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交流も共感もできない【コミュ障】がコミュニケーション能力の本質を知って快適に生きるレッスン


この記事の続きの前に、今日はコミュニケーション能力という”価値”について話をしたいと思います。

https://note.com/hata_yuka/n/n310af0d33ffe


なぜコミュニケーション能力についてかというと、この能力は「時代をまたぐ価値」だからです。

つまり、いつどの時代においてもコミュニケーション能力は普遍的な価値であった、と。コミュニケーション能力があった人、村、企業、ブランドは繁栄し続けた。

言い換えれば、コミュニケーション能力さえあれば、いつどの時代の波だって快適に乗りこなしていけるということです。


どんな荒波が来ようと、快適に生きていこうとするならコミュニケーション能力”だけ”ありゃいい、というレベルで生き延びるには不可欠なものです。


今回の記事ではまず「コミュニケーションとは何か」について解きます。

途中までしっかりしっかり読めますので、どうぞお付き合いを。



例えば、コミュニケーション能力と聞くと「おしゃべり」とか「会話」というイメージが強いかもしれませんが、文章を書くときにも必要になります。

ただ文章が書けるだけでなく、

・長いのに読んでいられる
・また読みたい
・買ってでも読みたい

といった記事を書くためには、実はコミュニケーション能力が大事なのです。

たまに、「読まれる文章を書くためには共感力が必要だ」みたいなことを見聞きしますが、わたしはそうは思いません。

なぜかって?
わたしに共感力がないからです(笑)

世界的にも有名なある能力テストでも、”協調性”と”共感力”が下位でしたよ。えっへん!

でも、文章を書いて15年間ずっと生きています。稼いできました。これからもきっと変わることはないでしょう。(わたしの共感力も)

なので、わたしは共感力とか、協調性とか、そういう能力の前に”コミュニケーション能力”がすべての基礎であり「母なる大地」のような力だと考えています。

全てを生む、母なる大地としての、コミュニケーション能力。その本質とは何か?

わたしはこう定義します。

コミュニケーションとは、何かと何かの”つながり”を発見すること。

コミュニケーション能力とは、何かと何かの”つながり”を発見する力のこと、またその精度やスピードの速さのこと。


例えばあなたが誰かに話を聞いてもらって『なんだかとても気持ちが楽になった、ありがとう』と思ったとしましょう。

あなたはその人に『理解してもらえた』と感じているはずです。

どういう状況で、『理解してもらえた』という実感は生まれるのでしょうか?相手がいい反応をしてくれたから?相手も同じような経験をしていたから?

答えは、”つながったから”です。

傾聴が上手な人であれば、相手に上手な質問をすることで、相手の中でつながっていなかった点と点が結びつき、そのときに本人の中で「理解」が生まれます。

あなたが何も話さなくても、です。

また、トークが上手な人であれば例え話をたくさん含めることで相手のイメージを広げ、今まで繋がらなかった過去と過去がリンクすることで「理解」が生まれます。

あなたが何も聞かなくても、です。

要するに、本来はつながっていることなのだけど、そこに”まだ”つながりを発見できていない状態から、点と点が結ばれたときに「理解」という知覚が誕生します。

わたしの記事もそうです。「理解の誕生」を意図していつも書きます。

読む人の中で、つながっているけれどまだつながりきれていない何か・・・気持ちとか、知識とか、過去と未来とか、法則と自分の人生とか・・・

そういう、”すでにある何か”と何かをつなぐこと。それがコミュニケーションの本質だとわたしは定義しているのです。

だから、わたしは世間一般からすると「コミュ障」の人間ですが、コミュニケーション能力はバカ高いので、どんな時代でも生きていけるという自己信頼があります。

そう。「コミュ障」という表現がありますが、わたしはこの言葉を意図的に自分に対して使う。

それくらいわたしは、一般的に見たらとても閉鎖的な人間で、こだわりも好き嫌いもはっきりしており、なるべく限られた範囲での交流を望むような、いわゆる”コミュ障”の部類だから。

そこに悩んだこともありましたが、今さらどうでもいいと思えるのは、

”コミュ障”のわたしが持つことのできるコミュニケーション能力を見つけることができたから。


コミュニケーション能力というのは、誰もが持っているもの。

だって、「母なる大地」はみんなが四六時中その上に立っているわけですよ?地上から浮いている人なんていないんだから、それと同じくらいのレベルでコミュニケーション能力というのは誰でも持っているものなんです。

普通の人と同じようなおしゃべりができなくても、人との交流が楽しいと思えなくても、たくさんの関わりを持ちたいと思えなくても、それでもコミュニケーション能力をさらに磨いて武器にすることができます。

今日はその本質ともなる、「コミュニケーション能力はいかにして武器になるか」という話と、

コミュニケーション能力をただの「人と話すのが得意」みたいなレベルから、時代を生き抜く価値に仕立て上げるための”目に見えない資本”=”つなげ力”について、がっつり解説しますね。



はじめに申し上げておきますが、この記事はあるタイプの人間に向けた”生存戦略”です。

先ほども書いたような、ズバリわたしのような「一般的にはコミュ障」とタイプわけできそうな人たちへの、励ましと人生設計図のような記事です。

わたしたちのようなタイプは、放っておけば人とわざわざ交流するようなことはしません。

人よりも、空間とか、自然とか、音とか絵とか、音楽や映画や、映像作品とか書物とか、そういうものに触れていようとするので

おのずと人間的な対話とか会話とか、連絡のやり取りとかSNS上での交流とか、オチのないおしゃべりとか、そういうのと縁が薄い人たちです。

直接的な対話ではなく、何かしらの”関節”的な要素を通してコミュニケーションをとることも多いです。例えば、共通の趣味とか、共通の持ち物とか、共通のブランドとか哲学とか。

このタイプの人にとっての、直接的な対話はエネルギーが枯渇する原因にしかならないことが多いので、基本的に人との交流は限らせていきたいわけ。

でも今の世の中、人とうまく交流したり、大勢の人とうまくコラボレーションしたり仲良くしたりできた方が、なんとなく良さそうな気がしますよね。

もしそういった人たち、いわゆる”直接的な交流”が得意な人たちが生き残っていけるような世の中だとしたら、わたしなんてもう絶望しかありません。

ところが。

ワタシは絶望するどころか元気いっぱいです!笑

閉鎖的であること、入り口が狭い生き方であることに、興味関心と期待しかありません。まだまだ狭くしていきたいと思っている。笑

だからフォロワーを増やすことにも、知名度を上げることにも、人気を上げることにも焦燥感がない。その価値は理解しているけれど、自分はのらりくらりしていられます。

ただ、それと経済的な自由度が結びついていると思われやすい世界でもあるから・・・

この記事では「そうではないよ!」ということを理論的にも解説したいし、わたしのような閉鎖的な人間であっても

コミュニケーション能力を伸ばすことで、周りを気にせず自分らしく生きていくことができるということについてその具体的な可能性を示したい。

なので、メンバーシップ向けの記事ではありますが、ここまで既に読んでくれた方でがっつり興味がある方は、単体で購入されるか、他の記事も読めるメンバーシップになるか、選んでいただけたらと思います。


それでは本題に入りましょう!

コミュニケーション能力を生み出す資本、それは”コンバイン”(combine)する力です。


結論から言うと、

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もし人生が無条件に自由で豊かだったら何をするかと言われたら書く、というくらい書くことが生きる上で欠かせない人間です。10年間の集大成を大放出します。サポートは全て執筆と研究活動に使わせて頂きます