サッカー日本代表と名探偵コナンと日本の音楽界

タイトルの意味がわかった人はいるだろうか。いたとしたら半端ない教養と頭の回転の持ち主だろう。恐れ入る。
1000人いたら999人はわからないと思うので、少しずつ解き明かしていく。
まず、サッカー日本代表。
ここで言いたいことを説明する上で、もっともわかりやすい例を挙げよう。↓
本田圭佑と内田篤人だ。この二人には共通点がある。

それは、「サッカーに関係のない部分のファンが多い」ことだ。
本田はカリスマ性、哲学、ビジネスへの挑戦
内田はルックス、冷静沈着な性格

彼らのこれらの要素に惹かれてファンになった人は多いだろう。それ自体の否定はしない。
しかし、これは、大きな問題を生む。


そう。「本質的でない部分を評価するファンによって、本質の評価が疎かになる」ことだ。
どういうことか。
本田圭佑の場合、そのカリスマ性を神格化したファンたちが、コンディション最悪・まともに走ることすらできなかった時期の本田圭佑を「試合に出せ」と擁護し、「香川なんか出すなよ」とライバル選手をディスっていた。
内田篤人の場合、そのルックスを試合で見たい女性ファンが、日本代表で彼のライバルだった酒井宏樹に理不尽な批判を飛ばしていた。


このように、サッカーそのものに全く関係のない部分で選手のファンになった人間が増えると、彼らの頓珍漢で非本質的な批評が、あろうかとか選手評価に繋がってしまうのだ。
※酒井宏樹の能力にマイナスイメージを持っている人が多かったのは、これが理由だ。彼は一昨年突然成長したのではない。昔から良い選手だったが、内田篤人の(愚かな)ファンによって必要以上に評価を下げられていただけなのだ。本当に腹わた煮え繰り返る思いだ。

最近こんな記事を読んだ。「日本人は一人一人の選手のファンになる。だが、イギリスでは一人のファンになるということはなく、普通はチームのファンである。」
(事実、イギリスにはベッカムファンというものが殆どいなかったそうである。)
このような国では、選手評価は純粋に「能力が高いか」「チームに合うか」によってなされるだろう。羨ましい。サッカーが完全なるチームスポーツである以上、これが妥当だろう。

別に、選手一人一人のファンになるな とは言わないが、好きな選手を観たいあまりその選手の評価を過剰に見積もったり、ライバル選手をディスったりするのはやめるべきだ。


実は、これと同じ現象が、他の界隈でも起きている。
まずは名探偵コナンから。
名探偵コナンにも同じことが起きている。
すなわち、「本質的でない部分にスポットライトが当てられ、それに狂喜乱舞するファンが金を落とすので、作品の質が下がっている」のだ。
名探偵コナン ゼロの執行人
名探偵コナン から紅の恋歌
この二作の、映画レビューサイトでの評価を見てみてほしい。見事に真っ二つだ。
高評価をつけている人は決まって言う。「安室カッコいい!」「平次かっこいい!」と。
低評価をつけている人は「イケメンキャラを出しておけば客が入るせいで、ストーリーに力を入れていない。本来の醍醐味である推理モノとしての質が非常に低くなっている」と言う。

…そういうことだ。サッカー日本代表の選手評価をめぐる問題点とそっくりではないか。
映画において本来評価されるべきはストーリーの質であり、キャラクターの個性はその次のはずだ。ところが名探偵コナンの上記2作品では、キャラクターの個性ばかりに力が入れられ、ストーリーはお粗末なものになっている。
そしてそれを「神作」と崇めるファンがいるせいで、コナンの映画はこう言うものの方が売れると認識され、どんどん映画としての質が落ちていく。そして新規ファンはコナンの真価を理解できない。「ベイカー街の亡霊」や「瞳の中の暗殺者」のような作品を見ることなく、名探偵コナンから離れていく…

サッカーに例えれば、「カリスマやイケメン選手を大勢呼べばスタジアムは満員になるし視聴率も取れるから、勝てなくてもいいや!」といった感じか。
恐ろしい。決して良いことではないだろう。コナンの場合も、気づけばコナンの真髄を楽しんでいた昔からのファンが消え、残るのはミーハーだけになっていそうだ。彼らは、カッコいいキャラが出ている他の映画に平気で流れていく可能性がある。それに、そうでなくても、平次や安室が出ていないコナンの作品になど見向きもしないかもしれない。

最後に日本の音楽界について。
ここまで読んでくれた人は、何となく予想がつくのではないだろうか。要するに、アイドルだ。
昨年の紅白歌合戦。近年稀に見る実力派揃いの紅白ではあるが、相変わらずまともに歌も歌えない、まともにヒット曲も出していないアイドルが乱立している。
なぜか。事務所の力も無論あるが、それ以上に、単に彼ら彼女らは人気があるからだ。
歌に全く関係のないところで。
そもそも彼らの歌など、ほとんどの人が知らないし、高く評価しているのはファンくらいだろう。それでも彼らはルックスが良いしバラエティ適性もあるので人気だ。
だから、「一応曲を出しているし…」と言うことで、視聴率を稼ぎたい歌番組に出まくれる。

このように、歌そのものをろくに評価されていない人たちが歌番組に出まくる傾向が特に強くなった10年ほど前から、日本の音楽界は急速に堕落した。まともな歌が売れることはまずない。いつもランキングの上位は質の低いチューハイのような、アイドル曲だ。そりゃ衰退するよね。才能を発揮して良い曲を作っても、歌に関する才能などほぼないアイドルが歌った曲に負けるんだから。健全さのかけらもない。
※たまにアイドル曲から神曲が出ることは認める。だが、売れているアイドル曲の大半が、安価なチューハイのような、バラエティ出演ついでに歌ったような曲だろう。
※幸い近年は米津玄師やあいみょんが若者たちから絶大に支持されているため、邦楽界が持ち直してきた印象がある。嬉しいことこの上無しだ。


サッカーで言えば、世界に通用する素晴らしい能力を持った選手が、「顔がよくないという理由で代表チームに選ばれない」ようなものだ。そして、顔が良い選手はそれだけで代表に呼ばれやすくなる。と。そんなチームが強くなるわけがない。

結論
これだから名探偵コナンはwww音楽界はwww と言って馬鹿にする余裕は、サッカー界には無い。
「本質でない部分を評価する人間によって、コンテンツそのものの質が落ちていく」
冒頭にも書いたように、サッカー界でも過去に同じようなことが起きているのだ。
今後森保ジャパンの選手たちがサッカーと関係のないところで人気になる、あるいは実力以上に大物として祀り上げられれば、彼らのプレーを見たことすらないミーハーが彼らを神格化し、ライバル選手を貶し出すだろう。
これは、全力で潰さなければいけない。
日本サッカーの成長を願うのなら。
さもないと、名探偵コナンや邦楽界がその危機にあるように、日本サッカーも本質的な部分を評価していたファンが消え、顔やキャラクターにしか着目できないミーハーだけが残る有様になってしまうだろう。選手にとってこれほど不幸な事態はない。サッカー環境として、最悪だ。実力を評価してもらえないのだから。これは何が何でも防ぎたい。

Nothing is more terrible than activity without insight.
(意訳) 本質を見抜くことなくただ活動的なのは、最悪だ。
トーマス・カーライル (イギリスの歴史家)

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