、「何も欲していない」ことに気づきます。

求めていることはシンプル。

・存在の表現に対する自由意志
(その時その時のエネルギーをまっすぐに出して表現する自由)

・存在が流動的であることの自由
(わたしはこういう人間であるという人格に縛られないこと)


不足から欲していることは何もないが


存在が持つエネルギー存在がつながっている源エネルギーを放ちたい


という望みしかないことがわかります。


しかし、女性性は表現の元となるエネルギーであったとしても外に向けて発散することはできません。だから、男性性の力を借りなければならないのです。

言葉にしたり、計画立てて形にしたりこの世に適合させたり、他者に手渡したり、行動や思考に置き換えたりすることは、男性性にしかできないことなのです。


あなたの言葉、あなたの行動は

あなたの存在を自由にしますか?


「わたしはこういう人間である」と

自分の存在を固定化していませんか?


何をやっても、自分をどう喜ばそうとしてもうまくいかないっていう人は、男性性(思考や行動)を見直し、それが自分の存在をより自由にする方なのかより不自由にするほうなのか、見極めてみてください。


男性性の勝手なエゴで自分を幸せにするとか、自分を愛するとか、自分に愛を与えるとか、していることに気づいてください。


あなたの存在(女性性)は、”愛に不足していることが当たり前である”というレッテルそのものが違う!と叫んでいるのです。

傷ついている前提でスタートしなくていいんです。

愛されたい前提でスタートしなくていいんです。

何かが足りなくて満たされていないことがいつもなら

その”いつも”を徹底して疑うことが、男性性の国からでるきっかけになります。



逆女性性への覚醒コールをするなら、


「飢えている」とか
「不足感」に対して

当たり前だと思わずに、自分の中でその感覚にNOを出してください。

愛に飢えている自分にNOです。否定ではなく、「それが自分の本性ではない」と呼びかけます。


何かに対する”不足感”

たとえばお金とか時間とか・・・それに対してもNOです。不足感があることは認めますが、それを当たり前にしない。


「不足感があるのが当たり前ではない

わたしは不足感がある存在ではないし

不足感がある前提でこれ以上進まない」

と決める。


「傷ついてもいないし傷つくこともないし傷つけることもないし、誰もわたしの存在を決めるけることはできない」


と意図してみてくださいね。


これは言い続けると強烈なコールになります。おすすめです。


あなた自身を喜ばせようとするのも大事かもしれないけれど、それが男性性の勝手な焦りになってないか?チェックしてみてねってことでした。


▶︎男性性と女性性にまつわるnote記事はこちら

▶︎男性性と女性性を育てるインナーマリッジ講座はこちら


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秦由佳(はたゆか)
もし人生が無条件に自由で豊かだったら何をするかと言われたら書く、というくらい書くことが生きる上で欠かせない人間です。10年間の集大成を大放出します。サポートは全て執筆と研究活動に使わせて頂きます