想像力の『窓』
いまも心に強く印象に残っている写真がある。2016年の世界報道写真展の写真である。報道写真には、悲惨なテロや戦争の犠牲者、事故や事件の生々しい瞬間を切り取った写真が多い。しかし、この写真は非常に静謐な写真である。 窓辺にたたずむ少女の写真である。
https://www.worldpressphoto.org/collection/photo/2016/28750/1/2016-Zohreh-Saberi-DL3 より (「Daily Life」部門で3位に入賞)
写真には以下の説明が添えられている。
タイトル:光の中へ
2015年11月12日
ラヒリ(13歳)は生まれつきの盲目。朝の窓辺に立ち、顔を照らす朝日の温かさを楽しんでいる。
ラヒリはイラン北部の高地、ヤイレに住んでいる。
父は農夫、母は多発性硬化症に苦しんでいるがある程度の家事はこなすことができる。
ラヒリは人生について知りたがり、もっと知りたいといつも願っている。
色は見えないが、陽の光を感じ、夜の闇を感じることができる。
手で触り、音に耳を傾け、においを嗅ぐことで彼女は周りから学んでいる。
窓ガラスに映った木々の一部が朝日に照らされた少女の顔で金色に輝いていて、2重露光のような幻想的な効果を醸し出している。
写真展の凄惨な写真を見た後で、この窓辺にたたずむ少女の写真はいろいろと考えさせる。
・真実が見えることがいいのか悪いのか?
・彼女には凄惨な現場はどう心に映るのだろうか?
・大きくなってもっと知ったら、窓から何が見えるのだろうか?
『窓』について
建物の入り口は、特別な意味を持つ。同様に『窓』もいろんな意味を持っている。
昔から、『窓』は文学的な題材によく使用されるテーマだ。
開かれているとき、どこに開かれているのか?どこに通じているのか?何を語るのだろうか?また閉じているとき、中に何があるのだろうか?
いろいろと想像させてくれるからだ。
ラヒリはいわば、想像力の窓辺にたたずんでいるのかもしれない。
いろんな『窓』を見てみよう。
普通の窓だが何かひきつけるものがある。色の組み合わせだろうか。
特にぽっかりと開いた窓が気になる。
石作りの建物の『窓』
長年、パリに住んでいた著名な哲学者(日本人)が、石畳や石でできた建築群に囲まれて、暮らしていて漏らした感想がある。
『西欧の建物には、絶対に譲らないであろう確固たる自我があり、日本人としては息苦しく感じる。』という。(国費留学生くらいしか留学できなかった時代の話)
特に古い石造りの建物の窓には、確かにとりつきがたい印象がある。
閉じた石作りの窓は、強固な何者かを感じさせる。
摩耗した石畳、画一的な窓、日本の路地とは異なる、重い存在感がある。
石作りの窓。シンプルな窓だがなぜか存在感がある。
ただし、哲学者が過ごした時代から相当年月が経過し、海外旅行もこれだけ普及した時代の我々はもっと街並みを楽しめるのではないか?
一か所でも開いた窓があれば、かなり印象が異なってくる。
開かれた窓から見える人物に、生活が感じられる。
さらに、窓辺に花が生けられていると、なにかホットするところがある。
『窓』のテラスや格子
窓辺の印象を大きく変える要素にテラスや格子がある。
格子やテラスの手すりのデザインで、窓に表情が現れるのが面白い。
いろんな工夫があって街を散策するとき、比較すると興味が尽きない。
いろんな窓を見てみよう。
かなり古そうな建物のテラスと『窓』
サンルームだろうか?角をうまく利用し建物の中心となっている。
おしゃれなデザインのビルの『窓』
窓のデザインの構成要素は直線である。
最近のデザイン性の高いビルはガラスを多用するため直線が多く、窓もやや無機質な感じが否めない。
ブロック的なデザインのビル
窓とビル本体が区別のつかない全面ガラスのビル
デザインを工夫し、曲線をもっと使用することで、全体が有機的な印象になる。ビル全体が波のラインでデザインされていて、やわらかい印象を与えている。ビルのロゴを調べてみたら、義手や義足を制作する会社の開発センターでした。納得のデザインです。
多目的コンサートホール。窓の曲面デザインがユニークです。
ガウディの作品
おそらくガウディの建築物は曲線を多用したその最たるものであろう。
窓も建物も生命感であふれている。
古い『窓』
建物は年月とともに朽ちてゆく。
窓も朽ちてゆくが、古い窓は、往時の景色を想像させる。
特に、日本の有名な温泉街のはずれにある温泉宿は近年、荒廃がひどく、無残な姿をさらしている。
割れたガラス窓、破れた障子、蔦で覆われた窓。
さらに、錆びたトタン板でもあれば、それはもうモダンアートのオブジェに近い。
これらに、朽ちてゆくまでの時間の流れが凝縮しているように感じる。
特に、木造家屋は、崩れ方が侘しくなるのに対して、石造りの建物は崩れても、なおそこに立って、存在感を示している。
おそらくバブル期は隆盛を誇ったホテル。いまは見る影もない。
青々と茂った蔦の窓が過ぎ去った時間を表している。
見方によっては、モダンアーツのオブジェです。
いまはカラスが似合う風景になってしまった。
石作りは朽ちても存在感あり。
朽ち果てた民家
想像力の『窓』
さて、いろんな『窓』を見てきたが、最初の写真に戻ってみよう。
ラヒリには見えないものを見るための想像力の『窓』がある。
最近、この想像力の『窓』がだんだん小さくなり、また閉じられたままになる事態が増えつつあるように思われる。
大勢の人々、特にパレスチナとイスラエルの人々がこの窓を共有できるようになるのはいつになるのだろうか?
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