僕が仲良くしたい人
昔、よくツイッターで「蓮は頭のいい奴としか仲良くしない」と陰口を叩かれた。
しかし、これは間違いだ。
僕が仲良くしたいのは、頭のいい人ではない。
金持ちでもない。美女でもない。
もっと大切な要素を備えている人だ。
社会人になって間もない頃、2ヶ月間の研修があった。日本中の支社から同期が集められた。大卒でない人も多かった。
僕は、彼らとすんなり親交を深めた。共通の趣味がなくても、会話は弾んだ。いつも会うのが楽しみだった。そこに学歴の壁など無かった。研修を終えて散り散りになった後も、LINEでやりとりする仲になった。
皆さんは意外に思うかもしれない。「仕事の都合で仕方なくだろう」と推測するかもしれない。ところがそうではない。
たった2ヶ月の研修で、無理して仲良くなる必要などない。僕は純粋に、「彼らと仲良くしたい」と感じ、積極的に話しかけていたのだ。
相性が良かったのもあるとは思う。しかし、彼らにはもっと重要で、確かな共通点があった。
彼らは皆、「良識がある」人たちだった。
僕は、良識のある人と仲良くしたい。
正確には、「常に良識に則って考え、行動できる人」。良識があっても平気で無視できてしまう人は対象外である。
良識とは何か。
偏らず適切・健全な考え方。そういう態度の見識 (広辞苑)
社会で一般的に承認されている健全な物の考え方。すぐれた判断力 (日本国語大辞典)
ちなみに僕は「人として備えているべき常識、道徳観、真っ当な判断力、の3つの総合体」と考えている。
研修で仲良くなった同期たちは皆、良識を備えていた。
確かに勉強は苦手かもしれない。高校レベルの文章読解に苦労する人や、"work"を「ウォーク」と読む人もいた。
しかし、人としては非常に優れていた。単なる「いい人」ではない。確固たる良識を備えた、信頼に足る人々だった。
人事が「採用の際は人間性を最重視して選考します」と語る会社だけある。僕はのちに諸事情あって退職するが、社員の人間性は素晴らしい会社だったと今でも思う。
勉強が苦手でもいい。
頭が悪くてもいい。
心を病んでいてもいい。
意見が合わなくてもいい。
趣味が合わなくてもいい。
良識を備え、それに則って真っ当に生きている人。
僕は、そういう人と仲良くしたい。