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死に向かう母と、本当の声を聴くということ

生存以外のいかなる価値も持たない社会はどうなってしまうのだろう?

今日はマジメなトーンで。

さて、この問いはイタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベンが、コロナ蔓延で葬儀なども禁止されている状況を踏まえて、死者の権利が蔑ろにされているということを主張した上で「生存以外にいかなる価値も持たない社会とはいったいなんなのか」と問いかた言葉。

僕自身、今年最もインパクトを受けた言葉の一つ。

死者が葬儀の権利を持たない、このこと自体に違和感がないこと、死者へ敬意を持つことについて彼が問いかけていることを知って、自分の中の死生観がふつふつと動く感じを持った。

死に直面した時、本人の意思が尊重されないことはしばしば起こる。

とにかく生きていることが全てに優先される、それを理由に国家が強大な権力や実行権を持つことの怖さもあるが、今日はそっちの話じゃなくて。

代わりにコーチという自分の生業でもあり今の生き方につながる、「死」と関連する体験がある。

末期癌の母親との会話

今から15年前、母は癌で亡くなった。その3年ほど前から膵臓癌をかわきりに手術や治療、そして転移ということを繰り返し、亡くなる半年前にこれ以上有効な治療がないことを医者に告げられる。

抗がん剤治療はあまり相性が良くなく、とても負担が大きかったのでこれ以上延命的な治療は本人も希望せず、どうやって最後を迎えるか橋本家で様々な相談。

その選択肢の一つがホスピス(緩和ケア)で痛みを抑えながら、最期を迎えるというもの。橋本家の個人尊重という隠れた掟(?)に従い、まずはホスピスを紹介してもらって相談へ。

橋本家は、母、父、姉、僕の4人。初めての体験、ドキドキ・・。

ホスピス側は、院長先生、婦長さん?(看護師さんで一番えらい感じ)の2名。

ホスピスは痛みを緩和しながら最期を迎える場所だが、希望者をすぐに受け入れることはせづ、本人や家族の希望を聞いたうえで最善は何かを考えてくれるスタンス。

相談を進める中、結論として最期は家族と少しでも多くの時間を過ごして行くのがよいのでは、ということになりホスピスではなく自宅での療養をすることに。

院長や婦長さんも母の気持ちを汲もうと一生懸命に関わっていただき、やっぱり家族との時間が大事よねと母に何度も確認した。

僕らも「最期は家族と、やっぱりそういうものかな」と思った、もちろん母も同意をしてその場を後にした。

僕も家族もそうと決まれば、母の最期になる数か月は交代で付きっきりになるので、実際にどういうローテーションをするのか?とか、僕自身は会社に数ヶ月の間週休3日にしてもらえないか?という打診もする直前。

ホスピスで決めてから1週間くらいの間、伴う準備で忙しくしている中、ずっと気になっていることがあった。

「母は本当にこれでよかったのだろうか?」

病院で話し合って本人含め同意していた、家族で看取るということも大事なことだと理解はしている。でも、「何か」気になっていた。

家で看取るための準備が進む中、母と2人になった機会に思い切って聴いてみた。

「ねえ、お袋は本当はどうしたいの?」(こんな言い方じゃない気もするが、正確には覚えていない)

少しの沈黙の後、母は突然泣き出した。僕は不思議と驚くこともなく、その場で話し出すのを待っていた。

しばらくして母は落ち着きを取り戻しながら話はじめた。

「正直みんな(家族)に面倒みられるのは嫌、ホスピスに行きたい」

母が泣きながらも何か背負っていたものを降ろしたような晴れやかな表情にも見えたことをよく覚えている。

そして僕自身もなんだかほっとした。

「自分で何もできなくなっていく中、家族に世話をしてもらうことは全く望んでいない。そういうことはプロの世話になりたい。みんなが無理しない範囲でお見舞いに来てくれれば十分だし、むしろそうしてくれたほうが嬉しい。」

本当の声

この後、母はホスピスに入り最期を迎えることになる。先生やスタッフのみなさんも素晴らしく、母の意思を尊重した最期を迎えることができたのではないかと思っている。

「誰しも自分にとっての本当の声に気づいているわけではない、あるいは言葉にできるわけではない」ということを目の当たりにした体験だった。

周りの人が一生懸命、かつ善意からかかわっているときや、一番信頼できる家族や権威のある存在が関係しているときこそ本当の自分の気持ちを伝えることは難しい時がある。

というか、そもそもそういう気持ちがあることも周囲の声にこたえていると気づくことすらないかも知れないのではないのでは?

母も嘘をついたわけではないし、そのまま自宅で家族に世話をされながら最期を迎えることも普通にできたかもしれない。

そうなったとしても、一般的には“いい最期を家族と共に迎えることができた”と言えるのだろう。というか言っていただろう。

ただ、本当の声は違った。

今につながっていること

この体験は僕がコーチングなど今のキャリアにつながる学びを本格的に始める前の話。

2005年に母が亡くなり、その翌年たまたまCo-Active Coaching を学ぶ機会が訪れる。そこで学びを進めるにつれ、この母との体験が僕がコーチとして生きていくことの原点になっていると強く感じることとなる。

人の話を聴くということは相手が話した言葉を理解するということだけでなく、言葉にしていない、時に本人も気づいていないことへ好奇心を向けることであること。

人の内側は瞬間瞬間に変化を続けていているからこそ「今この瞬間」に意識を向けること。

全ての人は、その人なりに自分はこうしたい、こうありたい、という意思があるということ。

母と僕たち家族の間に起きたことは、きっと様々なところで常日頃起きていることだ。

家庭や会社、信頼できる人たちとの関わりゆえに起きることもあることへの暗示でもある。

あの時母に気持ちを聴くことができて僕は幸運だった。

最期は家で家族全員で看取った、まるで美談のように語っていたかもしれない。

ただ周りがいくら良くても、母本人にとっては違う。

これは僕がコーチとしての原点、もう少しいえば「人の話を聴くことの原点」だ。

死ぬ直前だとしてもその人がどうしたいのか、どうありたいのか、がある。

この経験のおかげで、何度でも好奇心を持って聴く姿勢に立ち戻れる。

お袋に感謝。次墓参りはビール2本買ってこう。結局俺が飲むけどね。​


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