【とよた未来共創塾レポート】第2回「学校教育の現在と未来への展望」
ハッシャダイソーシャルは、豊田市および豊田市雇用対策協会との連携プロジェクト「とよた未来共創塾」第2回目を2024年11月11日(月)に開催しました。
第1回目では、地域の企業の方や学校の先生方など、30人近くの方にお越しいただき、「令和の転換点とはたらくということ」をテーマに、リクルートワークス研究所 主任研究員の古屋星斗さん(以下、古屋さん)に講演をしていただきました。
第1回目レポートはこちら:
第2回目に講演いただくのは、2022年から全面実施となった文部科学省「学習指導要領」の改訂をリーダーとして務めた文化庁次長・兵庫教育大学客員教授の合田哲雄さん(以下、合田さん)。
日本の教育はこれからどんなことをやろうとしているのか、そして、どんなアクションをしていくことがよいのかなど、さまざまな目線を含めたお話を聞いていけたらと思います。
この記事では、当日の内容や会場の雰囲気をあますことなくお伝えすることで、第1回目の記事と同様、教員・企業・学生などの立場を超えて、はたらく未来について考えるきっかけをお届けします。ファシリテーターは代表の三浦宗一郎(以下、三浦)が務めます!
プレスリリースはこちら:
今回の執筆は学生インターン、伊藤が担当します!
はじめに|参加以前/以後の差分を作るために
三浦:第1回目の古屋さんからのお話しで、「少子高齢化による労働供給量不足が、今後ますます課題として浮き彫りになってくる」とありました。2040年、あるいはそのもっと先に向かって、「今年が一番採用しやすい」そんな時代が続いていく、と。
参加者の皆さんの中でも、その課題に最前線で向き合っている方々が、危機感を持って活動されていると思います。
その先にはこの地域社会のインフラストラクチャーをちゃんとつないでいく役割があります。それはエッセンシャルワーカーの方だけではなくて、ホワイトカラーの人たちの生活にも影響してくる。そんなことも、古屋さんにお話していただきました。
「とよた未来創造塾」が掲げる「豊田市の未来を大きく変える小さな変化を今、生み出す」というミッションの通り、学びを通じて、学ぶ前の自分だったらやらなかったことをやる、ということがそもそもの大きな1つの変化だと思うんですよね。
なので、このイベント参加以前/以後の差分を作るのは、まさに一人一人のアクション次第だなと思います。そのアクションをそれぞれが応援しあえるようなコミュニティや関係性を作れるとうれしいな、と思っています。
それでは合田さんにバトンタッチしていきます!
合田さん、よろしくお願いいたします!
合田さん:豊田市の皆さま、初めまして。本日はよろしくお願いいたします。
一同:(拍手)
合田さん:先ほど三浦さんからお話がありましたように、2008年度と2017年度に2回、小中高のカリキュラムの基準である「学習指導要領」の改訂という仕事をしました。
ハッシャダイソーシャルと接点を持たせていただき始めたのは、2017年度の改訂直後でした。
そんな経験から本日は、日本教育はどういう立ち位置にあって、今後どういう方向でいこうとしているのか、本当にそれがその方向にいくのかどうか。そんなところを含めて、お話をさせていただきます。
講演|学校教育の現在と未来への展望
義務教育段階の児童・生徒の現状
合田さん:まずは、義務教育段階のお話から始めたいと思います。
OECD(経済協力開発機構)による義務教育修了段階にある子どもたちへの学力調査(PISA)が、全世界で行われています。
その中でも、PISA2022の結果は優位に上がったという結果で終わっています。
このPISA2022を受けた世代は現在の高校3年生にあたるのですが、この学年は中学1年生の最終学期の終わり、2月27日に当時の安倍内閣総理大臣から全国一斉休校の要請があった世代に当たります。困難な状況に直面した世代でありますが、結果的には良い成績を残してくれたということで、子どもたちにも、支えてくれた先生や保護者の方にもとても感謝をしています。
