それってサッカー日本代表に対するあなたの願望ですよね?
サッカー日本代表に対するコメントの数々を見ていると、「自分の願望」と「チーム力アップへの提言」を混同している人が多いなと思うことが多々ある。
自分の願望に過ぎない意見を、まるで代表チームが強くなる魔術かのように語る。
そういう人は、今も昔も少なくない。
僕もあまり人のことを言えないのだが。
例えば僕の場合、
「シントトロイデンの原を日本代表の1トップで見たい!」
という旨のツイートをしたことがある。これは「自分の願望」要素が強く、「チーム力アップへの提言」とは言い難い。
というのも、原は恵まれた体格を持つ将来性豊かな若手アタッカーだが、少なくとも現時点(W杯最終予選の真っ只中)では大迫や古橋や前田や林を起用する方が現実的だからだ。
これは僕の推測だが、日本代表に対する度を超えた批判や誹謗中傷の多くは、このような「自分の願望」を「チーム力アップへの提言」と混同してしまうことから生まれるのではないかと思うことがある。
もう少し具体的に書くと…
「○○を見たい」「こういう戦術を使ってほしい」といった「自分の願望」にすぎないモノを「チームのためになる意見」と思い込む、過大評価する
↓
そうならない現実との乖離に苦しむ (素人の願望とプロの現実的な選択が一致するとは限らない)
↓
その不満が怒りへと変わり、監督や推し選手の代わりに出場している選手に矛先を向けてしまう
という感じ。こうなると行き着く先は侮辱や誹謗中傷の嵐。ネット界のゴッサムシティの出現。サッカー日本代表くらいのコンテンツになると荒れ方の規模も大きくなり、もはや地獄である。荒らしている人は気づかないのかもしれないが、外野が見たらドン引き間違いなしの様相を呈している。
(もっとも、これは完全なる推測とも言い切れない。カリスマ的な人気を誇る選手が多かったザックジャパン時代には、このように発生したとしか思えない過度で理不尽なバッシングがたびたび見られた)
日本代表は夢の舞台であり、普段サッカーを見ない人も見るメガコンテンツである。だからこそファンがそこで"推し選手"や"世界の強豪が使う戦術"を見たいと思うのは当然だと思う。
しかし、そこから生まれた意見は代表チームのパワーアップに繋がる現実的な提言だろうか。ただの一個人の願望ではないだろうか。それを現場で国を背負い戦う監督、コーチ、選手らに押しつけ、実現しないと怒る。それはさすがに理不尽なのではないか。
こういうことを書くと、なんでも極端に捉える人が「推し選手をスタメンに推してはいけないのか❗️」とか「戦術に文句を言ってはいけないルールでもあるのか❗️❓」とか噛みついてくるのだが、そんなことはない。そんなサッカー界つまらないし。
ここは日本。意見を述べるのは自由だし、皆が自由に意見を言い合うことはコンテンツを盛り上げる上でも重要だと思う。
ただそれでも、あまり何でもかんでも自由に書き殴るのは如何なものか。見ていて目に余る、協会に訴えられたら100%敗訴しそうな暴言が多すぎる。
なので
・「自分の願望」と「チーム力アップへの提言」は区別する
・自分の願望に過ぎないモノは「○○を起用してほしい!」とか「こういう戦術でもいいのでは?」くらいの柔らかい口調で発言する (所詮は一個人の願望なので強い口調は避ける)
・自分の願望を盲信して「なぜ○○を起用しない❗️☆☆は無能❗️バカ❗️下手くそ❗️代表に呼ぶな❗️解任しろ❗️」だのと騒ぐのはやめにする
・願望ではなくチーム力アップへの提言だと自負するのなら、本当に提言になるような論理的な主張を心がける
と言ったことが必要なのではないかと思う。
主観と客観、理想と現実を区別して語ることは、何事においても重要なことだ。