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モスタルのMade in Japan・前編

3月に結婚した、奥さんの娘が今度引っ越しをするという。
「家を出た時に借りてた、ハッシーの炊飯器を返しにきたよ」という。1990年製、象印の三合炊き。一人暮らし用の炊飯器。

ボクが大学に合格した時に、母の友達が「ヒロシくんの合格祝いに」と買ってくれたものだ。
久しぶりの再会。だいぶ日焼けしてプラスチックも劣化しているけど、まだまだ動きそうだ。
この時代のMade in Japanは本当によくできている。そして壊れない。ちょうど「デザイン」がもてはやされて、プロダクトとしても垢抜けた時期のモノ。

試しに何年かぶりに、こいつでコメを炊いてみる。ん、ん、んまい! あいかわらず、35年経ってもこれで炊くコメは美味いのだ。偉大なる80年代〜90年代の日本製品! 自信に満ちあふれていた頃のMade in Japan。

これ以上、炊飯の熱にさらすと、もっとプラスチックが劣化してしまいそうだから、仕事場の本棚の飾りにしようかな。


2007年だから、もう20年近くも前になる。
イスタンブールからローマまでを鉄道で旅したのは、10月のこの時期だった。

その5年前に、北米をレンタカーで横断した。村上春樹のエッセイをヒントに「逆を行ってみよう」と思ったのがきっかけだった。シアトルからサンフランシスコを経由してNYまで。レンタカーの乗り捨てに30万円近くのお金を払って(しかも途中で壊れたw)、実にバカげた旅だったと思うんだけど、ほんとうにたくさんの景色が見られて、自分的にはとても有意義だった。そして4,900マイルの距離というのが実感としてわかった。

自分の運転するもので地球の広さを知るというのは楽しいのかもしれないな。せっかく地球に生まれたのだから、生きてる間にやるべきではないか?

飛行機以外の、できれば自分の運転するもので地球を一周したい、地球の規模感を掴みたいという思いに駆られるようになったのは、あのバカげた北米横断がきっかけだったと思う。

その北米横断から2年後、2004年にシルクロードをバイクで旅するという企画に幸運にもジョインした。こちらはユーラシア。敦煌からになるんだけど、昔のシルクロードを何回か(何年か)にわけて、イスタンブールまでたどり着こうという計画。

2007年時点では、2回目のシルクロードツーリングを終えたところで、ウイグル自治区のカシュガルまでたどりついたところだった。このツーリングは2年に1回ということになっていた。

2007年という年はその狭間の年だった。

何年後かに、イスタンブールまではバイクでたどりつくだろう。でも本当のシルクロードはローマまでなのではないか? 先にイスタンブール〜ローマを繋いでみようかな。

2007年の遅い夏休みに何をしようかと考えた時に、そんなことを思いついてしまった。かといって、レンタカーやレンタルバイクは金がかかりすぎる。まあ、自分の運転ではないけれども、鉄道ならいいってことにしようか。飛行機でなければよし、陸路ならOK。

ということで、イスタンブール〜ローマをつなぐ旅にしようと決めた。元々、「撮り鉄」「乗り鉄」なので鉄道でもいいじゃないか。夜行列車にも乗れるしな。

ところが決めたのはいいんだけど、どうやってこの2都市をつなぐか。まったく予備知識がないし想像がつかない。

Google Mapで見てみると、イスタンブールという街はトルコのいちばんヨーロッパ寄りに位置している。そんなことも知らなかったのだが、すぐに国境があって左隣がブルガリア。ブルガリアヨーグルトのブルガリア!
上に行くとルーマニア、ハンガリー、スロバキア。そうだ、昔の東欧だ。

ちょっと前に見た「コーリャ 愛のプラハ」という映画の記憶もあって、チェコに行ってみたいなと思ったんけど、えー!ドイツの右隣だ。かなり遠い。というか、やはりそういう位置関係が全く分からない。サラリーマンであった当時、そんなに遠回りできる長い夏休みはとれない。

日程的には、イスタンブールからそのまま、まっすぐ西に進むしかないだろう。ブルガリアの隣はセルビア、その隣がボスニア・ヘルツェゴビナ、さらにその隣がクロアチア。そしてアドリア海に出る。上に目を移すと、スロベニアという国があってトリエステとある。あ!トリエステ。昔ベネチアに行った時にトリエステ行きという夜行列車に乗ったことがある。ここを通ればイタリアに入れるんだな。またはアドリア海をフェリーでも渡れそうだ。

セルビアの下を見るとコソボとある。うーん、なんか戦争報道でよく聞いた国名だ。夜中に検索を続けると、この地域は「ユーゴスラビア」だった地域だということを知る。というか、その時点まであまりよく知らなかった。

旧ユーゴスラビア。
90年代の内戦の報道とかは知っていたけれども、何があったのかは実はよく知らない。後になって、「あー、あれはユーゴスラビアの崩壊だったのか」と知った程度だ。
Wikipediaを見ると「『七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家』と言われたユーゴスラビア」とある。

なるほど、確かにこのへんが地理的にもイスラム教とキリスト教の境界線で、宗教が入りくんだモザイクになっている地域だろう。

そのちょっと前に行った中国(というかウイグル自治区)で、中国にもこんなにたくさんイスラム教徒の人たちがいるのか、というのを目の当たりにした後だったので、その、旧ユーゴの宗教のモザイクになっている地域はどんな景色なのか? ということに興味が湧いてきた。このルートをたどってみたくなってきた。

航空券を買ったついでにAmazonで「地球の歩き方 中欧」というのを買ってみた。

翌日届いたのだが、ひどく薄い。そして情報も薄い。おそらくあまり取材してないということなんだろう。パラパラめくると「サラエボ」とある。あー、サラエボ冬季オリンピックの! あれはユーゴスラビアだったのか。

サラエボのページを斜め読みすると、
「まだ地雷撤去が完全に済んでないところもあるので、舗装路以外は立ち入らないほうが安全です。」
と書いてある。マジか……。

たしかに、2007年は内戦から10年たっていない時期だからおかしくはない。検索してみると「内戦の爪痕」のような記事がよくヒットした。記事を読みながら、内戦のことを少しずつ知ることになる。

大丈夫かな。まあいいや、行ってみよう。
10月、機中の人となった。

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