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ひとりの話
………
やっと、この今の自分の状態、について考える気力が出てきました。
世間的には、コロナ鬱、って言うんですかね。
こうなんかずっとボヤボヤとしたものがあって誰かと喋る気にもならないし、ましてや何かを発信する気が全く起こらない。
こうして誰も見ていないけど公共の場所に吐き出すのが精一杯で。いや、なんならこれのおかげで少しストレス発散になってるし。だから、ま、唯一の逃げ道ってところです。
いつからですかね。
たしか4月上旬はわりと平気だったんですよね。
なんならこの間に何かを極めよう!とやる気満々でした。この自粛期間を名一杯使おう、と。
元々1人で楽しめちゃう人間だし、むしろ映画も散歩もお笑いも授業も何でも1人の方がラクという身分なので、
人に会えないという事自体にはあんまりダメージは無くて、まあSNSで繋がってる安心もあるのかもしれないけど。
だから家にこもるということに対してはそこまで不安はなく、沢山本借りて毎日映画観てそこそこ楽しい日々を送っていました。
もちろん毎日のように通っていたミニシアターの危機とか、知ってる劇場が潰れたり、美術館とか大好きな場所に行けなかったり、何より非常事態における数々の政治問題も、
恐怖を感じるのには十分すぎるほど「イヤなこと」とか「漠然とした不安」というものは沢山ありました。し、これはまだ続いています。
皆が大変な状況にいて、でも私より大変な人は数え切れないほどいて、家にいて授業料を払ってくれる親がいるという状況がどれほどマシかという実感は常にあって。
演劇とか、プロの方はもちろん、それで生計を立ててた人もそうでなくても、きっと学生で演劇している者からしたら、そういう人達に対する演劇とは訳が違くて。
私が「演劇の死」に対して浮かぶ感情と、長い間演劇と人生を歩んできた人の思う「演劇の死」はたぶん種類が違くて。
でも、それでも、私の中にはわたしの知ってる・知りたい演劇があって、だから私は公演中止になった時世界が壊れたような感覚になって、それに気づいて、
演劇からしたら私は関係なくても、私にとっては演劇がめちゃくちゃ関係があって、
だから絶対離れたくなくて、大事なはず、で、たぶん。
なのに今どうしようもなく離れたくて。
演劇というものはきっと(そうは思いたくないけど)私を作り出す一部のはずで、
それには質も時間も関係なくて、
だから「好き」だという気持ちだけ抱えていたかったけど、
もうどうしようもなく関わるのが辛い。
リモート演劇。
この言葉が出始めたとき、何かが、私の中の何かが震えた。
それは紛れもなく「よい知らせ」ではなかった。
自分と社会の間に柵が立つのを感じた。
いやそこまでではなかったかもしれない。
ただどこか冷たい風が細く吹き抜けたのは感じた。
実はオンデマンド系動画。2、3個しか観ていない。
映画は普通に観た。元々映画として撮られた映画たちは。
ただ「リモート」とか「コロナ対策」とか「自粛期間中」とか、そういった類のものは無意識に避けるようになった。
こういう時だからこそ、という言葉がなによりも怖くて嫌いだった。
こういう時だからこそ皆を励ます、楽しませる、そういうのは全部、
同調圧力として自分にのしかかってきた。
自分にはすぐにそこにシフトする気力はなかった。
仕切りを活用した漫才、インスタライブを活用した映画。
どれもすごいなあと思った。偉いなあと。そしてどれもちゃんと面白かった。
時代の波に乗ってくというのは大切だし、変化は常に必要、そう思う。
ただ今回は大学の授業を受けるので精一杯だった。
これはとても良かった。オンライン授業はその場で調べられるし、いつもより集中できる。
そして新たな目標というか、創作意欲が出てきた。
これも良かった。自分の新たな意欲が掘り出され、時間があったからこそ気づいた事だった。
それに稽古で忙しい時には難しかっただろうと思う。
ただどうも外へ向ける発信力や、外部と関わる勇気が今はまだない。
これからできるかも分からない。
もう最近は完全にはらちゃん状態である。
「♪だからお願い かかわらないで そうっとしてといてくださいな
だからお願い かかわらないで わたしのことはほっといて」
(『泣くなはらちゃん』より)
一言でいうと、疲れた。
なにに?
わからない。
話を戻すと、たぶん私にいわゆる"コロナ鬱"が生じたのは、
社会と関わり始めたときだと思う。
正確には、社会がそれぞれのコミュニティで関わり始めたのを見たとき。
Twitter、だからやめた。
自分が動き出せないとき、動き出してる人達の存在はかえって動く気を起こさせなくさせる。
もちろん普段は逆だ。活気のあるとこに人は集まるし、動く人に私も影響を受けて動ける。
でも"鬱状態"じゃあ状況は変わってくる。
どちらが先行していたかは分からないけど、気の弱りと他のコミュニティの遭遇はぐしゃぐしゃとなにかを潰していった。
誰かに囲まれてる時にこそ孤独を感じるというのは有名な話だ。
今も授業を受けている。
ドラマは見るし、勉強量も増えた。
文章もかき続けている。
でもまだ演劇は、できない。
はやくあの快感を取り戻して、舞台に立てる日は来るのか。
あの頃に戻るんじゃなくて、進みたい。