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note59日目。街の言葉に敏感になり、自分のことを知ってもらう手間が減った。


きっと何かしら自分も発信したいと思っている、あるいは実際に発信したけれど難しいと感じている人は多い。

このタイトルはnoteでの発信を始めてわかったこと。9月15日最初の記事をアップしてからここまでで12の記事を書いた。細かいコンセプトはなく、自分の思ったことをそのまま書いて、面白くかけたらいいな、そのくらいの気軽さで始めて早2ヶ月。

わかったことを書きたい。

街の言葉に敏感なった

ちょっとかっこいい(自画自賛)。

少し普通な言葉でいうと、街中にある様々な言葉や会話が全てネタになる感覚。僕のiphoneのメモ帳はこの2ヶ月でそれまでの9ヶ月でメモした量とほぼ同等。特に、街で話している人の言葉で面白いもがあったらメモしたり。


「それって、タピオカより最強?」

五反田のスタバで聞いた会話の一部、流れはわからないけど耳に飛び込んできた。

確かにすごいブームだとは聞いていた、行列もたくさん見てきた。

そんな僕の想像をはるかに超える表現であり、現世界王者は「タピオカ」なのかという驚き、この言葉が笑いもなく普通に会話の中で流れていく世界の存在に直面し、思わずメモる。


「それは効率化じゃなくて、手抜きだよ」

どこで聞いたか忘れた、でもこれもすごい印象に残ってメモった。

なんかわかる。効率化なんて得意じゃないけど、いつの間にか効率化というなの手抜きになって、大事なことが抜けている。

最短のあがりを目指して、役作りというロマンを忘れた麻雀のようだ。


何気ないけど、世の中の隠れたテーマを暗示していると言っていい。


この2つはこれから記事を書く時に使う可能性があるので、僕のメモ帳の中で保温中。

面白いのは「効率化じゃなくて、手抜き」という言葉が当てはまることは何かな?というこの言葉ありきで自分や周りに起きていることに思いを巡らすことが始まる。

実際そういうネタが僕の中にはいくつかでてきた。


書くからネタが見つかる

いざnoteでの発信を始めると色々なことが、ネタに見えてくる。街での会話、看板、本、お笑いライブ、父の透析、Beerツアー、麻雀の面子探し。

「ネタがないから書くことがない」

というのは実は逆で

「書くからネタが見つかる」

かもしれない。

何かしらアウトプットしたい人には、この観点をオススメしたい。僕もやってみての発見。


僕自身を知ってもらうこと

仕事柄多くの人に会うのだが、この2ヶ月、相手が自分のnoteを読んでいることが多いことに驚いた。

僕のnoteは自分が思ったことなどを自由に書いているので、僕自身丸出しでちょっと恥ずかしい感覚もあるけれど、好き嫌いはあっても確実にインパクトがある。

そもそも自分のことを知ってもらうって、どういうことなのか?

普通、役割や仕事、その人の状況、あとFBなどを見れば志向やなんとなくの価値観なども見えてくる。

自分が発信したものを見てもらうことで少し違うことは、僕自身の「物語」を知ってもらうことができる。


家族との関係の物語

英語の学びを通した物語

10年前人にどう影響していたかの物語

いろんなものとの間にある僕自身の物語であり、これを書いて発信することは、少しづつ服を脱ぐ感覚に近い。


なぜなら結構恥ずかしい。


僕は父の透析のことを書いた、すると親戚が見て父に伝えたらしい。そのことを父と会話した。気恥ずかしいけど、本人も意外と面白がっていて不思議な感覚だった。


脱いでみるのも、悪くないと、脱いだからわかった。


面白いもので色々な人から、コメントをもらったりするのだがその中の何人かはとても個人的なその人の「物語」を教えてくれたりする。僕もその人の「物語」を知る貴重な機会をもらっている。


こっちが脱いでると相手も脱ぎやすい。


noteでの発信は当初思ってもいなかった、自分自身の発見や周りへのインパクトがある。59日にしては上々。


何か発信したいと思っている人、応援してます。

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そういえば、このnoteで発信しようというアイデアは僕の親愛なるバディとの話が発端なのだが、もう一つアイデアがあった。それは、

「全裸監督を見るといい」

だった。(そして見た)


こんなところでつながっているとは。

いや、無意識に寄せていっただけかも。








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