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ソーシャル・ディスタンス(社会的距離)から ソーシャル・クローズネス(Social Closeness:社会的親密さ)へ

世の中の自粛ムードはどんな感じなのか?外に出ないのでわからないが、我が家のベランダから見る限り普段より少し静かだけれどあまり変化は感じない。

各人それぞれの非常事態宣言の昨今、必要最小限の運動と買い物のために外に出ると自分の中での大きな行動変容に気づく。

ドアの手すりに触るのが気になったり、狭い道ですれ違うことに意識がいったり。

買い物ですぐ後ろに詰めて立つ人がいると、苛立ちと共に「俺の後ろに立つな」というゴルゴ13のような気持ちになったりもした。

コロナウィルスの騒動で、電車やお店をはじめ様々な場所の雰囲気は、どう見ても以前と変わった。ソーシャルディスタンスは物理的な距離だけでなく、心理的な距離をつくり始めているように感じる。

昨日マスクをしていないおばあちゃんが道に迷っている様子を見かけた。その時に声をかけるのをためらった自分もいたことに気づいた。驚いた、かといってどうするといいのかよくわからない。

いつか収束する、あるいはコロナと付き合っていく(コロナウィズ)時がくることは確かだけど、よく行く飲み屋で仲間や常連さんや近くにいる人と気軽に話したり、濃厚接触(?)できる日がまた来るのか?正直今は考えづらい。泥酔という解決策、いや、それもない。

言葉の定義:フィジカルディスタンス(物理的距離)

そんな中、一昨日の夜、友人に教えてもらった海外のWebner に参加した。

cognitive-edge というが主催する"Complexity, Chaos, and COVID-19" というものだ。(彼らはVUCAの世界において、実際の世界をどのようにとらえて、どのように考えて行動したらいいか?に対してクネビン(カネヴィン)フレームワーク Cynefin Frameworkを用いた課題解決に取り組んでいる。)

"Complexity, Chaos, and COVID-19" 今何が必要なのか。4人のパネラーが様々な視点で見解を共有したりディスカッションを行う。

日本時間の23:30と遅めのスタートだったこともあり、途中で寝落ちzzz。

ただその中でも前半部分でとても覚えておきたいことがあった。パネラーの1人である Valdis Krebsが言っていたことであり、自分に発見があった。

彼はこういった状況の中で、言葉をどう使うかが大切だと強調。

感染拡大防止のために行われている人が距離を取ることは、ソーシャル・ディスタンス(社会的距離)というよりもフィジカル・ディスタンス(物理的距離)と言葉の定義をすることが大事であり、

今こそ社会としてのつながりを大事にする時、私たちはソーシャル・クローズネス(Social closeness :社会的親密さ)という認識でいることが必要と語っていた。

はっ、とした。

自分にとってはこのソーシャル・ディスタンスという言葉が結構インパクトを及ぼしていることに気づいた。

もちろん、感染防止のために適切な距離を取ることだと理解はしている。何の異論もない。でも、うーん、なんていうんだろう。。これからの世の中が少しよそよそしくなるような、親密さは非常識になっていくような寂しさがあるような。

距離に気を使うだけでなく、警戒するような、「話しながらこっちに来ないで」的な無意識のメッセージを発したり、感じ取ったりする。現に少し外に出ただけだけでも、帰って来た時に普段より意識を張っていて疲れる感覚も確かにある。

僕だけか?いや、僕の中で起きていることは、世の中で起きていることの一部でもあるはずだ。

ソーシャル・クローズネス(社会的親密さ)


そんな中、ソーシャル・クローズネス(社会的親密さ)というあり方や意識の話を聞いて何だかホッとした。僕らは少しの間、新たな距離の取り方に慣れなかったりするかもしれない、けれどよくよく世の中を見てみれば社会的なつながりはより鮮やかになっている。

これまでにない感覚。こんなにも僕らは繋がっていて相互依存していることを体感したことはなかった。そう体感している、体の痛みすら感じることがある。離れていてもつながっている。

スペインやイタリア、NY(そう世界中)で起きていることをここまで身近に感じていたことはないのではないか。

芸能人が無くなってこんなに恐れを感じたことはないのではないか。

疾患のある父親が、すぐにでも死に直面する可能性がある世の中だという体感もこれまでにはなかったのではないか。

今の感覚に比べるとこれまでは「対岸の火事」的な意識でいたことばっかりだったのかも。(そんなつもりではなくても)

僕の人生で「お前は当事者意識が低い」と言ってくれた人たち、あなた方は正しかった、感謝。


今の状態を乗り越えるために何が必要か?ということに対してサピエンス全史のユヴァル・ノア・ハラリ氏が言っていることともつながる。

この状況「隔離」ではなく「協力」でありグローバルな信頼と団結が必要だと。

いくら、お互いを隔離しても本質的な解決にならないことをこれまでのペストやスペイン風邪などの歴史が証明している。時代が違っても僕らはどうやってもつながっているらしい。

いろいろ書いたけれど、今回の学びから言葉を新しく。

当面の間、僕らはフィジカル・ディスタンス(物理的距離)をとる。きっと。すぐに元に戻れない。すぐにハグしていた時代も懐かしい。

どーせ新しい時代なら気持ち的にも、言葉としても意識的にソーシャル・クローズネス(社会的親密さ)というスタンスで、僕らは切っても切れない関係であることを存分に堪能したい。

昨日道で迷っているように見えたおばあちゃん、今なら違うかかわりができたと思う、ごめんなさい。

離れていてもつながっている。


2メートル離れて、ハグ。(そういうことじゃない)

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