14年後の「つながり」
人んちの子どもの成長というのは実にはやい。
2010年に妹の子ども、つまり甥っ子が生まれた。きのうで14歳。
以下に載せるのはその直後に書いた「つながり」という文章。あのあと、妹夫婦はボクの実家の近くに家を建て、甥っ子姪っ子はうちの両親が面倒を見ることになる。
が、もう甥っ子は14歳で、声変わりもしかかっている。あいかわらず口うるさい婆ちゃん(=ボクの母親)とは案の定、噛み合ってないらしく、実家にも寄りつかないらしい。いま中学2年だけど、勉強はあまりせず部活のテニスに夢中で、家に帰るとスマホかゲームばっかりやっているという。
だけどまあ、そういうもんだろう。夢中になるものがあるのはいいことだからな。
自分が中2だったのは1984年。ちょっと前のことだと思っていたのに、そうか、もう40年前なのか……昭和59年だしな。中学の記憶というのはもうけっこう薄くて、みんな第二次性徴期の真っ只中だし、なにかと面倒臭かった感覚だけが残っている。
つながり
2010/2/3 01:26:14
どこで聞いたのか忘れたんだけど、
「その人が死んでしまったとしても、その人の記憶を、今生きている誰かが忘れない限り、その人はまだ 『生きて』 いるということである。」
と唱えてる人がいた。
確かにそうだよな。
・ ・ ・ ・ ・
ボクの婆ちゃんは、産婦人科の給食係を仕事にしていた。
いつも元気で、せっかちで、おっちょこちょいで、O型を絵に描いたようにデタラメだけど、愛嬌のある人だった。ボクは、婆ちゃんの働いていたその病院で2月2日のお昼ちょっと前に生まれた (と婆ちゃんから何度も聞いた)。
特に 「お婆ちゃんっ子」 というわけでもなかったのだけど、母方の一家の初孫として、ボクはとても可愛がられたなあと思う。
群馬の爺さん婆さんの家に泊まりに行くと、翌朝6時には婆ちゃんが枕元でささやく。
「ヒロちゃんは今日は何が食べたいん?」
必ず答えるのは 「ウィンナー」 だった。
またウトウトして、暖かい布団の海の中にのみこまれていく。次に目が覚めて起き出すと、必ず食卓には赤いウィンナーが並んでいた。絵を描くのが好きだったボクのために、鏡台の下の引き出しに、ウラが白紙のチラシをとっておいてくれたのも婆ちゃんだった。
そんな婆ちゃんは遠くに住んでいたんだけど、中学1年の夏、我が家に遊びに来た翌朝亡くなった。眠っている爺ちゃんの隣で、いつのまにか息をひきとっていた。爺ちゃんの悲鳴でみんなが飛び起きて、ボクの父親が医者を呼んできた。懐中電灯で目の奥を覗いてる医者の横で、冷たくなった婆ちゃんの姿を、正座をして眺めていた爺ちゃんは、夏なのにブルブルと震えていたことを今でも覚えている。
・ ・ ・ ・ ・
先月末の暖かい日の朝、ボクの妹に男の子が生まれた。
2時間後、妹から 「甥っ子」 の写真がケータイへ届く。
「やっぱり自分の子供はカワイイよ」
子供産んで2時間後の母親が呟く言葉か、それって?
妹はあいかわらず冷静な女である。
しかし……これでオレも正真正銘の 「おじちゃん」 になったわけである。
その日、お客からの電話の合間に、父親の携帯から電話。
「生まれたよー」
言葉は少ないけど、相当喜んでるのが分かる。
中学校まではよかったのに、高校に入って崖を転がるように落ちこぼれた息子が、やっと大学に合格した日、父親はめずらしく仕事から早く帰ってきて、「よかったなー」 といいながらビールをうまそうに飲んだ。
おそらく、20年前の、あの時以来の喜びだということが電話越しにも分かった。
・ ・ ・ ・ ・
その後数日、毎日届く甥っ子の写真。
「爺さんは息子にメロメロだよ」
と添えられている妹からのメールの文面に 「本当か?」 と思う。
およそ、『家庭』 というコトバが似合わない仕事人間だった父親が、いつのまにそうなったのか?
定年して約10年。最近は料理もするというから、ボクが父親を見ていない、ということでもあるんだが……。
・ ・ ・ ・ ・
それを確かめたい思いもあって、この週末、実家に帰った。
甥っ子とのご対面。
ボクが帰ると、母親と妹は餃子鍋のための餃子を作っていた。
「どこにいるんだよ?」
「居間で寝てるよ」
と、あいかわらずクールな妹。
居間に置いてある、小さなカゴの中で、甥っ子はスヤスヤ眠っていた。
「ち、ちっちぇー」
というのが最初の印象。
生まれたばかりの子供というのは、こんなにも小さいのか。。
ヒロシおじちゃんとの初の対面をしても、甥っ子は泣かなかった。意外と印象がよかったのかもしれない。
「この子 『ウンコたれ』 でさあ」
と言いながら、餃子鍋の隣で不慣れな手つきで妹がおしめを変える。
小さいけど、立派なチン○もついている。
甥っ子、姪っ子はカワイイというが、なんだかリアリティが湧いてきた。
驚いたのは父親。
「とーもくん、とーもくん」 (甥っ子は 「友哉」 と命名された) といって、
隙あれば甥っ子を抱っこし、その手を話さない。
ボクからすれば、ちょっと異様な光景でもある。
はやく孫が欲しかったんだなぁという、複雑な気持ちにもなったけど、嬉しそうな父親の顔は、
ボクもやはり嬉しかった。
妹よ、あんたはエラいよ!
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27年前、婆ちゃんが亡くなったこの部屋で、
娘だった母が 「お祖母ちゃん」 になり、妹が母になり、妹の息子が育っていく。
きっと数年後、母は眠っている甥っ子に聞くだろう。
「トモ君、朝ごはんは何が食べたいんだい?」
その夜、居間に布団を敷いて眠ったら、婆ちゃんの夢を見た (気がした)。
お墓参りいかないとな。