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「夢の軌跡」

コロナ以前に考えていたことを忘れてしまいそうなので、書き留めておこうという気になった。

2019年の暮れは、ごく平和に過ぎていた。

昨年、借りていた仕事場を解約した。家から歩いて5分で行ける距離に借りていたアパート。学生の時に住んでいたアパートと同じ積水ハウス製で建具も窓ガラスも同じ。そんな環境に苦笑していたんだけれども、本当に素晴らしい里山の景色が眺められる物件だった。

なのに、家で作業することに慣れてしまったのと、家事をすることが多くなったせいで、足が遠のいた。一ヶ月に一度も行かない月が何ヶ月も続いたので、解約することにした。

で、解約するにあたって、久しぶりに本の整理をした。結婚して、嫁さんの住む家に引っ越してきた時にダンボールに詰めたままの本たち。その仕事場にダンボールに入れて運びこんで山積みのままだった。湿気の多い部屋だしカビがはえたら困る。

自分が読んできた本は宝だ。本を買って、読んで、何度も使って、保存することは書いた人へのリスペクトだと思っている。本は単なる「消費するコンテンツ」ではない。ブックオフへ売るなんてことはありえないと思っている。だから、でかい本棚を買って死ぬ時まで本を収めておきたいと考えているんだけれども、なかなかそうはいかない。なのでカビ対策として、古いダンボールから新しいダンボールへ移し替えた。

誰でも、買ったのに読んでないという本というのは一定数あるわけで、ボクで言うと2割ぐらい。どうしても苦手な訳文の本、たぶん英語から日本語への訳文というのは自分とリズムが合わないんだと思う。たいていが最初の数十ページで終わってる。ほかに、買ったけど読む暇もなかったので読まない本もある。そんな中で、やけに気になった本を見つけた。

新しいダンボールに収めることなく、仕事場に移動してきて積まれたのが

植村直己・夢の軌跡
湯川 豊 著
文藝春秋

だった。職業柄、本は必ず奥付から見るんだけれども、奥付を見ると2014年1月の発行。いつ、どこで買ったのか全く以て思い出せない。没後30年に発行された本だったんだろう。植村直己は1984年にマッキンリーで消息を絶った。なんで読まなかったのかわからないんだけれども、たぶん締切に追われて本の存在も忘れちゃったのではないか(笑)。仕事机の隣に積んであったその本を2019年の年末に読んでみる気になった。

小学校の時の担任の先生が山登りをする人だった。何の授業時間に見せてもらったのか忘れたけれども、ヒマラヤ登山の様子を記録した彼の(たぶん学生の時の山岳部時代の)スライドを見せてもらって、それがすごい強烈に印象に残った。おそらく1981年か1982年のことだ。ボクはひどい高所恐怖症なのでおそらく山は登れない。だけど、登山という世界に強烈に興味を持つきっかけとなった。植村直己はその当時、注目されていた登山家である。そしてその数年後にマッキンリーで消息を絶った。ワイドショーでさんざん報じられた、最後のベースキャンプの映像や、クレバス対策で竹を腰に括りつけた姿の映像を今でもよく覚えている。野口健ではないけれども、ボクも同じ頃に「青春を山に賭けて」を読んでいる。背が水色の文春文庫はたぶん、今もダンボール箱のどこかに眠っている。

植村直己は登山家なのか、冒険家なのか。
湯川氏が回想する植村直己との記憶を読んでいくうちに、植村は登山家ではなく、冒険家だったんだなという思いに変わった。おそらく、「その先の景色」を見たい、人だったんではないかと。それが彼を「冒険」に駆り立てたのではないかと。

この本の結びで、湯川氏はこう書いている。
「見たい、体験したい。そういう欲求が人を放浪の旅に向かわせるのだとしたら、放浪こそ冒険という行為の基盤としてあるのだろう。」

もし自分が、今の混乱を生き延びることができたなら、どんなに困難な世界になったとしても「その先の景色」を見たい、と思っている。モニター越しでもネット越しでもなく、あえて自分の目で。

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