詳しい説明は省きますが、日本は成績が優位なだけではなく、家庭の社会環境が成績に及ぼす度合いが低いという国の1つであります。
分断や格差が感じられていると思いますが、国際的な比較の中においては日本は成績が良くかつ公正な国である、ということです。
ただこれはかなり先生方が無理をなさって、生徒たちを引っ張っているという側面もあるんです。(表1)
さまざまな発達の困難さと向き合っており、学習面または行動面で著しい困難を示す子どもは小学校では1クラス35人あたり3.6人、中学校では1クラス40人に対して2.2人存在するというデータが出ています。
他にも、家で日本語をあまり話さない子どもは小学校に1.0人、中学校に1.3人存在すると言われています。また、家に25冊以下しか本がなく、文化的資本に恵まれているとは言えない子どもたちが小学校に11.6人、中学校に13.9人存在するというデータが出ています。不登校の児童生徒は小学校では0.6人、中学校では2.4人。不登校傾向は小学校に4.1人、中学校に4.1人存在しています。
こういった背景があるなかで、日本の先生方は相当無理をして、ある意味子どもたちを一律に揃えてでも、精一杯子どもたちの力を引き出してきた、と言えるんじゃないかな、と思います。
学校における学びの目的
合田さん:学校における学び目的には大きく2つあると思います。
①個人としての社会的自立
②国家・社会の有為な形成者の育成
です。
わかりやすく言えば、「持続可能性」「デモクラシー」「イノベーション」それらの担い手、作り手を育てるということ。
これらを叶えるための学校の役割として、素朴概念バイアス、「システム1の思考」を相対化する力を育てることが挙げられると思います。
2つの例を引用しますね。
こういった「素朴概念」からどう逃れるかという問題と向き合うのが学校の1つの重要な役割であるということです。
もう1つはバイアスについて。
これは外科医が男性であるというバイアスが存在することを示すたとえ話です。
これをイノベーションに結びつく必須の要素として考えると、イノベーションを起こす人はとてつもない人だと考えられがちですが、もう少し柔らかく捉えるなら「ひらめきやすい人」ということになるのかもしれません。
初めから偏見をもたない、柔軟に考えを改めることができる、自分の誤りを適切に見直せるという傾向のある人を指すのではないかな、と。
これは自分1人で身につけるものではなく、学校で育まれる力であります。
日本の教育の課題と今後の方向性
合田さん:ここで改めて、日本教育の課題についても共有させていただきます。
OECDのPISA調査では、15歳の段階で、日本の女性はレベル4(5段階中)というかなり高い水準の数学的リテラシー・科学的リテラシーを持つ人が約4割います。これは世界的に見てもかなり高い数値です。
しかし、高校で理系の進路を選ぶ女子生徒は同世代のわずか16%。そこから大学進学して、サイエンス系の大学へ進学し学ぶ女学生は同世代のわずか5%まで減ってしまう。これはまさに明らかなバイアスがかかっているような現状であり、大きな問題だと捉えています。
もう1つは高校生の7割が普通科で学び、その普通科で学ぶ7割が文系である。高校生全体で見ると、46%が普通科文系であるというデータがあります。さらに学士課程においても半分が人社系で構成されています。
また、高校の普通科で理系を選択した生徒が、仮にそのまま進学したとしても、理学部・工学部・農学部、さらに保健系を足した大学側の定員に満たないという実態があり、これもかなり歪んでいる。
このような状況は、工業化社会でホワイトカラーの労働者がたくさん必要とされていた時の名残であることと、高校も大学も普通科のほうが安上がりで済むという大人の都合が絡んでいるのですが、今の社会と構造が合っていないということはお分かりいただけるかと思います。
これらの課題を踏まえたうえで、まずは学校全体として、今後の方向性としてさっき言ったような「素朴概念」を乗り越えることをかなり意識的にやるべきなのではないかな、と思っています。学びは「(素朴概念に対して)非常識」だからこそ素晴らしい、と教育学の世界でいわれていますが、僕はまさにその通りだと思っています。
