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潜在意識の眼を持つと、アレよアレよと問題が解決する【世界が変わる魔法のフォーカスチェンジ】


想像すると嫌な気分になる未来や、意識を向けると心地よくない感覚になるような現実には、自分が離れたいと思っている解釈や物事の見方、卒業したいセルフイメージや、自己の本質からズレたねば・べきをいつも投影している。

嫌な気持ちになるフォーカスの先にあるものを見るのではなく、そのフォーカスの根本にあるものを見るようにすると気付ける。



今日は久々に、潜在意識について書こうと思う。


潜在意識、つまり潜在している意識のことで、これは一般的には目に見えないし意識することも困難だし、と言われている領域のこと。あまり意識できないけれど持っている意識、のことを潜在意識と呼ぶことが多い。


例えば、どんなにいい人であってもちょっとした嫌味や妬みの心は持っている。だけど、その心を表に出すかどうかは別の話だし、どのタイミングやどのくらいの頻度、感じるかどうかも人それぞれだ。


意識そのものも未だ解明されきっていないため、その潜在したものだなんてますます不透明な部分が多いのも事実。

だけど、ある程度の法則性みたいなものは決まっている(と仮定されている)ので、その法則にのっとって”いつもとは違う眼”を持つことで、自分の感じる世界で起きていることを普通の目とは違った見方をすることができる。


これをわたしはよく講座の中で、『顕在意識の目と潜在意識の目を持ちましょう』と言ってきた。


つまり、普通ならこのように捉えるけれど、自分の潜在意識で何が起きているのか?という風に”あちら側の視点”に切り替えてみると、いろいろなことに気づける。そしてだいたいその気づきはいつも、自分にとって重要なこと。


世界を表と裏から見てみるようなイメージだ。


普通に見る世界と、潜在意識の法則から見る世界と。二つを切り替えていくと、あれよあれよと問題がいろいろ解決されてしまうから、実に面白くて10年以上もハマって仕事にまでなってしまった。


潜在意識を学び、法則を日常に取り入れる意義であり楽しさは、この視点の切り替えであり、それ以外に使う必要性はないといつも感じている。


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(久々にマクロレンズを取り出して近寄ってみた)




さて、冒頭て書いたことのうち、ポイントとなる箇所はここだ。


嫌な気持ちになるフォーカスの先にあるものを見るのではなく、そのフォーカスの根本にあるものを見るようにすると気付ける。


例えば、同僚のAさんについて悩んでいたとしよう。フォーカスの先、にあるのはAさんであって、あなたはAさんに何かしら原因があるから嫌な気持ちになるんだ、と考える。


顕在意識の目は、いつもフォーカスの先しか、見えないのだ。


この時に、『Aさんをみて嫌な気持ちになる理由』を探りに入ったとする。そこで『もしかしたら自分の考え方がいけないのではないだろうか』と思う人がいる。『いや、きっと職場がいけないんだ』と思うかもしれない。


これは、フォーカスの先からフォーカスの根っこに意識がうつったと言えるだろうか?


実は、そうは言えない。フォーカスの先がAさんから自分自身へと変わっただけなのだ。矢印の向きが変わっただけなので、実は根っこへ意識を向けることはできていない。


そのうち疲労困憊する。根っこはそのまま、矢印の方向だけ360度変えてみても、どこにも満足する原因が見当たらない。Aさんのせいにしてみたり、自分のせいにしてみたり、育った環境のせいにしてみたり、職場の上司のせいにしてみたり。あるいは、目に見えない存在のせいにしてみたり、運気のせいにしてみたり、する。


違う例を出しても全く同じことが言える。好きな人との関係がうまくいかないとき。『どうしたら、うまくいくの?』と思う。矢印の先にあるのは、二人の関係性である。あるいは自分自身だろう。


『わたしのどこを変えればうまくいくのかな?』
『わたしの何がダメなのかな?』


でも、根本にあるのは、なんだろう?

そもそも、好きな人との関係が”うまくいってない”という点からスタートするのはなぜ?


矢印の先、から根本に意識を移すとき、スタートの点を探ってみるといい。


『そもそも、なぜその前提からスタートするの?』


これは時に、マインドへ強烈なパンチを食らわす。




そもそもわたしは、なぜ原因を見つけようとしているのだ?


問題視していることそのものを根本から問題視してみると、フォーカスの先に向けられていた意識が、根っこの方に近づいてくる。



Aさんをみて嫌な気持ちになる理由は?

そもそもなぜそれを知りたいのだ?



このように切り替えをすると、視界が全く違う世界の扉を叩く。



わたしの考え方がダメなのかな?

そもそも、なぜ原因を知りたいのだ?



フォーカスの根本に近づくと、矢印そのものが消える。始まりと終わりが消えて、ただの点となる。過去と未来はなくなり、ただ今だけが残る。何もかもが一瞬消えて、思考が止まり、そして、アホになる(アホになる感覚になる。笑)




それでいいのだ。

知りたいことだけを、知ればいいのだ。

知りたいことなのか、”知らなきゃいけない”焦りなのか。


思いをはせたいことを忘れ、

知っても何の栄養にもならないことを

永遠と探り続けることはしなくてもいい。


知るということは食べる、ということ。何を知りたいのか、それと何を食べたいのかは同じことであり、知りたいことを知るためにわたしたちは、表現という呼吸をして生きる。


多くの人は、心から知りたいことよりも、どうでもいいことに時間を割く。心潤う時間よりも、自分の心を捨ててまで犯人探しをしてしまいがちだけど、


アレ?

と気づく瞬間を増やしてみよう。

アレ?今、知りたいことについて考えてる?と。

知りたいわけじゃないのに、無自覚的に、そして反射的に、とにかく矢印向けた先だけを見ていないかい?と。



今、自分はどうでもいいことに対してとてつもなくエネルギーを使っているのだということに気付き、根本の根本から『リセット』する力を、潜在意識の眼は持っている。


そして、この眼は特別なものではないが、使ってあげないとどんどん開かなくなるから、毎日使っていこう。不思議と顕在意識の眼とはちがって、潜在意識の眼はどうやら、使えば使うほどよく見えるようになるらしいから。




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もし人生が無条件に自由で豊かだったら何をするかと言われたら書く、というくらい書くことが生きる上で欠かせない人間です。10年間の集大成を大放出します。サポートは全て執筆と研究活動に使わせて頂きます