発症から10日後、または解熱後72時間が経てば療養期間終了となる。ボクの発症は7/29(木)だったので、8/8(日)いっぱいとなるらしい。
結局、保健所から聞き取りの連絡が来たのは、陽性が判明した3日後、8/4(水)だった。いつから発症したか、感染の心当たりはあるかなどのヒアリングだった。その時に10日間療養だということを聞いた。
同じ日に家族にも連絡があって、すぐにPCR検査に行くことになった。彼女たちはちゃんと病院の発熱外来に行った。結果、奥さんも娘も陰性。
なんと陰性!!
自宅療養の場合、家族が感染する確率というのは95%だと聞いた。いったいどういうことなのか……でもまずはよかった。
保健所のヒアリングがある前に、LINEの友達登録をさせられるんだけれども、毎朝、体温と酸素飽和度をここで報告しなくてはならない。報告しないと電話が来る。
結局、ボクの場合は療養期間最後に熱が出たため、3日伸びて8/11(水)いっぱいが療養期間だった。13日間。すっかり夏が終わっていたw
どの程度しんどかったか、を説明するのはなかなか難しいんだけれども、たとえばインフルエンザになったら2日目ぐらいで、「こりゃいかん」といって病院に行き、イナビルとかを処方してもらい熱が下がる。それで楽になるわけだけど、そのイナビルなしでインフルの症状に10日間耐えるようなかんじである。
気がつけば何も食えなくなっているし、腹も減らない。が、元気も出ない。鏡を見るとやつれた気がしたので、体重計に乗ってみたら、5キロ痩せていた。
晩飯のコメをやめてキャベツにしても、毎日10キロ走っても、何をしても全く痩せなかったのに、コロナの悪寒だけで5キロも痩せる。末恐ろしくなった。
感染判明までが「1つめの山」、そこからしばらくが「2つめの山」だとすると、3つ目の山が最後の山。
すっかり治ってからテレビを見ていたら、自宅療養の患者を訪問診療する医師を追うVTRが流れていた。「発症7日目とか10日目ぐらいで悪化する場合がありますから注意してくださいね」と患者に声をかけている。
たしかーに!
やはりそういう傾向があるのか。
発症6日目(8/4)の夜、熱がはじめて38度を越えた。そして翌日(7日目)から悪寒にプラスして、頭痛と乾いた咳が出るようになった。咳はかなり体力を消耗する。熱は38度台で安定してしまっている。
8月5日(木)発症7日目
00:00 体温:38.7度 酸素飽和度:97%
06:00 体温:38.5度 酸素飽和度:96%
14:00 体温:38.1度 酸素飽和度:96%
熱が上がったことを奥さんに伝えたら、電話診療というやつに電話をしてくれた。「ここで診療してもらえば、薬を処方してもらえて調剤薬局にもらいにいけるんだって。お医者さんから電話かかってくるから話してみて。」
しばらく寝てると夕方になって電話がかかってきた。朦朧としているなかで電話に出ると、男性の医師だった。悪いけどムカつくやつだった。
横柄な態度、なにを言っても融通が効かない、そしてあくまでも事務的にしか話を進められない人だった。
医者とクルマの修理屋は、自分の「直感」で選ばなければいけないと常々思っている。そして、選んだことの責任は自分で引き受けないといけないと思っている。相手も人間である以上、商売である以上、相手が信用できるかどうかは自分で判断するべきで、イヤなら「いりません」と断らなければいけない。
申し訳ないけど、いま辛いんだけど、おまえには助けられたくないし、おまえの「医療」はいらんわ。「もういいです」ブチっ。一方的に切る。せっかく電話かけまくってくれたのにごめんなさい、嫁さん。
まあ、そういう人もいる。
そしてまた処方薬が縁遠くなってしまった。
