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自由創作#16 heart

大阪ミナミにある水掛不動
全身を鮮やかな緑の苔で覆われていることで有名だ。
水掛け。お不動さんに水を掛ける。

実は“水掛け”の歴史は浅く、
戦後すぐに始まったものでした。
ある日、法善寺へお参りにやってきた一人の女性が、お供えされていた目の前の水を手ですくい、お不動さんに掛けたのです。
「願いを叶えて欲しい」と仏さまにすがる女性の強い思いが、今日まで続く“水掛け”の作法の発祥となりました。
水掛不動尊を包む苔は、願いの数だけ広がり、願いの分だけ育まれてきました。
すべての命の源である「水」を、全身で受けとめてくださるお不動さんは、いつも私たちの祈る姿を見つめておられます。
(法善寺HPより引用 http://houzenji.jp/ )

先日、この苔を剥がした1人の男性がいた。
被害届を出された。
そして間も無く1人の男性が自らやったと認めた。
男性は「みすぼらしかったので、きれいにしてあげたかった」とのこと。
反省していた為、お寺側は被害届を取り下げたのだと言う。

一つ思った。
雪が被っていて、笠を被せたおじいさんは地蔵に感謝されたわけだ。

ところが、苔を剥がしたこの男性は被害届を出されている。
もしかしたら、
今頃、感謝されているかもしれない。
所詮は、苔が願いの分だけ育まれたと言うのもお不動さんが水を受け止め私たちを見つめられていると言うのも人間が決めたことだ。
初めに水を掛けた女性。
供えてあった水を掛けるのは不敬ではないのか?
価値観は人それぞれだ。
別にこの男性の肩を持つわけじゃない。
柄杓で擦ったらしいし、そんなんしたらお不動さんもいてえだろ。
この男性もまた自らの価値観が正しいと思い今回の行為に至ったわけだ。
でも、この戦後から始まった習慣、
お不動さん目線で考えてみよう。
初めに言っておくが、これもまた1つの価値観にすぎない。

冷たい水を全身にかけられて、
その上願いを聞かされる。
年月が経つうちに全身に苔が。
息もしづらいし、日も当たらず滅入ってくる。
石像となった私は自ら死ぬこともできない。
そこに苔を剥がす男性が現れた。
久しぶりの日の光だった。
って事があるかもしれないね!

いや、こうとも考えられる。
喉が渇く。肌も乾燥する。
戦禍の日本ではあちらこちらが火の海に。
乾燥する。
戦争が終わり、1人の女性が訪れた。
その女性は渇き切った私に水を掛けてくれた。
長年欲していた水だ。命の源水だ!
ありがとう。
これを機に水を掛ける習慣ができた。
苔も生い茂り、私は満たされた。
この苔は幸せの証だ。
ところが、1人の男性が苔を剥がしてきた。
みすぼらしい?余計なお世話だ。お前よりマシだ!
坊主は何を被害届取り下げてるんだ。お前が決めんな!
って考えてるかもね!
ってな事を考えてる僕が1番の不敬って言われちゃうかもね。

明日、近所に手を合わせに行こうかな。

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