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M社長とフェラーリ
今、関わっているある仕事で、一緒に働いていたバイトの学生くんたちが就職で巣立っていった。金融系に、有名メーカーに、船会社、そうそうたる企業への就職。みんなすごいなあと思う。
息子や娘ぐらいの年齢の彼らに「橋本さんは、どんな新入社員だったんですか?」と聞かれたらいやだなあ、めんどくさいなあ、彼らの参考になる話ができないなあと思いつつも、そういう質問はなかったので……よかった。が、ちゃんと「聞いても無駄な大人」に見えていたのかもしれないない(笑)。
「専攻していた『建築』がいやになっちゃっただよねえ」
「だから卒業したときは何者になるかも決められなくて、フリーターになった。フリーターのハシリだねぇ」
もし聞かれたら、そう話すことにしているんだけれども、実のところを言うと、どうやって就職活動していいかわからないうちに卒業になってしまった、というのが正しくて。とにかくダメ学生だったのだ。
卒業したらもう仕送りはないので、なんにせよ自分で稼がねばならない、というのが3月時点のボクの状況だった。
在学中に先輩に紹介してもらって続けていたバイトは、百貨店のショーウィンドウや売り場、それから展示会のブースを施工する施工屋。
12mmのコンパネをジグソーで切って、バレンタインデーの巨大なハートの作り物をつくったり、発泡スチロールを削って樹脂を塗って地球のような作り物をしたり、展示会の什器を作ったり。
学校の課題とあまり変わらないような作業で楽しいのに、けっこういいバイト代までもらえて何だか不思議な仕事だった。自分では買えないような電動工具も使えるし、他の美大からバイトに来てるやつもいて他校の様子を知ることもできた。
クリスマスが終わった夜とかバレンタインデーが終わった夜は稼ぎ時で、一晩でけっこうな額が稼げた。卒業する頃には難しいとされていた経師(≒クロス)貼りぐらいはできるようになっていて、その会社からは重宝されていた。卒業後しばらくの間はバイトでお世話になることにした。
M社長を中心に社員は5人しかいない小さい会社だった。大企業こそが安泰だ、という雰囲気が今よりも強かった時代だし「うちで社員になっちゃえば?」とよく言われたけど、そうはなかなか思えなかった。
ただ、そのようなバイトをしていると、たくさんの「親方」と出会う機会がある。木工屋、クロス屋、切り文字屋、電気屋……自分の得意なことを商売にして、会社にして、自分のやり方で稼ぐ。M社長も、そういった親方社長である。もちろんオーナー社長であるから、社長が絶対だし社内に不満もたまりやすい。
だけど、「そういうやり方もあるのか」「小さい企業だからこその『醍醐味』というのもあるんだな」というのを、M社長に見せてもらっていたなあと思う。
従業員の賃金を、大企業の動向を見ながら真似る、なんてことは全くのナンセンスで、「看板」がない小企業なんだから、報酬が大企業より安くてどうするんだ、というスタンスを30年以上前に実践していた彼は「よくわかっていたんだなあ」と今では思う。
こう書くとM社長、いい人だったように思えるけども全くそんなことはなく、実にいやなヤツだった(笑)
現場では一切、なにも教えてくれない。
状況をよく見て覚えろ、自分がなにをするべきか考えろ、と無言の圧をかけてくる。
彼は社長になっても現場が好きだったので、よく現場に出ていた。バイトのボクもアシスタントとしてよく現場に同行させられた。バイトは当時何人もいたんだけれども、M社長に呼ばれるのはババ抜きでババをひくようなもので
「マジかー、明日も社長とだよ……」
と仲間にこぼすと、ニヤニヤしながら且つ哀れみながら「残念でしたー」と言われるのが常だった。
現場で腰袋をさげて作業する彼の横で、突っ立っていても何の指示もない。仕方ないのでゴミ集めとかをしていると、いきなり右手を出して「道具よこせ」の仕草をされる。急だし、何も言ってくれないので何を渡せばいいのかわからない。電池ドリルなのか手びきのノコなのか……。
「はやく!!!」
と、低くデカい声で怒鳴られる。
おどおどしながらノコギリを渡そうとすると
「おまえバカか! 電ドルだよ電ドル、短いビットつけて」
常に次の動作を予測して準備しておけ、というわけだ。
「よく見とけ、煙草ばっか吸ってないで」
と、いつも嫌味を言われた。
ある日、銀座の百貨店の現場の帰りだったか、いつもと違うルートを通るなあと思っていたら、飯倉の角だったか川越街道沿いのどこかだったか忘れたんだけど、いつも路駐しているんだろうなと思われる場所に、M社長はおもむろにクルマを寄せた。
カペラワゴンのエンジンを止めながら、同乗しているボクに
「はしもとくん、ちょっと見に行こうか」
と言う。いつもの調子で「なにを」や「なにが」がない。
現場の下見にでも行くのかと、カペラワゴンの助手席を降りてついていったら、M社長が足をとめたのは、フェラーリが飾ってあるディーラーの前だった。「え!これが現場なの?」と思ったら、どうやらそうではなく、M社長の「士気向上」のための「現場」にボクが付き合わされたのだ(笑)。
まあいいか、バイト代あと30分稼げるし。
「フェラーリいいよな」
いきなり友達みたいな口調で同意を求めてくる。