また、立場や年齢などを越えた異論や思いもよらぬ発想を面白がる感性というものが必要で、その真逆に位置するのがジェンダーバイアスによる進路選択の問題と言えるのではないかな、と思います。
私自身、公教育の役割を再び捉えなおす必要があると考えており、高校教育についても、普通科7割の現状を転換していかなくてはならないと思っています。
「村を捨てる学力」と「村を育てる学力」
現在の教育環境について、私たちが子どものころとは随分変わってきているという印象をお持ちの方も多いと思います。
日本ほどの人口規模を持つ国の中においては、小中学生全員が1人1台、情報端末を所持することは、世界最先端の情報環境であると言えます。
今、「自由進度学習」という、単元の中で子どもたちが自分のペースで学ぶことができるような学習の進め方を取り入れている学校も増えてきています。
今までよく分からない校則もたくさんあったりもしましたが、自分たちでルールを決めていこうという「ルールメイキング」の取り組み、さらには渋谷区の「半日学校」のような座学だけではなく、探究的な学びを増やすような授業改革、東北大学のような入試方法のすべてを「総合型選抜」に変えていくというような大学入試改革も進んでいます。
一方で、自分の子どもの学校はまだ昭和的だ、という印象をお持ちの方も少なくないのではないかな、と思っています。
「教育は好きを諦め、嫌いを強いて総得点を上げるための修行だ」という概念は、まだまだ我々世代には染みついている方が多いと思います。1700の自治体、35000校、100万人の教員、1200万人の児童・生徒が乗る大きな船の向かう方向性や土台を一気に変えることは、確かに少し難しいことかもしれません。
これらは工業化社会での文書主義、勤勉性が求められた時代では有効であった。ところが現在、首都圏・大都市圏のグローバル企業のホワイトカラーは不要になってきています。それに対し、ローカル経済を支えるエッセンシャルワーカーは極めて足りない現状があります。
そんな中で、ホワイトカラーとしてペーパーテストを乗り越える、入試を乗り越えるために学ぶことは東井義雄著の『村を育てる学力』の中で言われている、「村を捨てる学力」そのものではないかな、と私は思います。
今社会に必要とされている、ローカル経済を支えるエッセンシャルワーカーに求められている「村を育てる学力」とは、自分の特性や関心から「教科の知識はどんな役に立つのか」という視点を持つことだと思います。
現在、全国で探究的な学びを、熱心にしている学生と話をすると、面白いことに、皆さん同じことを言います。
「教科書を先生に言われた通りに覚えることは、つまらなくめんどくさいなと思っていたが、自分の興味関心をみつけて『知りたい!』と感じたときに、先生から『じゃあこの教科は大事だよ』と言われて教科書を読んでみたら、自分の知りたいことが体系的に、かつ正確に過不足なく、端的に書いてある」と。
このエピソードは、まさに『村を育てる学力』の中に書いてある、「村を捨てる学力」と「村を育てる学力」の違いを表しているのではないかな、と思います。
教育視点から見るデジタル化の功罪
「とよた未来共創塾」第1回目の話題とも繋がりますが、私は「デジタル化」という社会構造の変化には、非常に大きな変化があると捉えています。
変化の特徴としては、あらゆる社会サービスがその軸足を「サプライサイド」から「デマンドサイド」へと移したことです。
テレビ番組の例がまさにわかりやすいと思います。
「サプライサイド」は、地上波です。我々が子どものころは、テレビ局の偉い人が決めた時間どおり、テレビ局の偉い人が決めた番組を見ていた。自分の生活を、テレビ番組に合わせていたわけです。
しかし現代では、ストリーミングサービスなどで、自分の見たいものが見たいときに見れる社会になってきました。つまり、デマンドサイドに軸足が移っている、ということになるのではないでしょうか。
要するに、「皆、同じがよし」という意識から、他者との違いに意味や価値がある社会へと転換したということだと思います。
