白砂のビーチと朽ちた零戦|ペリリュー島【パラオ】
ペリリュー島はパラオ共和国南部の小さな島だ。
近くには人気のダイビングスポット「ブルーコーナー」がある。2012年にはパラオの「ロックアイランド群と南ラグーン」が文化と自然の複合遺産に登録された。
パラオは日本語が多少通じる。日本では「親日国」と紹介されることもあるが、少し違うような気もする。なぜ日本語がパラオで通じるかというと、第2次大戦中に日本が占領統治していたからだ。
スペイン植民地時代、ドイツ植民地時代を経て、1914年からのおよそ33年間、1947年にアメリカ統治領となるまで日本統治時代が続いた。
当時、パラオ人よりも日本人の方が圧倒的に多く住んでおり、子供たちは小学校で日本語の読み書きなどを教え込まれていたようだ。なるほど、現地のお年寄りが日本語を話せるわけだ。
以前サイパンへ行ったとき、アメリカンメモリアルパークという第二次世界大戦の慰霊碑のある公園に散歩へ行った。当時の写真や資料が展示されているビジターセンターもあり、見学した。
観光客として浮かれ気分で訪れただけで何も戦争のことなど考えていなかったが、この時はじめて日本人の大好きな外国の南の島は戦争の傷が残っているということをちゃんと知ったのかもしれない。
パラオに行くことになって、もちろん世界遺産ロックアイランドを巡るツアーを申し込んだが、日米激戦の舞台ペリリュー島のツアーに参加したのも、そういったサイパンでの経験があるからかもしれない。
ホテルからボートで1時間半。ペリリュー島1日観光ツアーへ。
島の南西部、ペリリューで最も長い海岸オレンジ・ビーチ。
1944年9月、アメリカ軍がオレンジ・ビーチに上陸。日本軍との激しい戦闘は3か月にも及び、日本軍と米軍合わせて2万人近い死傷者が出たといわれている。
ビーチの名前の由来は、大量の血が流れて海がオレンジ色に染まったからこの名がついたとか、米軍が使っていたコードネームに由来するとか諸説あり。
暗闇の洞窟を出て博物館へむかう。
「千人針」とは一枚の布に多くの女性が赤い糸でひと針ずつ縫って結び目をつくる祈念の方法。無事に帰ってきてほしいという女性たちの思いが詰まっている。
このほかにも兄弟が戦地の兄に送った手紙を見せてもらった。「兄さん元気で抵抗しているようですが戦争は終戦になりました。早く降伏して家に帰ってくることを楽しみにしています」というような内容だった。
実物の千人針といい、終戦を知らずに抵抗し続ける日本兵のことといい、言葉もありません。
博物館を後にし、日本軍総司令部跡へ。
建物の中心には、1トンもの爆弾が落ちた跡がある。壁には多くの銃痕も残されている。
続いて戦車の数々を見に行く。
2015年、ペリリューを訪問された当時の天皇皇后両陛下もここで休憩された。
観光客向けの一般的なオプショナルツアーであるが、心身ともにかなりハードなツアーである。
往復のスピードボートも、かなりのスピードのため、Gや風にやられ、船にしがみついているだけで体力が削られた。お年寄りはもっときついのではないだろうか。時間がかかってもいいからもう少しゆっくりめのボートで遊覧したいなと思った。
パラオでも弁当は「ベントー」である。ほかにも「ダイジョーブ」は大丈夫だし「アジダイジョーブ」はおいしいの意。
好きな言葉は「ツカレナオース」。これはビールを飲むこと。ビールを飲んで疲れをなおすのである。
昔の日本兵も現在の私もビールで疲れを癒すのは一緒なんだなあ。それにしても疲れの種類と次元が違うよな。。お国のための死ぬ覚悟の疲れだもんな。同じじゃないよな。どんな味だったんだろう。
お次はペリリュー平和記念公園へ。
世界平和を祈念して造られた公園。西太平洋戦没者の碑がある。
以前は年配の人々が親族や知人を慰霊するために来ていたのがほとんどだったようだが、2015年に当時の天皇皇后両陛下が訪問されたことをきっかけにペリリュー島の歴史は注目を集めるようになった。
さざれ石は「細石」と書く。パワーストーンに興味ある人は割と知っているのかも。こまかい石が巌(いわお)となってさらに苔むすまでの長い年月をたとえている。
ということはこの大きな岩は「さざれ石」ではなく「いわお」なのだろうか?!
最後に米軍が建造した展望台へ向かう。
360度パノラマのすばらしい景色。
それにしてもおそろしいネーミングのモニュメント。ほかにも「ブラッディビーチ」という浜もある。
サイパンには「バンザイクリフ」という岬があった。多くの自決者が「天皇陛下万歳」や「大日本帝国万歳」と叫び身を投じたそうだ。
静かに手を合わせる。
戦争は昔の話だと思っていたが、そうではないことを近頃思い知っている。旅行が好きであちこち行くが、旅に行けば歴史的な遺産などを見学する中でつらい昔の記憶と対峙することも増えてくる。
高校生の頃、学校に引率されて広島と長崎に行ったがあまり記憶がない。でも意味がなかったとは思わない。「はだしのゲン」や「火垂るの墓」は子供のころ見て相当なショックを受けた。「戦争を知らない子供たちを知らない子供たち」と揶揄されることもあるが、少しでも「歴史を知る」ということは私にもできる平和活動だからやっていきたい。
また広島や長崎へ旅行に行きたいな。高校生のころに見えなかったものがたくさん見えるに違いない。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?