試しに、バファリンルナを、ちょっと多めに飲んでみた(良い子のみんなは絶対に真似しないように!)。
8月6日(金)発症8日目
01:00 体温:39.0度 酸素飽和度:96%
07:00 体温:37.9度 酸素飽和度:95%
21:00 体温:38.0度 酸素飽和度:97%
熱は下がらない。
「ヤバくなったら、この鈴鳴らしてよね。えったん(娘)、鈴が鳴ったら教えてよ」
「うん、わかった」
一昨年、青森のねぶた祭りに行った時に買った、ハネト鈴が枕元に置かれた。
その夜の体温を見て奥さんが言い出した。
「もうさ、熱下がらないんだから、救急車呼ぶしかなくない?、薬もらうにしてもなんにしても救急車じゃないと外にも出れないし、医者にも見てもらえないんだから」
保健所の人は確かに言ってた。
「辛くなったら遠慮なく救急車呼んでくださいね」
と、思う間に、奥さんが119番していた。
「……はい、最近引っ越したから地図は違ってるかもしれませんね、お隣がSさんで、反対のお隣がFさんです。」
ボクのような罹患者が救急車を呼ぶ時には「コロナ陽性です」と必ず伝えなければならない。
であるから、救急隊員は防護服で身を固めN95マスクの準備をしてやってくる。通常よりも時間がかかる。
しばらくして、救急車が近づいてくる音がした。はー、また救急車か。
初めて救急車に乗ったのは、大学3年の時。大宮の国道16号でバイクでぶっ飛んで鎖骨を折った時だ。路肩でうなだれていたら、遠くから救急車が来た。隊員が降りてきて、申し訳なさそうに言う。
「あのですね、申し訳ないんだけど、もう一人ケガしてる人がいてですね、一緒なんですけどいいですか?」
「えぇ!相乗り!?」
リアハッチから救急車に乗り込んだら、同い年くらいのお兄ちゃんがバイクでケガして、反対側に座っていた。「相乗り救急車」は東大宮病院という近くの病院に向かい、二人仲良くそこに収容された。
あれ以来か。
家の手前でサイレンが止む。「いや、ご近所さんびっくりするから、もっと手前で止めてくれないかしら」と思いながら、救急車に乗り込むつもりでいたら、青い防護服を着た救急隊員が3人、家に入ってきた。
「まずは様子を見させてもらいますね」
体温計が脇の下に刺され、パルスオキシメーターが指に挟まれ、聴診器が当てられた。
「えーとですね、ご承知のとおり、現在かなり医療が逼迫しておりましてですね、このくらいの程度ですと、病院にお連れすることも難しいと思います。問い合わせすることはできるんですが、たぶんほとんど断られると思います。」
予想以上だった。
おそらく、はなっから搬送はできない前提で来ているのだ。というか、どうにかしたいけど、本当にどうにもならない状況なのだろう。
「いや、でもどうしても病院て診察してもらいたいんです、薬を処方してもらうだけでいいんです。探せませんか?」
「わかりました、ちょっと探してはみますので、お部屋でお待ちください」
待つこと1時間、イレギュラー対応をしてもらえることになった。
「本当はこれダメなんで、言わないでくださいね」とクギを刺されたんだけど、ごめんなさい言っちゃいます。そうやって、自分の範疇の中で精一杯のことをしてくれる人がいて、本当に嬉しかったし、救われたんです。
別れる時に、奥さんと二人で、深々と頭をさげた。ありがとうございました。
対応してくれた救急隊員の3人は、ボク一人のために1.5時間から2時間を費やす。全然仕事にならないだろうし、普段提供できるはずの医療が提供できないもどかしさは、プロとして本当に辛いだろうなあと思った。
救急車の中で待ちながら、隊員の人と世間話をした。たぶん同い年ぐらいだ。
「いや、ボクらは早めにワクチン打ってるからいいんですけどね、自分の奥さんとか子どもとか、(ワクチンが遅くて)どうなっちゃうのか本当に心配ですよ。」