文章に「醜さ」というスパイスをひとつまみ
私の文章を読んで、ピリッとしたしびれや痛み、苦みのような「刺激」を感じる人はいますか?
あるいは、なんだか無性に読みたくなってしまうような「やみつき感」をおぼえる人はいますか?
刺激、やみつき感の原因は、私が文章に入れたひとつまみの「スパイス」がきいているのかもしれません。
スパイスとは「醜さ」。
私は、自分の記事に「醜さ」というスパイスを入れています。
どの記事にも入れてるわけではないのですけどね。
ときどき、ひとつまみ入れてます。
私の中にある、汚くてケバ立っている気持ちや、みっともない部分。本当は、自分でも見たくないし感じたくない。
人に見せるなんて、ありえない。
noteでは、そんな私の「醜い」部分を文章にまぜこんで、みなさんに届けています。
なぜ?
「醜さ」が宿っているものに惹かれるから。
透き通ってつるんとなめらか、あかりに照られてキラキラした文章も、もちろん好きです。いいにおいであったかく包まれるような文章も。
でも、書き手の醜さ卑しさ、汚さがあざやかに表現された文章に出会うと、むさぼりたくなるんです。
読んだあと心にとどまる文章、また読みたくなる文章には「醜さ」がある。私はそう思うんです。
これって、一種の「スパイス」なのでは?
自分の好きなスパイスは「これがなきゃありえない!」ってくらい欠かせない存在になりますよね。
逆に「絶対むり。ちょっとでも入ってたら食べられない」ってくらい苦手なスパイスだってあります。
私の場合、おでんにはカラシが欠かせないし、おそばにはワサビ。周囲が引くくらい蕎麦つゆにワサビを入れます。ダチョウ倶楽部もびっくりなレベルで。
一方、私はパクチーが苦手。少量でもイヤです。
あとは、豚の角煮によく入っている「八角(スターアニス)」もいやだ。
でも、パクチー大好き!って人もいますよね。
「パクチー食べられないなんて人生損してる」なんて言われることも。
みんなそれぞれ、自分好みのスパイスがあるのではないでしょうか。
私は「醜さ」というスパイスがきいた文章に魅力を感じる、だから私が文章をかくときには「醜さ」をひとつまみ入れる。自分の文章を好きになりたいから。
……今日の記事にはふたつまみくらい入れちゃった。
みなさんには、好みの「スパイス」ありますか?