「え!ええ(汗)、いいですね。」
雑誌でしか見たことのない、ボクはあんまり興味のないフェラーリだ。モデルもわからない。どこがどうすごくてとか、諸元を説明してくれることもなく、ただ無言でじろじろ見ている。「もう帰ろうよ」と言いたくなるぐらい長い時間、見ている。
じろじろ見過ぎて怪しい二人である。高級外車窃盗の下見のようだ。
「フェラーリを買えるようになるまで頑張らないとな」
見た目はヤクザだし横暴に見えるM社長だけど、仕事は真面目で正直で一生懸命だったと思う。それは若いボクらでも感じることだった。だから若者たちも、それに従ったふるまいをした。
まだまだ景気のよかった時代で、昼過ぎに証券会社から営業の電話がかかってくると
「株はやるな、というのが母親の遺言だからやらないんだよ!」
と超デカい声で返した後、ガチャ切りしていた。そのたびに、隣に座っている経理のおばさんは椅子から飛び跳ねそうになっていた。
夜中でも煌々と光ったままのダウンライトに照らされている、真っ赤な車体を二人で見ながら
「でも、フェラーリってちょっとエグすぎません?」
というボクの質問には答えようともせず、遠い目をしながら、M社長はしみじみと言った。
「やっぱポルシェじゃないよなあ、フェラーリだよなあ」
春になり、夜の風がやわらかく感じられてくる頃になると、あの晩M社長とディーラーのウィンドウの前で赤いフェラーリを眺めたことを思い出す。
バブル後の景気の悪さがいよいよ百貨店業界にも押し寄せてきて、いままでの仕事がなくなりつつあった94年。ボクが学校を卒業してフリーターになった年。どこで見つけてきたのか趣の違う仕事が入ってきた。ある有名なプロダクトデザイン会社がデザインした什器の、量産前のモックアップを作る仕事だ。
金属加工、木材、樹脂、電飾……M社長の長年の経験を総動員して、忠実にデザイン画を再現したことにデザイナーさんはとても満足していた。これが通れば量産(しかも全国展開)が次にあるだろうという目論見もあってか、M社長は非常に気合が入っていた。
完成の打ち上げかなにかで、そのデザイナーさんたちと食事する機会があったんだけれども、プロダクトデザインでイタリア留学していたというデザイナーさんが、酔っ払いながらこういう話をしてくれた。
「イタリア人は、ラフでもなんでも、描く『線』がまったく違うんですよ。向こうで学びはじめた時、まずそのことにびっくりしましたね。」
横でその話を聞いていたM社長は、ニヤニヤしながら言った。
「な、やっぱりそうだろう。だからイタリアなんだ、フェラーリなんだ」
よくわからない論法である(笑)。
ポルシェかフェラーリか。
当時、ハイエースのスーパーGLが欲しくてたまらなかった小僧のボクからすれば、どーでもいいことで、
「ちょっと小金持ち(←失礼!)になるとなんでフェラーリ、フェラーリ言うんだろう、カッコ悪いな」
ぐらいにしか思っていなかった。
が、時は過ぎて歳を重ね、おじさんになってくるとクルマならBMWやポルシェ、バイクならDUCATIなど、欧州車を手に入れる友達が増えてくる。日本車に「鋭さ」がなくなってくる時期と呼応してるともいえるんだけど、やはり年齢とも関係があるんだろう。
あるとき、Moto Guzziを持っている仲のいい先輩が飲みの席かなにかでこういうことを言った。
「やっぴりバイクはイタリア、クルマはドイツでしょう」
彼を目の前にして回答したのか、脳内だけで回答したのか、もう定かではないんだけども、自分としてはこう思った。
いやいや、ボクは逆だと思います。
いま、イタリア製のクルマに乗っているけど、はい、非常に官能的な走りです。エロいです。デザインも本当に魅力的だし「どうしてこんなラインを発想できるんだろう」と、業界は違えどデザインを生業にしているボクでも思います。
ただ、しょーもない部品の壊れ具合とかプレスラインの適当さとかを見ると、どうしてもイタリアのプロダクトは若干信用できないところがある。クルマはいいんです、4輪あってコケないから。でも、バイクは「信用」できなかったら乗れたもんじゃない。なんかちょっとでもテキトーなところがあるとコケるかもしれないし、命の危険がある。だからなにより精密さを重視したい、だからバイクはドイツだと思うんです。
──自分がなんで、いつのまにそういう嗜好(指向?)になってしまったのか、自分でもよく分からなかったりする。
「ポルシェじゃないよなあ、フェラーリだよな」
フェラーリじゃないけど、いまイタリア製のクルマに乗っているボクは、あんまり好きじゃなかったM社長に、ひょっとしたらけっこう影響を受けているのかもしれない。
確定申告の計算をしていてふと思い出したのだ、M社長のことを。3月ぐらいに「税務署がくるから、工場の材料の在庫を正確にかぞえてくれ」って言われたなあと。その後、倒産したって話を聞いたけれども、あの作りすぎた在庫が「重かった」んじゃないかなあ……。
もう76歳ぐらいだろうか、M社長。40代で痛風になったりして糖尿ぎみだったから、もしかしらたらもうこの世にいないかもしれない。
逢いたいか、というと、そうでもないんだけれども(笑)、でも、「あなたに見習うべきことはいろいろあったし、当時おれはちゃんと見ていましたよ。いまのおれに役立ってる部分もたくさんあるんです」ということは伝えたいかもなあと思う。