私自身、学校は「子どもが安心して失敗を重ねることができる場所」だと捉えています。
1つの共通のゴール=工業化社会で役に立つ/立たない、という視点から、必要な能力や人材を選別するという発想ではなく「何もできない人はいない」「それぞれの力が及ぶ範囲内で何らかの実験をし、それに何の意味があるかないかは後から考えればいい」というプラグマティズムが学校教育においては必要不可欠だと考えています。
ですから、学習者が自分自身の関心や特性に、わがままになって学びを重ねることが大切だと、私は考えています。
そして、自分の関心や特性を尊重すると同時に、他者の特性や関心への敬意も不可欠なのではないかな、と。
私はさまざまな背景や特性をもった子どもたちが集う「小さな社会」である学校において、学びや体験を通して「共生の作法」というものを尊重する必要があると思います。
他方、デジタル化は、自分と同様の考えのみに囲まれる「フィルターバブル」を生み、社会分断やデモクラシーの劣化を生んでいることも事実です。
素朴な概念、短期的な利益や一時の感情を越えて、忍耐強く考え、トレードオフのなかで他者と丹念に対話を重ねて合意を形成することが、自他双方にとって長期的な利益や幸福につながる。
こういうことを実感することも公教育の重要な役割であると思っています。
先生たちには、「『デモクラシーの最後の砦』のような重い役割を押し付けられても困る」と言っていただいたりもしますが、実際には先生方の日々の指導において、充分にこの役割を果たしていらっしゃると考えております。まさに先生方の日々の指導は、「デモクラシー」の基盤を築いていらっしゃるのではないかな、と。
最大の壁は、私たち大人自身の意識
このような学びに転換していく上で壁になってくるのは、実は我々自身の意識であると思っています。
昨年末に、京都市立堀川高等学校の2年生と4時間ほど対話をさせていただきました。
対話の最後に問われたのは「皆、同じがよしとされる社会は本当に変わるのか」ということでした。「皆、同じがよし」とされる社会は確かに息苦しくもあるのですが、特に年長者にとっては居心地が良く、ぬるま湯のようになってしまうような気がしています。
先程も申し上げたように、個人の自立、イノベーション、デモクラシーに共通して大切なのは、立場や年齢等を超えた異論や思いもよらぬ発想を面白がって学ぶ感性だと思います。
あるベンチャーを興した若者から「老害は年齢とは関係ない。学びを止めた人が影響力を行使するようになった瞬間に老害が生じる。」と言われたことがありますが、私も全くその通りだと考えています。
社会が、さらに大人である我々が、そのようなマインドセットを持つことと同時に、公教育も変わっていくべきであると考えています。社会は変わらないのに教育は変わるなんてことは、不可能なのではないかな、と思っています。
先生の役割は子どもの関心を教科に結びつける「先導者」へ
学校教育全体が上記のように変化していくには、「学習指導要領」というカリキュラムの構造を変えるだけでは不十分だと思います。
政府の方針としては、「それに伴い、例えば先生方の処遇の改善や、これまで以上に多様な専門性を持った人が教壇に立てるように、教員免許の制度を変えていくことも視野に入れた議論をやっていくことが必要だ」という考えに立っています。
そのためにも、教育課程は学びのデザインに直結する、シンプルで理解しやすい「学習指導要領」にする必要がありますし、教科書・教材はデジタル化により、個別性の高い学びが可能なものを選択していくことになります。
学び方の多様化に対応した学校や、学校内外の教育支援センターの設置・促進・機能強化の必要性や、学校間接続のデジタル化、教育マネジメントを担う人材市場の確立の必要性についても、現在議論が進んでいます。
これによって、個人にカスタマイズされた評価や、より多様な背景・専門性を持つ方々にも教育に関わっていただくような流れは進んでいくと思われます。
これは私の私見と思って聞いていただければと思いますが、例えば教育制度を「小学校」という組織としてではなく、「初等教育プログラム」という教育課程として組み立てることが必要なのではないかな、とも思っています。
そうなっていくと、教科学習における学習の個別最適化や、学校横断的な授業の展開や教員配置、教員の仕事の分業化、学校施設の所有から利用へ、といったようなイノベーションが可能になっていくのではないかな、と。
先ほども申し上げたように、デジタル化が引き起こしたサプライサイドからデマンドサイドへの変化で、あらゆる社会サービスの軸足が移っていくことと同様に、学びもその流れにあると思っています。
そのような流れを見たときに、「じゃあ子どもたちは自分の好きなことをストリーミングサービスで学ぶことができるから、学校はいらないのか?」といった意見や「学びってラクなもんですね」さらには「探究的な学びをメインに据えていくと、先生もラクになっていくのではないか?」というようなお話になることもあります。
しかし、自分の特性・関心だけではなく、他者の特性や関心を尊重する「共生の作法」だとか、あるいは社会的な合意をなんとか形成すること、強いリーダーや生成AIに頼るのではなく、自分の頭で考えることは学校教育でしかできないことだと思います。これらは長期的に見ても、間違いなく子どもたちの力になると、私は思っています。
また、子どもたちが興味・関心を持った時に、それらを教科に結び付ける「先導役」の役割が先生たちにはあると思っています。
そうなると先生方の側に、子どもたちへの発問と、それに対する返答のパターンが非常に多くあるという、教科研究の深い蓄積がある状態が必要であると思います。
この子どもたちの課題意識と先生たちの教科研究における専門性とのぶつかり合いこそが探究的な学びと言えますし、おそらくそういった学びを得た子どもこそ、次の時代の地域や日本を支えていくのだと、私は考えています。
「失われた30年」と大人社会の責任
最後に、このような場でお話する機会をいただいているので、ひとこと申し上げて終わりたいと思います。
先程もお話しした、高校生との対話の中でこんな意見が出ました。
「あなた(合田さん)が高校生だったときは”Japan is No.1 !”と言われて、日本は輝いていたそうじゃないですか。それが30年たって、こんなボロボロになって我々に引き渡すなんてひどいじゃないですか。
そのうえで社会保障やお年寄りの面倒を見ろなんて言われても面倒見られませんよ。」と。
これは、非常に重い問いだと思います。我々世代はそこから逃げてはいけない。
小林慶一郎さん著の『日本の経済政策』では、「失われた30年」の構造が非常にロジカルに解説されています。
まずは学校教育の役割というのは、この『日本の経済政策』をしっかり読むことができて、理解ができるリテラシーを身につけることだと、私は考えています。
なぜなら、これを理解できるリテラシーがなければ、ただ単に「年寄りが悪い」だとか、「若者に元気がない」だとか、悪口を言い合っておしまいになってしまうと思うからです。
世代間問題になって、どうしても世代間で立場や利害が対立してしまい、きちんと理解できないまま分断が広がって終わり、となってしまうのではないかな、と。
「とよた未来共創塾」という名前にも込められているように、私は「フューチャーデザイン」という発想がこれまで以上に必要だと思っております。「現代人としての私」と「将来世代としての私」が対話する、こういう「再帰的思考」が大切だと。
若い世代は「歴史の法廷」の検事や判事になって、我々世代の行いを問いただすということをすべきなのではないかな、と思います。
ただその際に、自分が同じ立場であったときに自分ならどう判断したであろうか、ということを考えることも非常に重要であると思っています。
私達に染み付いている「教育は好きを諦め、嫌いを強いて総得点を上げるための修行だ」という感覚からすれば、本日お話ししたような「子どもの学びの転換」には驚くことばかりかもしれません。
しかし、私自身は、持続可能な豊田市、持続可能な日本社会を次の世代に引き継ぐための、大人社会の責任であると考えています。
そのためには、立場や世代、考え方や文化が異なる方々が、「未来共創塾」というこの場にこのような形で集まり、議論や対話を重ねていかれるということが、すごく大切だと思います。
質疑応答・感想シェア|教育から刺激を受け、企業が変化していく
三浦:ありがとうございます!今の質問・感想を踏まえて、合田さんからお話を伺えたらと思います。
合田さん:はい。今のお話に重要なポイントが2つあったのではないかな、と思います。
まずは、「高校のあり方」について。
全くその通りだと思います。市長さんと話すと、「自分の市では、小中学校までは自分たちの郷土を知り、郷土を学ぼうという教育をしたのにもかかわらず、県立高校に行ったら一切関係ありません、のようになり、そのまま首都圏の大学に進学して、戻ってこない」とおっしゃっていることが多いです。「なんのために、義務教育をあんなに頑張っていたのかわからない」というお話を、よくお聞きします。
この間もとある市で、「大工になりたいので、学校を出たら弟子入りしたい」と言ってくる子供がいたらしいんです。
ところが、大体それは学校の先生に止められると言っていました。
「大工になってもしょうがないから、高校の普通科行って、ホワイトカラーの企業に就職しなさい」のような指導が、いまだにあるんだそうです。
その時に、そこの市長さんとは、「市立の高校の再編を今やってるから、今度は普通科ではなくて地域科みたいなものを作って、そこに文化財コースみたいなものを作るか!」という話になったんです。
こういう風に、本当はそれぞれの県で高校教育は組み立てられるし、判断できると思うんです。ただなぜそれができないかというと、まさにこの「とよた未来創造塾」のような場がないからだと思います。
じゃあ高校教育、入試はどうしていくべきなのか。それから、地域にある専門学校や大学に対して、「あんたらこう変われ!」という足場は、「とよた未来共創塾」のようなところしかないと思っているので、こういう場で議論していただくことがいいんじゃないかなと私は思います。
もう1つの論点については、アリとキリギリスのお話のように、我々は勤勉性を旨とするアリとして生きていかなきゃいけないと刷り込まれていると思います。
しかし実際のところ、時代はキリギリスになっているわけですよ。もう少し正確にいえば、アリのような勤勉性を追求したからといって、これまでのような幸せをつかめるとは限らない社会になってきているんですよね。
これまでは子どもたちに語句とか、ことわざとかを学ぶのは、「試験に出るからだ」と伝えるだけでよかったのですが、これからは「あなたの考えていることを、ちゃんと他者に理解してもらって、他者のいうことをちゃんと理解するには、共通の通貨としての語彙が必要なんですよ。」と伝えることで学んでもらうことが重要になっているのかなと思います。
ですので、私は「個別最適な学び」というのは、決して自分の好きなことをやっていればいいというわけではなく、他者の学びや関心や特性を尊重するためにも、この「共生の作法」を学ぶためにもやらなくてはいけないのではないかな、と思います。
これまでの基礎学力は、みんなと同じように歩むことができる人を育てることでしたが、そうではなく、異なる他者とともに生きていくために必要な力こそが基礎学力だと転換していく必要があるのではないかな、と思います。
なのでやはり個別最適な学びとは、やりたくないことはやらなくていいという学びではなく、ただやりたくないことに取り組むにあたって、「なぜそれが必要か」ということはきちんと伝えなければならない。
おそらくそれは、企業において若手の社員を育成することと同じなのではないかな、と思います。
三浦:合田さん、ありがとうございます!
ひとつ僕からお聞きしてもいいですか...!
日本の教育がある種、進歩的に変わっていく、そしてその変化が明確に指導要領に示されていて、大人もその空気感を感じている。
とはいえ、企業の担当者からすると、今の企業の実態にそのような教育を受けた子どもたちが入ってきたときに、ギャップが起きたり、今の時代にそぐわないんじゃないかというご意見もあるんじゃないかな、と思っていまして。そのあたり、合田さんはどのようにお考えでしょうか?
合田さん:ありがとうございます。
いまおっしゃっていたことは、150年前も共通していると思います。
義務教育を導入するにあたって、「学制反対一揆」というのが起こったわけですよ。「俺の子どもは家の労働者であって、昼間から学校へもってかれては困る」と。
しかし、もし学制反対一揆に任せていたら、この国はこんなに発展しなかったと思います。
また、やはり大切なのは、我々の判断ですよね。
もし、「皆、同じがよし」とする伝統を維持したいという会社や考え方があるなら、優秀な若者は間違いなく、会社や社会、この国から出ていくことになると思います。
実際に、とある大学を出た学生が、大企業に入って「お前は何を考えているんだ。生意気だぞ。会社の言うことを黙って聞いていれば良いんだ。」と言われ、その方は実際に会社を出て、ソーシャルイノベーションの活動をしているそうです。
とある高校の学生が、高校のときにはあんなに生き生きと探求していたのに、大学に進学したり企業に就職すると、砂漠のようだ」と。そして彼らがこのようになってしまうのは、私は社会や企業、文部科学省のほうが間違っているからだと思います。
もし間違っていないというのなら、我々は静かに衰退していき、「かつてアジアに日本という一時期隆盛を極めた国があったよね〜」というエピソードで終わるんだ、ということなのではないかな、と思います。
三浦:ありがとうございます!
まさに僕自身も、工場で働いていたバックグラウンドがありまして。
ついつい「従業員が学ばないほうが都合がいいんじゃないか」と考えてしまうこともあるんだろうな、という一方で、資本主義的に考えたとしてもその発想自体はすごく遅れているんじゃないか、と思います。
教育から刺激を受け、企業側が変わっていく、ポジションをとりなおしていく重要性をあらためて感じました。
本日も時間いっぱいお話を伺いました。
合田さん、お忙しい中本当にありがとうございました!
合田さん:こちらこそ、とても楽しかったです。ありがとうございました!
編集後記 | 弱い紐帯の誕生と豊田市の未来
今回「とよた未来共創塾」に参加してみて、今後の日本の発展に向けた公教育の重要性を深く知ることができました。
「教育」について考えるとき、学校だけに焦点を向けがちですが、地域、企業、行政も巻き込み、広い視野を持つことでより日本の教育、そして豊田市を発展させていく可能性を感じることができました。
グループごとに意見交換をしていく中で、講演内容に共感し、具体的なアクションについて話し合う参加者もいれば、「講演において説明された学校と現実の学校とはすこしギャップがあるのではないか」など、さまざまな声が飛び交いました。
僕はそこで、まさにこのような営みが、このコミュニティの価値なのだと感じました。
行政、企業、学校それぞれの立場の人が、それぞれ本音で話すことでお互いの課題感の認識が擦り合い、そして共感により、目の前で「弱い紐帯」が生まれていく様子が、この日1番印象に残った場面となりました。
さらには「『失われた30年』と大人社会の責任」の内容にある、他の国では数年で処理できていた不良債権を日本は10年、15年かけて処理している、という話から、今の日本に存在する課題責任を、先代に向けて批判することは間違いではないのかもしれません。
しかし僕は、どれだけ責任を押し付けあっても、世の中はより良い方向に変化していくとは思いません。「年寄りが悪い」とか、「若者に元気がない」だとか、責任を押し付けあうのではなく、変数に焦点を当て、「日本をよりよくしていくためにはどうするべきか」とポジティブに考えることが社会を良くしていくための本質的な選択だと考えます。
我々若者は「歴史の法廷」の検事や判事に勤しむばかりではなく、自分自身が社会の担い手である自覚を持ち、行動を起こすことが大切なのではないかな、とあらためて感じました。
これは決して簡単なことではありませんが、そのためにまず僕自身が変わろうと努力することから始めていきたいと考えています。
「とよた未来共創塾」は、残すところあと3回です。
残り3回でこのプログラムがどのように変化するのか、そして「とよた未来共創塾」というプログラムをきっかけに、豊田市にどんな変化が起こるのか、ワクワクしながら自分も一緒に作りあげていきたいと思います!
執筆:ハッシャダイソーシャル学生インターン生 伊藤岳登
一緒に若者の「可能性」を応援しませんか。
全国の学校や少年院・児童養護施設等に、様々な「Choose Your Life!」の機会を届けているハッシャダイソーシャルの活動は、全て皆様の寄付・協賛のおかげで成り立っております。
もしよろしければ、若者の「可能性」を応援する仲間になっていただけると嬉しいです!一緒に叶えましょう。
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